文書構造 |
讀み下し文 |
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文書本體 |
書出 |
敢えて之れを言う[i]。 |
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本文 |
状況説明 |
問うに、 |
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用件 |
[i] 後続の9-1496+8-1732と8-1958からすれば、8-0547+8-1068は本当に年月日等省略の様式なのか、疑問も感じられる。
[ii] 容、人名。8-2189には、
都鄕佐容 歸。
都鄕佐の容、 歸りき。
という記載が見えるが、人名のほか、歸るという事情も共通しているので、同じ人物の可能性がある。なお、遷陵縣には、8-0445や8-1563から窺えるように、朐忍縣からきた屯卒も多く滯在するようであるから、容が屯卒という可能性も否定できない。
校釋が指摘するように、本簡は8-1732及び8-1958と關係があるように思われるが、然りとすれば、「臨沅より歸る」とは、臨沅を經由して揚子江に入り、巴郡へと遡って朐忍縣に歸ることをいう。さらに、容が佐の容と同じ人物だと假定すれば、「遣戍」等の形で遷陵縣に送り込まれた屯卒の中から、「佐」への充當がなされた可能性が本簡から浮かび上がってくる。
[iii] 道、みち、轉じて道を取る・經由する意、一説には、字義及び上古音が「由」に近いことから「由」に通じるともいう。『禮記』中庸には、
故君子尊德性而道問學。
故に君子、德性を尊びて問學に道(よ)る。
道,猶由也。
といい、鄭玄は
道,猶由也。
道、猶お由(よ)るがごとき也。
と注する。『史記集解』袁盎鼂錯列傳に引く所の臣瓚も、
道,由也。
道、由(よ)る也。
と注釋する。『法律答問』には
196 可(何)謂署人、更人。耤(藉)牢有六署,囚道一署旞,所道旞者命曰署人,其它皆爲更人。或曰守囚卽更人殹(也),原者署人殹(也)。
何をや署人・更人と謂う。藉(かり)に牢に六署有り、囚、一署道(よ)り旞(に)げば、道(よ)りて旞(に)ぐる所の者は命じて署人と曰い、其の它は皆な更人と爲す。或は曰わく、囚を守するは卽ち更人なり、原(たず)ぬる者は署人なり、と。
と、『奏讞書』には、
114 (前略)毛不能支治(笞)疾痛,卽誣指講。講道咸陽來,史銚謂毛:毛盜牛時,講在咸
115 陽,安道與毛盜牛?(後略)
毛、笞の疾痛なるに支(もちこた)うる能(あた)わず、卽ち誣いて講を指す。講、咸陽道(よ)り來れば、史銚、毛に謂わく、毛の牛を盜みし時、講は咸陽に在れば、安(いずく)んぞ道(よ)りて毛と與(とも)に牛を盜む(すべ)あらん。
というように、「由」に極めて近い「道」の用例が見える。簡8-1562等にも類似の用法が確認される。
[iv] 歸、初出(服役満了に伴う帰還のこと)
『秦律十八種』には
046 月食者已致稟而公使有傳食,及告歸盡月不來者,止其後朔食,而以其來日致其食。有秩吏不止。 倉
『秦律雑抄』には
035 宂募歸,辭曰日已備,致未來,不如辭,貲日四月居邊。
等がある。
[v] 「審」は、くわしいこと、明白で閒違いなきことをいう。訓詁……。『法律答問』には、
068 甲殺人,不覺,今甲病死已葬,人乃後告甲,甲殺人審。問,甲當論及收不當。告不聽。
甲、人を殺すも、覺(さと)られず。今、甲病死して已に葬りたるに、人、乃(すなわ)ち後れて甲を告ぐ。甲、人を殺すは、審らかなり。問うに、甲、まさに論じ及び收すべきや、すべからざるや。告ぐるも、聽(き)かず。
という。司法文書では、「審」は、內容の確實性を保證する慣用語として用いられる。里耶秦簡の簡8-1743+8-2015の「鞫」類文書の末尾に見えるほか、『爲獄等狀』と『奏讞書』には、
……
と
……
等と、全ての鞫文の末尾に例外なく附せられている。本簡では、「問」うた結果について閒違いなきことを表すが、調査對象となっている容がすでに歸ってしまったことからも明らかなように、この「問」は、本人に對する尋問ではなく、遷陵縣での書面調査に過ぎない。恐らく司空もしくは倉等、遷陵縣に滯在していたころ容を管理していた縣官が縣廷に調査した結果について報告していると考えられる。
[vi] 贖、初出。
[vii] 本簡は、下端が折れて缺けている可能性が高いが、圖版では確認できない。