文書構造 |
讀み下し文 |
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文書本體 |
書出 |
【某年某月某朔某日、遷陵某職の某人、敢えて之れを言う。】 |
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本文 |
状況説明 |
【……】 |
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【……】亡日[i]を□する者【……】言え【……。】 |
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用件 |
┘今、之れを問うに、 |
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遷【陵[ii]】 |
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書止 |
【敢えて】之れを言う。 |
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附記 |
集配記録 |
【(某月)某日某時,某人(某處に)行る。】[iii] |
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作成記録 |
【某手す。】 |
[i] 亡日、逃亡した日數。『二年律令』によれば、逃亡した際、その日數が記錄され、一年未滿の場合には、その逃亡日數を、「繫城旦舂」もしくは「作官府」の勞役によって「償う」ことになっていた。
157 吏民亡,盈卒歲,耐。不盈卒歲,𣪠(繫)城旦舂┛(;)公士、公士妻以上作官府,皆償亡日。其自出殹(也),笞五十,給逋事。皆籍亡日,軵數盈卒歲而得,亦耐之。
秦においてはすでに「亡日」が記錄されていたことは『封診式』の次の記述から判明している。
013 覆 敢告某縣主:男子某辭曰:「士五(伍),居某縣某里,去亡。」可定名事里,所坐論云可(何),可(何)罪赦,
014 【或】覆問毋(無)有,幾籍亡,亡及逋事各幾可(何)日。遣識者。當騰,騰。皆爲報,敢告主。
また、次の嶽麓秦簡(肆)の律令簡牘に記されている規定からは、亡日が日數相當の勞働を基準に贓物と見做され盜犯の處罰の對象とされることが窺える。
066 十四年七月辛丑以來,諸居貲贖責未備而去亡者,坐其未備錢數,與盜同灋。
067 其隸臣妾殹(也),有(又)以亡日臧數,與盜同灋。
「亡日」の前の未釋讀字は、「亡日」の管理もしくは償還に關わる動詞と推定される。殘存の筆畫(◇)は、「徒」字の從う所の「止」の一部ののやや變則的な書き方(⑧0016◇、⑧0143a◇、⑧0285◇)に近い。この字が、「徒」と同樣に「止」に從う「足」だとすれば、「足亡日者(亡日を足(み)たす者」というように、文意が通じる。「亡日を足(み)たす者」は、逃亡日數の償還を終えた者と解せられる。
[ii] 本簡は、遷陵県が亡日の報告に関する指示を受けて郡に宛てた文書と考えられるが、現存の長さから、「問之」と「言」の間に最大約八字が欠けており、或いは「遷陵毋當令者敢」と記されていたのではないかと推測される。
[iii] 據文書格式,本簡背面左側應有收發記録,正面有明確的刮削痕跡,疑背面亦被刮削。