文書構造 |
讀み下し文 |
||
文書本體 |
書出 |
二十六年(221)十二月癸丑朔庚申(08)、遷陵守の祿[i]、敢えて之れを言う。 |
|
本文 |
状況説明 |
||
二十四年(223)畜[iv]の子を息(そだ)て[v]錢を得るを課するに、殿[vi]なり。沮守の周、主(つかさど)る。新地の吏と爲れば[vii]、縣に令して、論じて[viii]決を言わしめよ。 |
|||
用件 |
●之れを問うに、 |
||
周、遷陵に在らず。 |
|||
書止 |
敢えて之れを言う。 |
||
附記 |
封印情報 |
||
集配記録 |
丙寅(14)、水下三刻、啓陵が乘城卒の秭歸(しき)(縣)都里の士伍の順、旁(かたわ)(曹)[xii]に行る。 |
||
作成記録 |
壬手す。 |
[i] 嚴格に隸定すれば、「祿」字は、彖に從い「禒」の形に作るが、字としては、「禒」は初めて『龍龕手鑑』に見えており、古い字書には見えない。しかも、字音は、「息淺反」(=せん)となっているので、實際は、訛(あやま)りによって生じた「𥙮(獮)」字の異體字と考えられる。一方、『正字通』示部には、
禒,祿字之譌。
禒は、祿字の譌(あやま)りなり。
という。「祿」とは、秦漢時代によく人名として用いられるので、本簡でも、人名を表記している「禒」形の字は、隸書における「彖」と「录」の混用を勘案して、直接に「祿」と釋讀できる。『奏讞書』案件二の所謂「大夫禒」も實際は「大夫祿(ろく)」に相違ない。
[ii] 字音は、『廣韻』平聲尤韻抽小韻の「丑鳩切」に從った。
[iii] 「敢言之」から判るように、本簡は洞庭郡に宛てた文書である。したがって、沮縣の問合せも、「沮守瘳言」と稱しつつも、實際は洞庭郡經由で遷陵縣に屆いたと推定される。
[iv] 畜、やしなう・畜產、初出。(角谷訂正案は、8-0495「畜雁產子課」に基づいて家畜とするが、8-0495の「畜」も、『秦律十八種』簡063の「畜犬」・「畜鶏」の「畜」も「やしなう」・「飼育する」意味ではないか。沮守が主宰した「課」が殿の評価を受けているので、畜官という県官に限定して解釈する元の読み方は確かに不自然。)
[v] 息、そだつ・そだてる/殖える・殖やす。初出(角谷訂正案が取り上げる『秦律十八種』063の「息子」について、整理小組の注は「息は子と同義」とするが、語訳は「生的小猪」となっているから、「息」はやはり「そだてる・ふやす」意。8-0183の「息秏(耗)」も「ふやす」ことと「へらす」こと。『史記』秦本紀の「養息」は「飼育してふやす」、「息馬」は「馬を殖やす」、「畜多息」は、結果的に子の多いことを言うが、正確にはやはり「畜、多く(子を)息(そだ)つ」もしくは「畜、(子を)息(そだ)つる(もの)多し」とよむべきではないか。孟嘗君列伝の「息銭」は「ふやした銭」。「畜牸馬,歲課息」は、年ごとに殖やした(状況)を考課する意。所詮、息が「賤息」のように「子」の意味で使われるのは、「殖えた(若しくは殖やした)もの」ということに過ぎないので、「息=子」は基本的に考えない方がよかろう)
[vi] 殿、初出。
[vii] 新地の吏となることは、左遷の一種に他ならないが、本簡の場合、左遷と殿との閒に因果關係がなく、むしろ次のような時閒的前後關係が推定される。
[viii] 論、議論すること、轉じて辨別すること、順序を付けて評定すること。『說文解字』言部には、
論,議也。
論、議する也。
という。辨別や順序付けという字義は、『呂氏春秋』と『淮南子』に對する高誘注に見える。つまり、『呂氏春秋』應言篇に
不可不熟論。
熟論せざるべからず。
というのに對して、
論,辯也。
論、辯(わきま)うる也。
と注し、『淮南子』脩務篇に
惟聖人能論之。
惟だ聖人、能(よ)く之れを論ず。
というのに對し、
論,敍也。
論、敍(つい)づる也。
と注する。
司法事件との關連では、「論」は「罪の評定」ことを意味するが、現存の史料では、決定權者による訊問を通じて罪狀が認定される「鞫」という手續と、「報」という文書形式で刑罰の執行が命ぜられる行政手續との閒に、獨立した法的效力を持つ判決がなされる形跡は確認されない。それは、絶對的定刑主義のため、認定される罪狀によって自動的に量刑が決まるからであろう。論の字が、『秦律十八種』に
017 (前略)其非疾死者,以其診書告官論之。
其の疾死するに非らざる者は、其の診書を以て官に告げて之れを論ぜしめよ。
というように、刑事事案の處理全體を指す場合もあれば、『法律答問』に
006 (前略)問甲可(何)論。當完城旦。
問うに、甲は何(いか)にか論ずる。當(まさ)に完(まっと)うして城旦となすべし。
と、評定そのものを表す場合もある。また、評定が「報」という執行命令によって確定される事實は、
204 捕盜鑄錢及佐者死罪一人,予爵一級。其欲以免除罪人者,許之。捕一人,免除死罪一人,若城旦舂、鬼薪白粲二人,隸臣妾、收人、
205 司空三人,以爲庶人。其當刑未報者,勿刑。有(又)復告者一人身,毋有所與。
盜(ひそ)かに錢を鑄する(もの)及び佐(たす)くる者の死罪一人なるを捕えば、爵一級を予(あた)う。その以て罪人を免除せんと欲する者は、これを許す。一人を捕うるごとに、死罪一人若しくは城旦舂・鬼薪白粲二人、隸臣妾・收人・司空 三人を免除し、以て庶人と爲す。そのまさに刑すべく未だ報せざる者は、刑することなかれ。
という『二年律令』の規定から裏付けられる。この「報」を、里耶秦簡8-0777に
■從人論報擇(釋)免歸致書。具此中。
■從人の論報し、釋免して歸らしめらるるの致書。この中に具われり。
というように、「論報」と稱することもあり、「論」の一字で代替されることも、
072 (前略)䙴(遷)者、䙴(遷)者所包其有辠(罪)它
073 縣道官者,辠(罪)自刑城旦舂以下,已論報之,復付䙴(遷)所縣道官。䙴(遷)者、䙴(遷)者所包有辠(罪)已論,當
074 復詣䙴(遷)所;及辠(罪)人、收人當論而弗詣弗輸者,皆䙴(遷)之。(後略)
遷者・遷者の包する所、其れ罪を它縣道官に有する者、罪、刑城旦舂より以下、已に之れを論報したらば、復た遷所の縣道官に付す。遷者・遷者の包する所、罪有りて已に論じ、當(まさ)に復た遷所に詣(いた)すべき(もの)、及び罪人・收人の當に論ずべきに(これを)詣さず(これを)輸らざる者は、皆な之れを遷す。
という嶽麓秦簡(四)の律令の規定に見られるように存在する。『爲獄等狀四種』や『奏讞書』には、過去の事件處理を振り返って
013 五月甲辰,州陵守綰、丞越、史獲論令癸、瑣等各贖黥。(後略)
五月甲辰、州陵守の綰・丞の越・史の獲、論じて癸・瑣等に令して各々黥を贖わしむ。(『爲獄等狀』)
もしくは
106 (前略)二月癸亥,丞昭、史敢、銚、賜論黥講爲城旦。
二月癸亥、丞の昭・史の敢・銚・賜、論じて講を黥して城旦と爲す。(『奏讞書』)
と記述することがよく見られるが、その場合も「論」は「論報」の省略表現で、その日に、「報」という執行命令を以て「論」が確定したという意味に解される。『奏讞書』の事例では、實際に刑罰が執行されたことが後續の文章によって確認される。なお、唐代以降の注釋家には、「決」・「決罪」という訓詁も見えており、『奏讞書』等の用例とは近い節があるが、「(罪の)評定」という本來の意味を必ずしも正確に表現しておらず、本簡のように、「決」と明確に區別される「論」とは、乖離が感じられる。本簡では、論は、「問」・「鞫」等の手續にわたる罪の評定過程を指し、「決」は、最終的な決着、つまり前述の「論報」を指すと考えられる。
[ix] 道、地方行政單位の一つ、縣と同級、「蠻夷」と稱される人々の居住地に置かれる。『續漢書』百官志には、
凡縣主蠻夷曰道。
凡そ縣の蠻夷を主るは、道と曰う。
という。
[x] 印、初出(注は官職名担当が執筆?)
[xi] 案語(以某印行事、官職名担当)「以某印行事」は郡に関わる用例が多いようだが、「遷陵守」が荆山道の印を以て事を行うことには不自然はないか?漢簡“以某某印行事”參看汪桂海《漢代官文書研究》(廣西教育出版社,1999年)141-144頁。 又,據伊強〈《里耶秦簡牘校釋(第一卷)》補正(4)〉(簡帛網,2014年1月19日),“荆山道丞印”見於秦封泥(楊廣泰編:《新出封泥彙編》1951號,西泠印社2010年。未見原書,轉引自孫慰祖:《“邸丞”辨》,復旦大學出土文獻與古文字研究中心編:《出土文獻與古文字研究》(第五輯)第454頁,上海古籍出版社2013年。)
[xii] 旁、県外への文書発送を担当する旁曹(簡?注?を参照)を指すと推測される。案ずるに、簡8-0138正+8-0522正+8-0174正+8-0523正には、遷陵県丞が、廟の巡行担当について「旁曹」から開始し、そこから坐次を以て当番するように定めている詔が記載されているが、そこから、「旁曹」が、隣の曹ではなく、県廷の中の特定の曹を指すことが判る。また、簡8-0158と8-0166の集配記録に、本簡と同様に、「行旁」と記されているのに対し、簡8-0071では、「行旁曹」という。四つの簡は均しく遷陵県の長官から県外に当てられた文書となっていることから、県外への発送手続が旁曹が担当し、本簡記載の「行旁」が「行旁曹」の省略表現であると推測される。