讀下:8-0755a=8-0756=8-0757=8-0758=8-0759=8-0755b

文書構造

讀み下し文

添付書類

文書本體

書出

三十四年(213)六月甲午朔乙卯(22),洞庭守の禮、遷陵丞に謂う。

本文

状況説明

丞、

徒隸、田(たがや)さず。

と言い、奏には

司空の厭等、當(まさ)に坐ずべし。皆な它罪有り、耐して司寇と爲す[i](べし)。

と曰う。書有り[ii]、書、壬が手す。

令に曰わく、

吏が僕・養・走・工[iii]・組織[iv]・守府[v]・門[vi]・削匠及び它の急事ありて令して田さしむべからざる(もの)は、六人ごとに田徒[vii]四人を予う。徒少なく、及び徒なくんば、簿もて治虜御史に移し、御史、均[viii]を以て(徒を)予う。

用件

遷陵、二十五年(222)縣と爲り[ix]、二十九年(218)田す。二十六年(221)より二十八年(219)に盡くるまで當(まさ)に田すべきに、司空の厭等失(あやま)ちて[x]これに令して田さしめず。これに令して田さしめざるは、卽(すなわ)ち徒有るもこれに令して田せしめざるや、且(は)た徒少なきや、奏に傅せず[xi]。蒼梧、郡と爲りて九歲にして乃ち往歲[xii]田すに及びては、厭が失ちなれば、當(まさ)に坐して論ずべし。

書止

卽(ただ)ちに前書・律令が如くせよ[xiii]

附記

作成記録

歇手。

文書本体

書出

七月甲子朔癸酉(10)、洞庭守の繹、遷陵を追(おいつ)む(?)

用件

-

書止

-

附記

簽發形式

●沅陽が印を以て事を行う

作成記録

歇手す

[i] 耐爲司寇、秦律複合刑の一つで、「耐罪」相當の罪に科せられる最も基本的な刑罰。「耐」は、身體刑(簡8-0144+8-0136注?參照)、「司寇」は、刑徒身分の一種、「爲」は、身分變更を表す。つまり、「耐爲司寇」とは、「耐」を施した上で、「司寇」の身分に貶めることを意味する。「司寇」は、刑徒の從事する用務としても、里耶秦簡の作徒簿に頻出し、原義は、「司」が「伺」に通じて、「寇(あだ)を司う」と理解される。刑徒身分ながら、他の刑徒の監視や治安活動・刑事搜査等に從事するため、地位は他の刑徒身分より高い。そのため、『秦律十八種』に

150   司寇勿以爲僕、養、守官府及除有爲殹(也)。有上令除之,必復請之。     司空

司寇は、以て僕・養と爲し、(以て)官府を守せしめ、及び(以て)除して爲す有らしむること勿かれ。上、これを除せしむる有るも、必ずこれを復請せよ。    司空

193   侯(候)、司寇及群下吏毋敢爲官府佐吏及禁苑憲盜。    内史雜

候・司寇及び羣(もろもろ)の吏に下されし(もの)は、敢えて官府の佐吏及び禁苑の憲盜とするなかれ。    內史雜

と傳えられるように、「僕」・「養」の雜務に驅り出されることにも、また官府内に根を張って吏に地位に就くことにも、諸種の法的制限が設けられていた。令史等の指揮の下で刑事搜査に從事する司寇の姿は、『爲獄等狀』事案十「𡿁盜殺安、宜等案」に、

154   (前略)●觸等盡別譖(潛)訊安旁田人,皆曰:不智(知)

155   可(何)人。卽將司寇晦,別居千(阡)佰(陌)、勶(徹)道,徼(邀)迣苛視不𤜜〔狀〕者。(後略)

と窺える。

[ii] 書は、證據物としての書面、文書全體(簡8-0159注?參照)を指すのに對し、言と奏は、進言もしくは報告とそれに添付された文字資料(簡8-1617+8-0869注?參照)とを區別して表現する。

[iii] 工、調度品等を製作する手工業、ここではその職人を指す。『漢書』食貨志には、

士農工商,四民有業。學以居位曰士,闢土殖穀曰農,作巧成器曰工,通財鬻貨曰商。

士・農・工・商、四民、業有り。學びて以て位に居るをば士と曰い、土を闢き穀を殖うるをば農と曰い、巧を作(な)し器を成すをば工と曰い、財を通じ貨を鬻ぐをば商と曰う。

といい、『周禮』天官・大宰の鄭玄注には、

工,作器物者。

工、器物を作る者なり。

という。『秦律十八種』には、

111   新工初工事,一歲半紅(功),其後歲賦紅(功)與故等。工師善敎之。故工一歲而成,新工二歲而成。能先期成學

112   者謁上,上且有以賞之。盈期不成學者,籍書而上内史。    均工

新工、初めて工事するに、一歲には功を半ばし、其の後は歲ごとに功を賦すること故と等しくす。工師、善くこれを敎えよ。故工、一歲にして成るは、新工、二歲にして成らしめよ。よく期に先んじて學成る者は上に謁(こ)い、上且(まさ)に以てこれを賞する有らん。期に盈ちて學成らざる者は、籍もて書して內史に上(のぼ)せ。    均工

と、「工」がその親方の「工師」に敎えられて一人前の職人になる姿が描かれている。

[iv] 組織、紐組みと機織り、ここではその方面の職人をいう。『詩經』邶風・簡兮に、

執轡如組。

轡を執ること組(く)むが如し。

というのに對し、鄭玄は、

如組者,如組織之爲也。

組むが如きは、組織の爲すが如き也。

といい、『詩經』のこの一文を引く『呂氏春秋』先己に對して、高誘は

組讀組織之組。夫組織之匠,成文於手,猶良御執轡於手而調馬口,以致萬里也。

組は、組織の組と讀む。夫れ組織の匠、文を手に成すは、猶お良御の轡を手に執りて馬口を調い、以て萬里を致すがごとき也。

と注釋する。

[v] 守府門、守府と守門か。守府は送達記錄には文書を運ぶ人員としてよく見られるほか、「守官府」や「官守府」とも稱せられ、『秦律十八種』には、

150   司寇勿以爲僕、養、守官府及除有爲殹(也)。有上令除之,必復請之。     司空

司寇は、以て僕・養・守官府と爲し、及び有爲に除すること勿かれ。上、これを除せしむる有らば、必ずこれを復請せよ。    司空

と、僕と養と倂記して現れる。嶽麓秦簡の律令簡牘には、

165   ●倉律曰:毋以隸妾爲吏僕、養、官【守】府┘。隸臣少,不足以給僕、養,以居貲責給之;及且令以隸妾爲吏僕、

166   養、官守府,有隸臣,輒伐〔代〕之┘。倉、廚守府如故。

という。僕と養が個別的に役人に仕えるのに對し、守府は、官府の雜用掛かりか。

[vi] 門、作徒簿(簡8-0244・8-0686正+8-0973正)の中で作業内容の一つとして見えており、或いは典籍にみえる「守門」に当たるとも考えられるが、ここでは、その作業に從事する人を指す呼称と解される。『禮記』祭統には、

閽者,守門之賤者也,古者不使刑人守門。

閽は、守門の賤しき者なり。古(いにしえ)は刑人を使して守門せしめざるなり。

という。守門は、秦漢の簡牘資料には見當たらない。

[vii] 田徒、初出。(誰が誰に予えるかという問題も視野に入れるべし。)

[viii] 均、ならす・平(ひと)しく徧(ゆきわた)らせる義から轉じて、人員や物質を派遣・移動させる意。『說文解字』土部には、

均,平徧也。

均、平しく徧(ゆきわた)らせる也。

といい、『詩經』大雅・皇皇者華の毛傳には、

均,調也。

均,調ぶる也。

という。また、『周禮』地官・司稼に

掌均萬民之食。

萬民の食を均しくするを掌る。

というのに對し、鄭玄は、

均,謂調度其多少。

均、其の多少を調度するを謂う。

と注釋する。詳細は判らないが、本簡の記述及び簡8-0197に見える「均佐」・「均史」から判斷する限り、秦代には、『周禮』地官の「均人」や前漢武帝期の「均輸法」と同樣に、地域閒の均衡を調整する制度が存在し、少なくとも下級の役人と徒隸を地域閒で融通していたと考えられる。嶽麓秦簡の律令簡牘には、

010   〼少府均輸四司空;得及自出者,吏治必謹訊,薄(簿)其所爲作務以

【……】少府、四司空に均輸す。得えられ及び自ら出づる者は、吏、治むるに必ず謹みて訊ね、其の爲むる所の作務を簿(ぼ)にとりて(或いは字の如く「薄(せ)まりて」)以て【……。】

と、少府による「均輸」が窺え、『二年律令』にも「均輸律」(簡227)という律名が見える。さらに、嶽麓秦簡の律令簡牘には、

308   ●制詔丞相、御史:兵事畢矣。諸當得購賞貰責者,令縣皆亟予之。令到縣,縣各盡以見(現)錢,不禁

309   者,勿令巨辠(罪)。令縣皆亟予之。■丞相、御史請:令到縣,縣各盡以見(現)錢不禁者亟予之;不足,各請其屬

310   所執灋,執灋調均;不足,乃請御史,請以禁錢貸之。(後略)

と、下賜用の物品についても、縣で不足が生じた事態に備えて、郡の執筆と御史という二段階に分けて、上級機關が「均調」もしくは「禁錢」の支給を實施する規定が記されている。

[ix] 本簡の記載によって、遷陵縣が秦王政二十五年に設置されたことが判る。

[x] 失(おちど、誤り)、初出。

『為獄等状』では、二種類の用例あり。注は次の通り。

簡014「論失」:

失,失事,在此指誤判。《法律答問》簡〇三三-〇三四:「士五(伍)甲盜,以得時直臧(贓),臧(贓)直(値)過六百六十,吏弗直,其獄鞫乃直臧(贓),臧(贓)直(値)百一十,以論耐。問:甲及吏可(何)論?甲當黥爲城旦;吏爲失刑辠(罪),或端爲,爲不直。」《二年律令》簡一〇七:「鞫之不直,故縱弗刑,若論而失之,(後略)。」論失者,卽論處誤判的官員。

日本語訳注稿:

「失」は、處理を誤る意。ここでは、「誤判」を指す。『法律答問』には、

〇三三 士五(伍)甲盜,以得時直臧(贓),臧(贓)直(値)過六百六十,吏弗直,其獄鞫乃直臧(贓),臧(贓)直(値)百一十,以論耐。問,甲及吏可(何)論。甲當黥爲城旦,吏爲失刑辠(罪)。

〇三四 或端爲,爲不直。

士伍の甲、盜む。得(とら)えられし時を以て贓を直(はか)らば、贓の値(あたい)、六百六十(錢)を過ぐるも、吏、(贓を)直(はか)らず。その獄、鞫(きわ)むる(とき)に乃(はじ)めて贓を直(はか)る。贓の値(あたい)、百一十(錢)なれば、以て耐に論ず。問うに、甲及び吏は何(いか)にか論ぜん。甲はまさに黥して城旦と爲し、吏は「刑罪を失(あやま)つ」(という罪名)と爲すべし。或は(吏が)端(ことさら)爲すならば、「直ならず」(という罪名)と爲す。

という用例が見える。「刑罪を失う」とは、刑罪相當の事案を誤って處理すること、「失せる者を論ず」とは、誤判を行った官員を論罪することを謂う。

簡095「過誤失」:

過誤失,疑爲過失和誤失,分別與後文「小犯令」和「大/小誤」相應(簡一〇五)。失,失事,卽結果失當,如《秦律十八種》簡一一五「失期」、簡一九六「失火」、《法律答問》簡〇三三「失刑罪」、《二年律令》簡一一二、《奏讞書》簡一二〇之「失」。「過」與「誤」表示導致失事的原因,「過」字似指因不遵守法令卽所謂「犯令」、「廢令」而造成的失事;「誤」則指寫錯、數錯等技術性錯誤,如《法律答問》簡二〇七 「誤氣(餼)」、《算數書》簡〇六九、〇九三、〇九六 「誤券」、《二年律令》簡〇一二「誤不審」等。「誤」又以「失事」之輕重細分爲「小誤」與「大誤」。《法律答問》簡二〇九:「可(何)如爲『大誤』?人戶、馬牛及者(諸)貨材(財)直(值)過六百六十錢爲『大誤』,其它爲小。」

[xi] この一文は、遷陵縣に對する洞庭郡の照會の核心部分と考えられる。徒隸に耕作させなかったとして、遷陵縣は司空嗇夫の厭等を耐司寇としたが、それについて洞庭郡は、人手が足りていたのに耕作させなかったのか、それとも足りなかったために耕作させなかったのか、ということを、添付資料の「奏」に明示されなかったとして問い質している。縣廷が日々各官から寄せられる作徒簿等を基に縣内の勞働狀況を把握すべきことはもちろん、廣域の人員調整を行う治虜御史への連絡業務も、縣廷に求められる役割である。そうした勞働力調整の責任を全うしなかったのではないかという疑念が、この一文に込められていると解される。

[xii] 往歲、初出。(蒼梧郡の設置年代について案語を附すべし。往歲は文書発信の秦始皇三十四年からみて前年の三十三年を指し、それが秦王政二十五年から数えて九年目に当たるので、蒼梧郡の設置年代は遷陵県と同様に二十五年。)

[xiii] 「卽」と「如前書律令」の閒には、脱簡か誤寫が疑われる。文法的には、「卽ちに前書・律令が如くせよ」と續けて讀むことはできるが、そうした場合には、耕作が行われなかった原因が明記されていないという本文書の主要な用件について何ら指示を與えないことになる。「前書の如くせよ」という指示から推測すると、「前書」は本文書の發信者が以前に發信した文書を指すと考えられるが、それに關する言及も本文書には確認できない。脱簡があるとすれば、それには、六月乙卯の文書の末尾のほか、簡8-0759と同樣に、洞庭郡の追類文書が記されていた可能性が高い。督促の閒隔が短いが、後揭の簡8-1523においても、二つの督促の閒の閒隔は、郡治から遷陵縣までの送達に要する日數よりも短い。なお、主文の指示が「卽」字を冠する例としては、簡8-0159の「卽應令(卽ちに令に應ぜよ)」が擧げられる。