讀下:8-1459a+8-1293a+8-1466a=8-1459b+8-1293b+8-1466b

文書構造

讀み下し文

文書本體

書出

三十五年(212)三月庚寅朔丁酉(08)、貳春鄕の茲(じ)、敢えて之れを言う。

本文

状況説明

佐の詘(くつ)、自言すらく

士伍なり。泥陽(縣)の益固里に居す[i]。故と廢戍、女陰に署す[ii]

今□□□【……】四歲。

用件

謁うらくは、泥陽に告げて詘(くつ)に令して□【……】せしめよ。

【……】前書、その【……】せざるを畏る。【……。】

書止

【敢えて之れを言う。】

附記

集配記録

四月壬戌(04)、日入、戍卒の寄、以て來る瞫(しん)發(ひら)く。

作成記録

詘手す。

[i] 居、初出

[ii] 署、配置すること、人の場合には配属することもしくは配属されることをいう。小徐本『説文解字』网部には、

署,部署也。

署、部署する也。

といい、段玉裁は、

部署猶處分。疑本作罘署,後改部署也。項羽本紀曰:梁部署吳中豪傑爲校尉、候、司馬。急就篇曰:分別部居不雜廝。魯語孟文子曰:夫位政之建,署位之表也。署所以朝夕虔君命也。按官署字起於此。

部署は猶お處分がごとし。疑うらくは、本罘署に作り、後に部署に改めし也。(『史記』)項羽本紀に曰わく、梁、吳中の豪傑を部署して校尉・候・司馬と爲す、と。『急就篇』に曰わく、部居を分別して雜廝せず、と。(『國語』)魯語に、孟文子曰わく、夫れ位は政の建、署は位の表なり。署は朝夕君が命を虔(つつし)むる所以なり、と。按ずるに、官署の字、此れより起こる。

と注釈する。秦漢の簡牘資料ではまだ官署・官庁と断定できる用例は確認できないが、嶽麓秦簡(四)の律令簡牘に

178     (前略)其故儌縣道

179     各令,令守城邑害所,豫先分善署之,財(裁)爲置將吏而皆令先智(知)所主。(後略)

其の故儌・縣道は、各々令に令して城邑の害所を守せしむ。豫先(あらかじ)め分ちて善く之れを署し、裁(はか)りて爲に將吏を置き、而して皆な令して先に主る所を知らしむ。

と、

184     (前略)戍在署,父母、妻死,

185     遣歸葬。

戍(もり)、署に在りて、父母・妻死なば、遣わして歸葬せしむ。

と、配置・配属する意味の動詞と、配属先・持ち場という意味の名詞とが容易に識別できる。持ち場はまた簡簡8-0060+8-0656+8-0748+8-0665や8-1450に見られるように「署所」つまり「署する所」とも表現される。