讀下:8-1343+8-0904

文書構造

讀み下し文

添付書類(遷陵縣官上行文書)

文書本體

書出

【三十二年(215)五月丙子朔某日、某職の某人、敢えて之れを言う。】[i]

本文

状況説明

【前日言わく(?)、】

【……】城旦の瑣、三月乙酉(09)を以て遝せらるる有り。

隸妾の益、書を守府に行るも、因りて益を止め[ii]令して邸を治め[iii](瑣が)處[iv]に代わらしむ。

用件

謁うらくは、倉・司空に令して[v]、瑣、三月乙酉(09)を以て邸を治せざるを簿せしめよ[vi]

書止

敢えて之れを言う。

附記

送達記錄

【(五月)某日某時某人發(ひら)

作成記錄

【某手す。】

遷陵縣下行文書

書出

/五月丙子朔甲午(19)、遷陵守丞の色、倉・司空主に告ぐ。{筆跡の異同は判然とせず。}

用件/書止

律令を以て從事し、書を傳えよ[vii]

附記

送達記錄

五月某日某時某人(某處行る

作成記錄

/圂(こん)手す。

[i] 右端に認められる僅かな墨跡から、本簡の右側が裁斷されたと推定される。28㎜という殘存の幅および文書の内容から推測するに、約一行分の簡面が裁斷され、殘缺部分の正面には、文書の書出と状況説明の前半が、背面には送達記錄と作成記錄とが記されていたと考えられる。

樣式論的には、文書の書出は曆日・發信者・發信形式からなるが、曆日は、遲延に關する記述がないことから、後續文書の「五月丙子朔甲午」に近い「五月丙子朔某日」、發信者は、記述内容から、「治邸」という作業を擔當する鄕もしくは縣官の長官、發信形式は、文書末尾の記述から、「敢言之」と判る。後續文書では、五月の朔日が繰り返し明記されるが、同樣に同じ月の朔日が繰り返される事例は、簡8-1203+8-0110+8-0669・5-01・8-1525・8-2002+8-0673・8-0157にも確認される。また、用件として、倉と司空に對する縣廷の指示が求められていることから、倉もしくは司空を發信者とする可能性が低く、邸所在の鄕から發信されたものと思われる。

状況説明については、「今」が城旦の瑣が召喚された「三月乙酉」の時點を指すことから、「今」以下の文章も他の資料からの引用と考えられる。状況説明が文書發信者以外の者による場合には、それに對する發信者の對應が明記されるはずであることから、本文書では、簡8-0677に見える「前日言」の如く、發信者自身が以前に縣廷に提出した文書の一部を引用して、然るべき處理を催促していると推測される。つまり、本文書は、閒接的な形ではあるが、「追」類の下行文書と同じ機能を表出していると言える。このように解釋すれば、「三月乙酉」から「五月甲午」までの遲延も矛盾なく説明できよう。

以上の推理に閒違いがなければ、「謁」以下の文章も、以前の文書からの引用に係るが、引用のこの部分は同時に本文書の催促内容でもあるので、用件の欄に揭げて區別した。

[ii] 止、とどめる意(簡8-0143+8-2161+8-0069注?參照)、ここでは、「書を守府に行る」手はずとなっていた隸妾の益を太守府に行かさず、「治邸」という別の勞役のために留め置くことを指す。「止」が後續の勞役を擔當する刑徒を目的語とすることは、簡8-0143+8-2161+8-0069の類例から判る。

なお、文法的には、この一文は所謂「連動共賓」構造を示し、「益」は、「止」と「令」という二つの動詞の共通の目的語である。卽ち、「止令益」は「益を止める」ことと「益に令する」という二つの動作に分けて理解される。「止めて益に令して云々」という讀み下し方も考えられるが、原文の文法構造に卽して益という目的語に對して「止める」と「令する」という二つの動詞を竝べる表現とした。

[iii] 邸、初出。

治邸、初出。

[iv] 處、とどまる・暫定的に居る義から轉じて地位の意(簡8-1518+8-1490注?參照)。ここでは、隸妾の益が城旦の瑣に代わって「治邸」という作業に從事することを、瑣が占めていた地位に代わるという意味で「代處」と表現する。

[v] 案語(倉=食糧支給、司空=労働管理。依頼者=治邸担当機関)

[vi] 簿、ちょうめん・帳簿、ここでは転じて記帳すること。『荀子』正名には、

五官簿之而不知。

五官は之れを簿するも知らず。

といい、『魏書』太祖紀には、

簿其珍寶畜產,名馬三十餘萬匹,牛羊四百餘萬頭。

其の珍寶・畜產を簿するに、名馬は三十餘萬匹、牛羊四百餘萬頭あり。

という。

[vii] 傳書、書を傳える、つまり文書を轉送すること。本簡に記載された遷陵縣廷の下達文書は、同時に縣官の倉と司空に宛てられているが、簡9-0710に見られる同類の文書では、集配記錄として「隸臣【の某、】倉に行る」と明記されている。縣内の傳達經路が定まっていたという前提に立てば、本簡の場合にも、傳書とは、縣廷の文書を倉が司空に轉送する意味に解される。

一方、縣廷から同時に尉・鄕・司空・倉に宛てられている簡⑯0005と⑯0006の下達文書には、「書に聽(したが)いて從事せよ」という執行命令に續けて、「尉は、書を都鄕・司空に別(わか)ち、司空は倉に傳えよ」という轉送指示が記されている。尉を起點とした傳達經路では、本簡とは逆に司空から倉へと文書が轉送されていたようである。