文書構造 |
讀み下し文 |
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文書本體 |
書出 |
三十五年(212)五月己丑朔庚子(12)、遷陵守丞の律、啓陵鄕嗇夫に告ぐ。 |
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本文 |
状況説明 |
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用件 |
旦食を以て遣わし、自致せしめよ[iii]。 |
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書止 |
它は律令有り[iv]。 |
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附記 |
送達記錄 |
五月庚子(12)、鄕守の恬(てん)、書を受く。{筆跡の同異は判然とせず} |
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作成記錄 |
敬手す。 |
[i] 恬、人名、啓陵鄕嗇夫の守官(代行)と推定される。實質的には受信者の啓陵鄕嗇夫と同一の人物となるが、「鄕嗇夫」が正式な受信者表記であるのに對し、「鄕守」は、現にその職務を代行している恬という人の實際の官職名と考えられる。類似した狀況は、簡 J1⑫1786+⑧2260の「尉主」と「尉橐」とに認められる。
[ii] 論事、論ずべき事案・事件、つまり刑事事案。文法構造が同じ表現としては「(官獄/官)徵事」が擧げられる。例えば、1970年代居延漢簡の簡73EJT10:312A(A32)には次のようにいう。
五鳳元年六月戊子朔癸巳,東鄕佐眞敢言之:宜樂里李戎自言:爲家私市長安張掖界中。謹案:
戎毋官獄徵事,當爲傳。謁移廷。敢言之。
文書構造 |
讀み下し文 |
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文書本體 |
書出 |
五鳳元年六月戊子朔癸巳、東鄕佐の眞、敢えて之れを言う。 |
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本文 |
状況説明 |
宜樂里の李戎、自ら言わく、 |
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家が爲に、長安張掖界中に私市す。 |
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用件 |
謹みて案ずるに、 |
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戎、官・獄もて徵す(べき)事なければ、當に傳を爲すべし。 |
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謁うらくは、廷に移せ。 |
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書止 |
敢えて之れを言う。 |
意味論的には、『二年律令』に、
104 事當治論者,其令、長、丞,或行鄕官視它事不存及病而非出縣道界也,(後略)
105 (前略)其守丞及令、長若眞丞存者所獨斷治論有不當者,令眞令、長、
106 丞不存及病者,皆共坐之,如身斷治論及存者之罪。(後略)
事の當(まさ)に治・論ずべき者、其れ令・長・丞、或は鄕官に行きて它事を視て存せず、及び病むも縣道が界を出づるに非らざるや,其の守丞及び令・長若しくは眞丞の存する者の獨り斷する所の治・論に當ならざる有る者は、眞令・長・丞の存せず及び病みたる者に令して、皆な共に之れに坐ぜしむること、身(みずか)ら治・論を斷じ及び存する者の罪が如くせよ。(後略)
と見える「事の當(まさ)に論ずべき者」が近い。傳世文獻では、「獄事」と稱する。『漢書』成帝紀顏師古注所引の『漢舊儀』には、
尚書四人爲四曹:常侍尚書主丞相御史事,二千石尚書主刺史二千石事,戶曹尚書主庶人上書事,主客尚書主外國事。成帝置五人,有三公曹,主斷獄事。
尚書四人、四曹と爲す。常侍尚書は、丞相・御史が事を主り、二千石尚書、刺史・二千石が事を主り、戶曹尚書、庶人の上書が事を主り、主客尚書、外國が事を主る。成帝、五人を置き、三公曹有り、斷獄が事を主る。
という。なお、『封診式』簡006に見える「有鞫」が限定的に縣廷に係屬中の事案をいうのに對し、「(有)論事」は、手續進行を問わず、漠然として刑事絡みの事案(人事處罰・行政處罰を含む)を指す。
[iii] 自致、「自らを致す」の倒置表現、出向くこと、出頭すること。『漢書』司馬相如傳に
南夷之君,西僰之長,(中略)皆鄕風慕義,欲爲臣妾,道里遼遠,山川阻深,不能自致。
南夷の君、西僰の長、(中略)皆な風を鄕(むか)いて義を慕い、臣妾たらんと欲するも、道里遼遠にして、山川阻深なれば、自致するを能わず。
というのは、朝廷に出向くこと、1930年代居延漢簡に
九月乙亥,觻得令延年、丞置敢言之:肩水都尉府移肩水候官告尉、謂東西南北部
義等,補肩水尉史、隧長、亭長、關佐,各如牒。遣自致。趙侯、王步光、成敢、石胥成皆
書牒署從事、如律令。敢言之。 1930年代居延漢簡 97.10/213.1 A33
文書構造 |
讀み下し文 |
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文書本體 |
書出 |
九月乙亥、觻得令の延年・丞の置、敢えて之れを言う。 |
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本文 |
状況説明 |
肩水都尉府、肩水候官の尉に告げ東西南北部【……】に謂う【の書(?)】を移するに |
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【……】義等、肩水尉史・隧長・亭長・關佐に補すること、各々牒が如し。遣わして、自致せしめよ。 |
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用件 |
趙侯・王步光・成敢・石胥成、皆な【……】書牒署に【聽いて】從事すること律令が如くせしめん【ことを謁う(?)】。 |
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書止 |
敢えて之れを言う。 |
という見えるのは、赴任の意味である。本簡では、「論事」から判るように、司法手續のための出頭が命じられているが、類例としては、『後漢書』張禹傳の次の記述が擧げられる。
功曹史戴閏,故太尉掾也,權動郡内。有小譴,禹令自致徐獄,然後正其法。自長史以下,莫不震肅。
功曹史戴閏、故(もと)太尉掾にして、權、郡内を動かす。小譴有り、禹、令して徐獄に自致せしめ、然る後に其の法を正す。長史より以下、震肅せざるなし。
[iv] 它有律令、居延漢簡等の西北出土簡牘史料に頻出する「它如律令」と同樣、下行文書の末尾に用いられる慣用語、原義は、「它は律令が如くせよ」が、「文書で具體的に指示を與えている以外は法令の規定通り處理せよ」というのに對し、「它有律令」は、「文書で具體的に指示を與えている以外は依據するに法令がある」という意味。漢代簡牘史料には、後者のみが見られるのに對して、秦簡では、兩者は倂用されており、現在のところ意圖的な使い分けの痕跡が認められない。本簡のほか『爲獄等狀』には、
025 廿(二十)五年七月丙戌朔乙未,南郡叚(假)守賈報州陵守綰、丞越:(後略)
029 (前略)受人貨材(財)以枉律令,其所枉當
030 貲以上,受者、貨者皆坐臧(贓)爲盜,有律,不當𤅊(讞)。獲手,其貲綰、越、獲各一盾。它有律令。
二十五年七月丙戌朔乙未、南郡假守賈、州陵守綰・丞越に報ず。(中略)人より貨財を受けて以て律令を枉(ま)げ、その枉ぐる所、まさに貲罪以上とすべきは、受くる者・貨(おく)る者、皆な贓に坐して盜と爲す。律有ればまさに讞すべからず。獲手すれば 、それ綰、越、獲を貲(はか)ること各々一盾。它は律令有り。
という用例が見える。「它有律令」と類似表現として更に「有律」(前揭簡30)・「有令」(『爲獄等狀』簡102・里耶秦簡8-0070等)・「有券」(『爲獄等狀』簡029・109)・「有約」(里耶秦簡8-1008)等が注目に値する。何れも根據もしくは證據として「律」・「令」・「券」・「約」が取り上げられる點で「它有律令」に關する上記の語釋を裏付けるほか、「有約」については、「它有律令」と同樣に「有」字を「如」字に置き換えた「它如約」という表現が西北漢簡(E.P.F16:6等)に確認される。