文書構造 |
讀み下し文 |
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添付書類 |
【水火敗亡課一牒】 |
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文書本體 |
書出 |
二十九年(218)九月壬辰朔辛亥(20)、貳春鄕守の根、敢えて之れを言う。 |
用件 |
水火敗亡課[i]一牒を牒書して、上す。 |
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書止 |
敢えて之れを言う。 |
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附記 |
集配記録 |
九月辛亥(20)、旦、史の邛(きょう)[ii]、以て來る。/感半(ひら)く。 |
作成記録 |
邛手す。 |
[i] 水火敗亡、
課、
水火敗亡課、(訳注稿xlsx8-1516、8-1511・8-0645を参照)
[ii] 邛、人名、文書作成者の邛と同一の人物であろう。本簡が鄕によって発行された文書であること、および8-0342に「今貳春鄕史」とあることから、邛は貳春鄕史であると考えられる。
鄕史、鄕佐と同様、鄕嗇夫の下僚と考えられるが、里耶秦簡以外は未見。『秦律十八種』に
161官嗇夫節(卽)不存,令君子毋(無)害者若令史守官,毋令官佐、史守。 置吏律
官嗇夫、卽(も)し存せずんば、君子の害なき者若しくは令史をして官を守せしむ。官の佐・史をして守せしむることなかれ。 置吏律
とみえる置吏律の規定から、官嗇夫のもとに、官佐と官史が置かれていたことがわかる。佐と史の職掌については、例えば里耶秦簡の穀物支給簡に、倉佐による作成(8-0764など)と倉史による作成(8-00217など)とで明確な差異は認められず、鄕史と鄕佐とについてもその職掌が類似していたと推測される。
一方、遷陵県に所属する吏員を記した「遷陵吏志」(J1⑦0067+J1⑨0631(9-0633))には、令史・官嗇夫・校長等と並んで官佐の人員が記されているのに対し、官史に関する記載はない。同様に、『秦律十八種』簡157-18及び嶽麓秦簡(肆)の簡220-222によって伝えられる官員任免に関する置吏律の規定には、例えば嶽麓秦簡に
220 ●置吏律曰:縣、都官、郡免除吏及佐、羣官屬,以十二月朔日免除,盡三月而止之。其有死亡及故有缺者,
221 爲補之,毋須時。(後略)
とみえるように、官史もしくは鄕史への言及がない。つまり、鄕史や官史は正式な吏員に算入でされなかったようである。
その理由については、二つの可能性が考えられる。一つには、鄕史や官史は史の有資格者が鄕佐や官佐として正規に任官しないまま、「官属」として公務に從事している状態を指す。もう一つには、史の資格保持者が佐に補任される建前にも拘らず、大半の佐が史の資格を有しないため、有資格の佐は、正式な官職の鄕佐や官佐と違って、変則的に鄕史や官史と称する。後者の場合には、邛は、「史」という個人の資格を有しつつ、鄕佐という官職に從事していると考えられる。