讀下:8-0650b+8-1462a=8-0650a+8-1462b

𤻮、華に多問す。事變と爲る毋きを得るや。華、𤻮が爲に適に問うに、前日分つ所の養錢[i]なる者を以ってし、以って𤻮に寄遺せり[ii]。卽ち酉陽が徒、涪陵より來り[iii]、鹽を買わんこと急なるを以て、卻、道下に卽きて[iv]券を以て與えり。卻の靡(つい)やすは[v]、千錢なり。除少内□、卻・道下、養錢を操りて來りて□を視、購して之れを出だせり[vi]

[i] 養錢,養の代わりに支給される金錢か。『漢書』馮唐傳

今臣竊聞魏尚爲雲中守,軍市租盡以給士卒,出私養錢,五日壹殺牛,以饗賓客軍吏舍人,是以匈奴遠避,不近雲中之塞。

服虔曰:「私假錢也。」(『史記』張釋之馮唐列傳も同じ。)

[ii] 寄遺、寄は寄託、遺は渡す、卽ち一時的に寄託するために渡したという意味か。

[iii] 涪陵、秦の県名、『漢書』地理志上では巴郡。現在の重慶市彭水縣。一方、酉陽は、洞庭郡の縣、遷陵の東隣で、酉水の下流に当る。酉陽の徒は、涪陵からの帰途にあたり、烏水水系を遡ってから酉水を下り、途中遷陵県に立ち寄った。

[iv] 卽、つく、接近する、転じて從う、迎合するなど。《詩》衛風‧氓には、

匪來貿絲,來卽我謀。

來りて絲を貿うに匪らず、來りて我に卽きて謀る。

とあり、鄭玄箋に

卽,就也。

という。迎合義は《韓非子》孤憤篇に

若夫卽主心同乎好惡,固其所自進也。

とみえる。本簡では、卻と道下の力関係によって、卻の接近の仕方が変わり得るが、取り敢えず卻が道下とともに支出を決めたと解しておく。

[v] 靡、散らす本義から転じて、損する、浪費することを表わし、本簡では費やす意。《墨子》尚同中篇に

靡分天下,設以爲萬國諸侯。

天下に靡分し、設けて以て萬國諸侯と爲す。

とあるのは、本義に近く、節葬篇下に

此爲輟民之事,靡民之財。

此れ、民の事を輟(とろ)め、民の財を靡やすと爲す。

とあるのは、無駄に費やす転義と考えられる。

[vi] 全体的には、𤻮は、養銭を卻の損失補填にあてたという事情を華に説明していると推測されるが、「購」と「出」とが如何なる手続を指すかは未詳。