讀下:8-1477a+8-1141=8-1477b

文書構造

讀み下し文

文書本體

書出

三十三年(214)三月辛未朔丙戌(16)、尉の廣、敢えて之れを言う。

本文

状況説明

□【……】自言すらく、

謁うらくは、遷陵(縣)の陽里に徙らん。

用件

謁うらくは、

襄城(縣)に告げて【……】□【……】せしめよ。【……。問え、】何れの計[iii]より受くる[iv]や。計の年・名[v]を署して[vi]報を爲せ

附記

【……發(ひら)け】と署せ

書止

【敢えて之れを言う。】

附記

集配記録

三月丙戌、旦、守府の交、以て來る/履發(ひら)く。

作成記録

【某手す。】

[i] 自言、自ら言う、法律用語としては、官府に對する陳述や諸種の申請行爲を指す。『漢書』卷36楚元王傳に、

蓋長公主孫譚遮德自言,德數責以公主起居無狀。

蓋長公主が孫の譚、德を遮りて自言し、德、數責むるに公主が起居の狀無きを以てす。

というのに対し、顏師古

公主之孫名譚,自言者,申理公主所坐。

公主の孫が名は譚、自言するとは、公主の坐する所を申理するなり。

と注する。簡牘史料では、『二年律令』簡〇五八には、

諸乘私馬出,馬當復入而死亡,自言在縣官,縣官診及獄訊審死亡,皆〖告〗津關。

諸(すべ)て私馬に乘りて(津關を)出で、馬、當(まさ)に復(ま)た入るべきに死亡するは、自ら在る(ところの)縣官に言え。縣官、(馬を)診(み)及び(人を)獄訊して審(つまび)らかに死亡せば、皆な津關に告げよ。

と、馬の死亡屆、居延漢簡の簡一五.一九には

永始五年閏月己巳朔丙子,北鄕嗇夫忠敢言之。義成里崔自當自言:爲家私市居延。謹案:自當毋官獄徵事,當得取傳。謁移肩水金關、居延縣索關。敢言之。閏月丙子,觻得丞彭移肩水金關、居延縣索關。書到,如律令。

永始五年閏月己巳朔丙子、北鄕嗇夫の忠、敢えてこれを言う。義成里の崔自當、自ら言うに、家が爲に居延に私市せん。謹みて案ずるに、自當は、官獄徵事なければ、當(まさ)に傳を取るを得べし。謁うらくは、肩水金關・居延縣索關に移せ、と。敢えてこれを言う。閏月丙子、觻得丞の彭、肩水金關・居延縣索關に移す。書到らば、律令が如くせよ。

と、傳(通行證)の申請、同簡三.六には、

隧長徐宗。  自言:責故三泉亭長石延壽茭錢少二百八十,數責不可得。

隧長の徐宗。  自ら言うに、故三泉亭長の石延壽に茭錢の少き二百八十を責む。數(しばしば)責むるも、得べからず。

と、債權取立の申し立てを「自言」と表現している。

[ii] 徙、うつる・うつすこと、ここでは、移住を指す。『法律答問』には、

147     甲徙居,徙數謁吏,吏環(還),弗爲更籍。今甲有耐、貲罪,問吏可(何)論。耐以上,當貲二甲。

甲、居を徙すに、數を徙して吏に謁うも、吏、還して(これが)爲に籍を更めず。今、甲、耐・貲罪有り。問うらくは、吏、何(いか)にか論ずる、と。耐以上は、當(まさ)に二甲を貲るべし。

というように、移住に伴う屆出に言及する。『二年律令』の次の記述からは、八月に實施される「案戶」とともに、移住に伴う轉出などの手續に關する明文規定が窺える。

328     恆以八月令鄕部嗇夫、吏、令史相雜案戶,戶籍副臧(藏)其廷。有移徙者,輒移戶及年籍爵紬徙所,幷封。留弗移,移不幷封,

329     及實不徙數盈十日,皆罰金四两。數在所正、典弗告,與同罪。鄕部嗇夫、吏主及案戶者弗得,罰金

330     各一两。

恆に、八月を以て、鄕部嗇夫・吏・令史に令して相雜えて戶を案ぜしめよ。戶籍が副は其の廷に藏ぜよ。移徙する者有らば、輒ちに戶及び年籍・爵紬を徙す所に移し、幷封せよ。留めて(これを)移さず、移すも幷封せず、及び實に數を徙すこと十日に盈たば、皆な罰金四两。數の在る所の正・典(これを)告げずんば、與(とも)に罪を同じくす。鄕部嗇夫・吏の主する(もの)及び戶を案ずる者、(これを)得ずんば、罰金各々一两。

[iii] 計、總計すること、行政文書ではとくに、年度ごとに戶口・墾田・金錢財物・税收等の增減や總數を數え上げる、つまり計上すること。『説文解字』言部には、

計,會也,筭也。

計は、會(あつ)むるなり、筭(かぞ)うるなり。

といい、『論衡』論死には、

計今人之數不若死者多,如人死輒爲鬼,則道路之上一步一鬼也。

今人の數を計するに、死者の多きに若かず。如(も)し人死して輒ち鬼と爲らば、則ち道路の上、一步ごとに一鬼なり。

という普通動詞の用例が見える。文書行政における會計用語としては、『秦律十八種』簡034に

034   計禾,別黃、白、靑。𥟲(秫)勿以稟人。     倉

禾を計うるに、黃・白・靑を別て。秫は、以て人に稟くるなかれ。      倉(律)

という。年度ごとの計上(=「計」)を實數の報告(=「上數」)と區別する用例としては、『秦律十八種』簡035-036が注目される。

035   稻後禾孰(熟),計稻後年;已獲上數。別粲、穤(糯)秙(𪏻)稻。別粲、糯(糯)之襄(釀)。歲異積之,勿增積。以給客,到十月牒書數,

036   上内【史】。 倉

稻、禾より後れて熟せば、稻を後年に計えよ。已に獲たらば、數を上せ。粲と糯𪏻の稻を別て。粲と糯の釀を別て。歲ごとに之れを異にして積み、增して積むことなかれ。以て客に給せば、十月に到りて數を牒書し、内史に上(のぼ)せ。  倉

また、『秦律十八種』簡116-117に

116   興徒以爲邑中之紅(功)者,令𥿍(嫴)堵卒歲。未卒堵壞,司空將紅(功)及君子主堵者有罪,令其徒復垣之,

117   勿計爲䌛(徭)。

徒を興こして以て邑中の功を爲す者は、令して堵(かき)を嫴(うけあ)いて歲を卒(お)えしむ。(歳を)未だ卒えずして堵壞れば、司空の功を將(ひき)いる(もの)及び君子の堵を主る者、罪有り、その徒に令して復たこれを垣(きず)かしむ。計して徭と爲すなかれ。

という表現には、特定の項目として計上する意味が込められている。

計上の意から轉じて、戶口・墾田・金錢財物・税收等の增減や總數を年度單位で記した帳簿・會計をも表す。『韓非子』難二には、

李兌治中山,苦陘令上計而入多。

李兌、中山を治むるに、苦陘令、計を上して入るる多し。

と、いい、『戰國策』齊策に

靖郭君謂齊王曰:五官之計,不可不日聽也而數覽。

靖郭君、齊王に謂いて曰わく、五官の計、日々聽いて數(しばしば)覽ざるべからず。

というのに對して、高誘注は

計,簿書也。

計は、簿書なり。

と解釋する。『二年律令』簡214に

214   (前略)縣道官之計,各關屬所二千石官。(後略)

縣道官の計は、各々屬する所の二千石の官に關す。

とみえる「計」は、「簿書」すなわち會計書類を指す。基層の鄕・里から尉を通じて縣單位に會計のデータが集められる樣子は嶽麓秦簡(肆)の律令簡牘の次の記述から窺える。

140   尉卒律曰:爲計,鄕嗇夫及典、老月辟其鄕里之入𣫃(穀)、徙除及死亡者,謁于尉,尉月牒部之,到十月乃

141   比其牒,里相就殹(也)以會計。黔[首]之闌亡者卒歲而不歸,紬其計籍,書其初亡之年月于紬,善臧(藏)以戒其得。

尉卒律に曰わく、計を爲(おさ)むるに、鄕嗇夫及び典・老、月ごとに、其の鄕里の穀を入れ、徙除し及び死亡する者を辟(と)い、尉に謁(つ)ぐ。尉、月ごとに牒もて之れを部(す)べ、十月に到りては乃ち其の牒を比べ、里ごとに相就かしめて以て會計す。黔首の闌亡する者、歲を卒うるも歸らざるは、其の計を籍より紬(ひきつづ)り,其の初めて亡ぐるの年月を紬(つづ)りに書き、善く藏して以て其の得(とら)えらるるを戒む。

なお、「計」に對して「校」が、計に基づいて「考課」が行われる關係上、傳世文獻では「計」は「校」や「考課」とやや混同される傾向にある。例えば、『廣雅』釋言には、

計,校也。

計は、校(くら)ぶる也。

といい、董仲舒『春秋繁露』考功名には、

前後三考而絀陟,命之曰計。

前後三たび考えて絀陟するは、命じて之れを計と曰う。

と述べるが、睡虎地秦簡や里耶秦簡等の出土史料から判斷する限り、計は、會計そのものを指し、「校」や「課」とは明確に區別される。「校」と「課」は簡8-????と8-????の注?と?を參照。また、定期的に會計を郡や朝廷に報告する「上計」制度から轉じて、「計」字が「上計の吏」を表す場合もある。簡8-0108+8-0002注?を參照。

[iv] 付計・受計、會計用語、他の會計に付(わた)したもの若しくは他の會計より受けたものとして計上することをいう。物品・勞務・人員ごとに會計を管轄して責任を負う役所が定められているのは、『秦律十八種』簡139-140に

139     (前略)官作居貲贖責而遠其計所官者,盡八月各以其作日及衣數告其計所官,毋過九月而觱(畢)到

140     其官。官相紤(近)者,盡九月而告其計所官,計之其作年。(中略) 司

官に作して、貲に居して責めを贖うに、その計する所の官より遠き者は、八月を盡くして各々その作日及び衣數を以てその計する所の官に告ぐ。九月を過ぎずして畢(ことごと)くその官に到らしめよ。官の相近き者は、九月を盡くしてその計する所の官に告げ、これをその作せるの年に計えよ。

          司(空律)

とみえる「計所官」という表現から判明する。役所閒に物品・勞務・人員の移轉が發生すれば、『秦律十八種』簡070に

070   官相輸者,以書告其出計之年,受者以入計之。八月、九月中其有輸,計其輸所遠近,不能逮其輸所之計,

071   □□□□□□□移計其後年。計毋相繆(謬)。工獻輸官者,皆深(探)以其年計之。                      金布律

官の相輸(おく)る者は、書を以てその計より出だすの年を告げ、受くる者、(その年を)以てこれを入れて計(かぞ)う。八月・九月中、其れ輸る有らば、其の輸る所の遠近を計うるに、其の輸る所の計に逮ぶ能わずんば、□□□□□□□計を其の後年に移せ。計、相謬(あやま)らしむることなかれ。工の獻じて官に輸る者は、皆な探(の)ばして其の年を以て之れを計えよ。    金布律

と見えるように、それぞれの役所では、會計の「出」と「入」の方にそれを計上しなければならない。その際、移轉事由として、「某會計に付した」もしくは「某會計より受けた」と記載して、管轄の移轉を明記すると推定される。正確にそのように處理した計簿の實物は現存していないが、次の懸泉置漢簡の「費用簿」(I0112③: 61-78)に「受縣」とあるのは、縣計からの「受計」に相當すると考えられる。

縣(懸) 泉置元康五年正月過長羅侯費用薄(簿)。縣掾延年過。(61)

入羊五,其二睪(羔),三大羊,以過長羅侯軍長吏具。62

入鞠(麴)三石,受縣。63

出鞠(麴)三石,以治酒之釀。64

(中略)

入酒二石,受縣。73

出酒十八石,以過軍吏廿(二十),斥候五人,凡七十人。74

□凡酒廿(二十)。其二石受縣,十八石置所自治酒。75

凡出酒廿(二十)石。76

出米廿(二十)八石八斗,以付亭長奉德、都田佐宣以食施刑士三百人。77

□凡出米卌(四十)八石。78

縣(懸)泉置、元康五年正月、長羅侯を過ぐすの費用が簿。縣掾の延年、過ごす。

入る、羊五。其の二は羔(こひつじ)、三は大羊。以て長羅侯が軍の長吏を過ごす。具(そな)わる。62

入る、麴(こうじ)三石。縣より受く。63

出だす、麴三石。以て酒の釀を治む。64

入る、酒二石。縣より受く。73

出だす、酒十八石。以て軍吏二十・斥候五人、凡そ七十人を過ごす。74

□凡そ酒二十。其の二石は縣より受け、十八石は置の自ら治むる所の酒。75

凡そ出だす、酒二十石。76

出だす、米二十八石八斗。以て亭長の奉德・都田佐の宣に付(わた)し、以て施刑士三百人に食らわしむ。77

□凡そ出だす、米四十八石。78

[v] 計年・計名、計簿の年度と名稱。計簿は、年度と内容によって分類して保管されていたようであるが、内容を識別するためには、「器計」(8-0021)・「田車計」(8-0410)・「貲責計」(8-0480)・「禾稼計」(8-0481)等の表題が付けられていた。「計の年・名を署して報を爲せ」とは、(移籍前の)計簿の年度と表題を明記して報告せよという指示。

[vi] 署、しるす意、筆で書くという意味の「書」と違って、所定の事項を所定の場所に記すこと、つまり記入・題署を表し、多くの場合は文書の宛書を指す。『釋名』釋書契には、

書稱題,題諦也,審諦其名號也;亦言第,因其第次也。書文書檢曰署,署予也,題所予者官號也。

書くをば題すると稱するは、題、諦(つまび)らかにする也、其の名號を審諦する也。亦た第と言うは、其の第次に因る也。文書が檢を書くをば署と曰うは、署、予うる也、予うる所の者が官號を題する也。

といい、『玉篇』网部もそれを踏襲して、

署,書檢。

署は、檢を書くなり。

という。本簡の二つ目の「署」は、簡8-0293+8-0061+8-2012の「署中曹發」や8-0197の「署主吏發」と同様に、発信者が受信者に対して、返信の際担当部署を題署するように、つまり開封者指定を求めているが、それは、嶽麓秦簡(四)の律令簡牘に

281     興律曰:諸書求報者,皆告令署某曹發。弗告曹,報者署報書中某手。告而弗署,署而環(還)及弗告,及

282     不署手,貲各一甲。

興律に曰く、諸そ書の報を求むる者は、皆な告げて令して某曹発けと署(しる)させよ。曹を告げずんば、報ずる者は報ずる(ところの)書の中の某手を署せ。告ぐるも署さざる(もの)、署すも還し及び告げざる(もの)、及び手を署さざるは、貲すること各々一甲、と。

と見える律の明文規定に基づく。実際に里耶秦簡には、「某曹/主某發」と記した封緘簡牘も数多く見受けられるが、「署」は、封検の宛書に限定せず、本簡の最初の「署」のように広く文書や簿籍に所定の内容項目を記入する意味にも用いられる。『秦律十八種』には、

201     道官相輸隸臣妾、收人,必署其已稟年日月,受衣未受,有妻毋(無)有。受者以律續食衣之。                                                                                                  屬邦〼

道官、隸臣妾・收人を相輸(おく)るに、必ずその已に(食を)稟(う)けたる年日月・衣を受けしや未だ受けざるや、妻の有るや無きやを署(しる)せ。受くる者は、律を以て續けてこれを食・衣す。    屬邦

と、隷臣妾等の移管に際して、衣食の受給状況等を記入して通知する規定が見える。嶽麓秦簡(四)の律令簡牘には、

178     (前略)黔首老弱及𤵸(癃)病,不可令奔敬(警)者,牒書署其故,勿予符。(後略)

黔首の老弱及び癃病もて令して警に奔らしむべからざる者は、牒書して其の故を署(しる)し、符を予うるなかれ。

と、老弱等のため徴発できない者について、本人に割符(「五寸符」)を手渡す代わりに、通常の木簡(「牒」)に記録して徴発できない理由を明記するように定める奔警律の逸文が記されている。また『奏讞書』には、

177     (前略)臣案其上功牒,署能治禮。(後略)

臣、其の上功牒を案ずるに、能(よ)く禮を治むと署す。(後略)

というように、人事評価に関わる「上功牒」という書類に、「能治禮」という評価項目が記されていることを「署」と表現している。里耶秦簡にも簡8-0138+8-0522 +8-0174+8-0523や簡8-0746+8-1588に「各自署廟所質日」や「署其犯灋(法)爲非年月日」といった類似用例が見受けられる。

なお、『説文解字』网部によれば、署は配置・配属を本義とする(簡8-0178注?参照)が、しるすという字義は、文字を所定の場所に配置することを表す転義ではないかと推測される。