文書構造 |
讀み下し文 |
||
文書本體 |
書出 |
【某年某月某日朔某日、尉某?、敢えて之れを言う。】 |
|
本文 |
状況説明 |
【……】屯卒公卒[i]の朐忍(しゅんじゅん)(縣)固陽(里)の失、自言すらく、 |
|
用件 |
今、 |
||
固陵【……。】 |
|||
書止 |
【敢えて之れを言う。】 |
||
附記 |
集配記録 |
【(某月)某日某時、某人、以て來る。/某半(ひら)く/發(ひら)く。】 |
|
作成記録 |
【某手す。】 |
[i] 公卒、秦漢無爵身份の一つ。『二年律令』簡三五九-三六〇に
不爲後而傅者,關内侯子二人爲不更,它子爲簪褭;卿子二人爲不更,它子爲上造;五大夫子二人爲簪褭,它子爲上造;公乘、公大夫子二人爲上造,它子爲公士;官大夫及大夫子爲公士;不更至上造子爲公卒。
後と爲さずして傅せらるる者、關内侯が子は二人不更と爲し、它子は簪褭と爲す。卿が子は二人不更と爲し、它子は上造と爲す。五大夫が子は二人簪褭と爲し、它子は上造と爲す。公乘・公大夫が子は二人上造と爲し、它子は公士と爲す。官大夫及び大夫が子は公士と爲す。不更より上造が子に至るは公卒と爲す。
とあるように、不更以下上造以上の身分の子に授けられる。なお、傳世文獻からは「公卒」の用例が確認できず、また簡牘史料でも睡虎地秦簡から檢出されず、嶽麓『爲獄等狀』簡062「公卒芮」や律令簡牘143「其里公卒、士五(伍)年長而毋(無)害」等が初出のようである。
[ii]室、妻のこと。『禮記』曲禮上には、
人生十年曰幼,學。二十曰弱,冠。三十曰壯,有室。
人生まれて十年は、幼と曰い、學ぶ。二十は弱と曰い、冠す。三十は壯と曰い、室有り。
というのに対し、鄭玄は
有室,有妻也。妻稱室。
室有るは、妻有る也。妻は室と稱す。
と注する。
[iii] 衣用、衣類のこと。吏卒の衣類は基本的に自辨であり、家族などから衣類そのものや費用(簡8-0647「衣用錢」)を送ってもらっている事例が見られる。『晉書』張軌列傳には、
泰始中,河西荒廢,遂不用錢,裂匹以爲段數。縑布既壞,市易又難,徒壞女工,不任衣用,弊之甚也。
泰始中、河西荒廢し、遂に錢を用ず、匹を裂きて以て段數と爲す。縑布既に壞てば、市易又た難く、徒らに女工を壞つも、衣用に任えず、弊の甚だしき也。
という。