讀下:8-0769a=b

文書構造

讀み下し文

文書本體

書出

三十五年(212)八月丁巳朔己未(03)、啓陵鄕守[i]の狐(こ)、敢えて之れを言う。

本文

状況説明

廷、令書[ii]を下して曰わく、

鮫魚[iii]を取りて山今鱸魚[iv]と與に、之れを獻(たてまつ)れ。

津が吏徒[v]に問うも、知る莫し。

●問う。

この魚を知る者(あらば)、具(つぶさ)に物色[vi]を署(しる)せ。

[vii]を以て言え。

用件

●之れを問うに、

啓陵鄕が吏・黔首・官徒、知る(もの)なし。

書止

敢えて之れを言う。

附記

受取指定

●戶曹[viii]

集配記録

八月□□旦、郵人の□、以て來る/□發(ひら)く。

作成記録

狐(こ)手す。

[i] 鄕守、官職名担当。(8-0652+8-0067の「尉守」の「守」と重複するが、改めて「鄕守」を説明すべし)

[ii] 令書、上級機関の命令書と推測される。里耶秦簡では、特に上級機関の命令を下級機関に伝達する際に、「令書」という概念が用いられる。例えば、簡8-0769正には、啓陵郷が県廷が下した「令書」と関連して、献上品の鮫魚と山今盧(鱸)魚に言及し、簡9-1411正では、貳春鄕が丞相の指示を内容とする文書を令書と称する。そのほかに、簡J1⑫1178には、県令もしくは県丞が、尉や鄕官嗇夫に対する下達文書の中で、令書を引用して、「公夫﹦(大夫)張」の処置に関する指示を下している。一方、里耶秦簡における令書の用例は何れも秦始皇二十六年以降に関わるので、皇帝の命令はすでに「制」と「詔」の専称に収斂されており、令書に皇帝の命令が含まれる可能性がない。里耶秦簡の用例からすれば、『秦律十八種』簡185に見える令書も中央官庁の命令書と理解すべきように思われる。

              令書、廷辟有曰報,宜到不來者,追之。       行書

              令書・廷辟に、報ぜよと曰う有り,宜しく到るべきに來ざる者は、之れを追え。              行書

(整理小組によれば、冒頭の「令」は簡184末尾の「勿」に続けて「勿令」と読むべしというが、文章としてやや不自然に感じられるほか、「書廷辟」以下の文意は通じがたくなる。Hulseweもすでにこの問題を指摘している(86頁)。)

[iii] 鮫魚、初出(正確に魚の種類を確定するのが難しかろう。校釈の説明を紹介するにとどめるか。或いは村上さんに依頼するか)

[iv] 山今鱸魚、初出(正確に魚の種類を確定するのが難しかろう。校釈の説明を紹介するにとどめるか。或いは村上さんに依頼するか)

[v] 吏徒、初出(「官徒」との違いに留意すべし。訳注稿xlsx8-1514を参照)

[vi] 物色、初出(訳注稿xlsx8-0085を参照)

[vii] 書、初出(訳注稿xlsxに関連注案多し→整理すべし)

[viii] 曹、官職名担当(訳注稿xlsx8-1533を参照)

戶曹、官職名担当

なお、目下知られている曹は次の通りである。

遷陵県

令曹・覆曹・金布曹・尉曹・兵曹・獄南曹(また南曹)・獄東曹・司空曹・倉曹・戸曹・吏曹・車曹(庫の部署?)・讂曹(遷陵かどうか定かでない)

(尉・吏曹や倉・司空曹といった連称も見られる)

遷陵以外

中曹(洞庭)・廐曹(洞庭)・〼東曹・爵曹(郡尉)・【香+麥】/散(?)曹(鄧県)