讀下:8-0919

文書構造

讀み下し文

文書本體

書出

【某年某月某日朔某日、遷陵の某、】令佐の唐に謂う。

本文

假りに畜官【嗇夫[i]】と爲り【……せよ。】

書止

【它は律令が如くせよ。】

附記

送達記錄

【-[ii]

作成記錄

【某手す。】

[i] 假は、官職の代行形態の一種(簡8-2371注?参照)、本簡記載の文書は、遷陵県令あるいは丞が令佐唐に下した畜官假嗇夫に任ずる辞令と考えられる。案ずるに、令佐が県官の吏として假されたことは、8-1231に「倉吏見三人,其一叚(假)令佐」とあることからも確認できる。また、本簡と同名の唐という人物が「叚(假)少内」(8-888+936+2202、8-1771)として見えること、令佐倶(8-0497・2204+0891+0933・1751+2207)と同名の人物が司空守(司空守嗇夫)を務めていること(8-0452・0824+1974・0854・0898+0972・1544・2180+2093)などから、令佐が県官の官職を代行する際は官嗇夫に相当することがわかる。したがって本簡の場合も、令佐唐が假するのは畜官嗇夫であると考えられる。

時代は下るものの、肩水金関漢簡に、

五鳳元年十一月乙卯朔辛酉,肩水候福謂

關嗇夫光。候行塞,光兼行候事。真官到〼(73EJT8:8)

五鳳元年十一月乙卯朔辛酉、肩水候福、關嗇夫光に謂う。候、塞を行(めぐ)れば、光は兼ねて候の事を行え。真官到らば……

とあるのは、肩水候が肩水金関嗇夫に対して、候の職務を代行するよう命じた文書であり、本簡記載の文書と類似する。

[ii] 簡8-0197や8-1449+1484において守丞発信文書の送達役を担っているように、令佐は令・丞と同じく県廷に勤務する吏である。つまり、本文書は遷陵県廷内部において令佐唐個人に宛てたものであるため、集配記録が記載されていた可能性は低い。もし集配記録があったとすれば、自らの身分・権限を証明するために令佐唐自身が任地である畜官へ持って行ったという記録(「(某月)某日某時,令佐唐行畜官」)であると推測される。