文書構造 |
讀み下し文 |
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文書本體 |
書出 |
【某年某月某日朔某日、某職某人、敢えて之れを言う。】 |
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本文 |
状況説明 |
【……】 |
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【……】月及び譴問[i]する所を【……せよ】。亟やかに言え。 |
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用件 |
●今 |
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【……。】 |
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書止 |
【敢えて之れを言う。】 |
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附記 |
集配記録 |
【……。】 |
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作成記録 |
【某手す。】 |
[i] 譴問、譴はせめる・とがめる意、問はきく・しらべる意、懲戒處分を目的とした問責もしくは聞き取り調査と推定される。『三國志』呉志・呂範傳には、
權守陽羨長,有所私用,策或料覆,功曹周谷輒爲傅著簿書,使無譴問。
權、陽羨長を守するに、私に用うる所有り、策或は料覆せんとするも、功曹周谷輒ち爲に簿書に傅著し、譴問せらるる無からしむ。
本簡では、上級機關が、職務上の義務違反について、事實關係(「……月」)と聞き取り調査を受けた責任者の名前を報告するように指示していると考えられる。なお、出土資料には、類義語として「譴讓」という單語が見受けられるが、1970年代居延漢簡の簡E.P.T53:113(A8)に
辦所當辦,毋令將軍到不辦,有譴讓〼
當(まさ)に辦ずべき所を辦ぜよ。令して、將軍到るも辦ぜず、譴讓する有らしむるなかれ。【……】
というように、表現は、『三國志』の「使無譴問」と酷似することから、「譴問」の「問」にも問責する・とがめる意味が込められている可能性も否定できない。