文書構造 |
讀み下し文 |
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文書本体 |
出納物品 |
【……。】 |
本文 |
【三十一年(216)乙】卯朔丁卯[i]、司空守の悍(かん)・佐の得、出だし、以て【……を】食す。 |
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積算根拠 |
【……。】 |
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附記 |
監查記録 |
【令】史、視平す。 |
作成記録 |
【……。】 |
[i] 本簡の作成年代は、関係者の経歴と朔日の干支に基づいて推定される。案ずるに、朔日が十二支の卯で終わり、且つ当該月が丁卯の日を含むのは、丁卯朔を除いて、朔日が乙卯もしくは癸卯の場合のみである。その場合には丁卯の日は、十三日若しくは二十五日に当たる。遷陵県の設置期間中、該当する月を調べると、乙卯朔は、秦王政二十五年八月・秦始皇三十一年十一月・三十六年十二月と、癸卯朔は二十七年九月・三十三年十二月・元年正月のそれぞれ三回確認される。一方、については、暦日が判明する史料が少ないものの、三十年九月には、少内の佐と見え、三十一年十二月と正月には六回ほど令史として出現する。本簡では、が令史となっているため、その官職が官佐に止まっていた三十年九月以前に作成された可能性は排除できる。次に、悍と得の経歴に関する史料もやや限られているが、三十二年以降は全く史料上現れない。つまり、悍・得・の経歴からは、本簡の作成年代は三十一年に限られる。そこで、朔日の干支を加味すれば、唯一全ての限定条件を満たすのは、三十一年十一月であり、朔日は乙卯となる。