讀下:8-1328+8-1324

文書構造

讀み下し文

文書本体

出納物品

【……。】

本文

【三十一年(216)七月辛】亥朔朔日[i]、田官守の敬・佐の壬・稟人の娙、出だし、居貲士伍江陵東就の娤に稟(さず)く。

附記

監查記録

【令】史逐、視平す。

作成記録

壬手す。

[i] 本簡の作成年代は、関係者の経歴および干支の残留筆画に基づいて推定される。案ずるに、敬と壬という人物は、何れも秦始皇二十七年から三十四年もしくは三十五年まで、官佐から令佐もしくは官嗇夫までその経歴について比較的多くの史料が残されているが、田官守もしくは田官佐を務めた経歴は全く同じく三十一年正月と同年四月から七月までの間に確認される。娙という人物は、田官の稟人として複数回見られるが、期間は三十一年四月から七月となっている。令史の逐も、同期間中11回も見受けられる。以上を要約すると、本簡にみられる関係者については、四人の経歴が田官と関連して重なるのは、三十一年四月から七月の期間中に限定される。この期間の朔日を調べると、癸未(四月)・壬子(五月)・壬午(六月)・辛亥(七月)とあるが、残留筆画とぴったり合うのは、辛亥のみである。