文書構造 |
讀み下し文 |
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添付書類 |
【四時獻者上吏缺一牒】 |
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文書本體 |
書出 |
三十三年(214)六月庚子朔丁未(08)、遷陵守丞の有、敢えて之れを言う。 |
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本文 |
状況説明 |
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式に倣(なら)いて上せ。 |
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用件 |
今 |
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牒もて書に應ずる者一牒を書し、上す。 |
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書止 |
敢えて之れを言う。 |
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附記 |
集配記録 |
六月乙卯(16)[iii]、旦、守府の卽、行る。 |
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作成記録 |
履手す。 |
[i] 四時、四季のこと。『禮記』孔子閑居には、
天有四時,春夏秋冬。
天には四時有り、春夏秋冬なり。
という。
四時獻者、獻はたてまつる、獻上する意、獻者は、獻上品を屆け出る役人を指し、季節ごとに割り當てられた獻上品を縣から郡に屆け出るから、郡の指示では、その役人を四時獻者と稱する。季節ごとに入貢することは、
大王誠能聽臣,臣請令山東之國奉四時之獻。
大王、誠によく臣に聽えば、臣請うらくは、山東の國に令して四時の獻を奉らしめよ。
という蘇秦の言葉(『史記』蘇秦列傳)にみえるように、戰國時代に一般的に行われており、本簡では、遷陵縣の文書で、「四時獻者」が吏缺を報告するという郡の指示が引用されていることから、「四時獻者」とは、郡に獻上品を提出する役人と推定される。獻上品は最終的に朝廷に奉られるが、8-1562や8-2011には、末端機關の鄕から「獻鳥」等の獻上品が調達される姿、8-0855には、郡から縣に對して關連ノルマが課せられる事實などが判明する。
[ii] 吏缺、官吏の缺員。『晉書』宣五王列傳には
詔議藩王令自選國内長吏。攸奏議曰(中略)。其後國相上長吏缺,典書令請求差選。
詔して、藩王、令して自ら國内の長吏を選ばしめんことを議せしむ。(齊獻王)攸、奏議して曰わく(中略)。其の後、國相、長吏が缺を上し、典書令、請求して差選せしむ。
という。『秦律十八種』簡157-158には、
157 縣、都官、十二郡免除吏及佐、群官屬,以十二月朔日免除,盡三月而止之。其有死亡及故有夬(缺)者,爲補
158 之,毋須時。 置吏律
縣・都官・十二郡、吏及び佐・群(もろもろ)の官屬を免除するに、十二月朔日を以て免除し、三月を盡くして之れを止む。それ死・亡し及び故(ゆえ)もて缺する有る者有らば、爲に之れを補い、時を須(ま)つなかれ。 置吏律
というように、缺員の補充を隨時行ってよいという規定が見えるが、本簡から判斷すれば、實際は郡が縣の缺員について一定の監察を行ったと推測される。つまり、季節ごとに、郡に獻上品を提出する際、縣の擔當者に、缺員に關する報告を行わせて、その内容をチェックしていたようである。
なお、缺員に關する名籍の斷片は8-1137や8-0887・8-1118・8-1593に見える。居延漢簡にも、
校甲渠候移正月盡三月四時吏名籍第十二燧長張宣史案府籍宣不史不相應解何(129.22/190.30、A8)
甲渠候の移せる正月より三月を盡くす四時の吏名籍を校(くら)ぶるに、第十二燧長張宣、史なり(とあるも)、府籍を案ずるに、宣、史ならず、相應せず。解は何ぞや。
というように、季節ごとに纏められる「吏名籍」が上級機關(居延都尉府)によって照合されることが窺える。
[iii] 文書が発送された「六月乙巳」は、文書が発行された「六月丁未」よりも二日早く、極めて不自然に感じられるが、単なる誤字であるのか、何らかの必要に迫られて意図的に日付を操作したのか、このような逆転現象を惹起した事情は未詳である。