文書構造 |
讀み下し文 |
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添付書類(爰書) |
爰書標題 |
二十五年(222)九月己丑(05)、將奔命校長の周が爰書。 |
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本文 |
敦長の買・什長の嘉、皆な告げて曰わく、 |
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徒の士伍、右里の繚可、行きて零陽の廡谿橋に到りて亡ぐ。外内[i]を知らず、盜賊となるを恐る。 |
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敢えて告ぐ。 |
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附記 |
身体等特徴 |
繚可は、年二十五歲可(ばか)り、長きこと六尺八寸可(ばか)り、赤色、多髪、未だ鬚を產せず、絡袍一つ・絡單胡衣一つを衣(き)、具弩二つ・絲弦四つ・矢二百・鉅劍[ii]一つ・米二石五斗を操る。 |
[i] 外内、零陽の県内と県外を指すと推測される。
[ii] 鉅劍、はがねでの劍。「鉅」には「巨大」という字義もあるが、本簡の文脈では、逃亡者の持ち物を特定するには漠然過ぎるように感じられる。先行項目には、「絲弦」が見えており、鉅劍と同じく、修飾語が素材を現していると理解される。春秋時代から普及し始めたとされる鐵については、最初は農具に使われていたことが知られるが、本簡の「鉅劍」は、簡9-0094の「鐵劍」と同樣に、統一秦において、武器製造に耐える強靭な鐵が基層にまで普及していたことを裏付ける文字資料と言えよう。