讀下:8-0445

文書構造

讀み下し文

文書本體

書出

【某年某月某日朔某日、尉某?、敢えて之れを言う。】

本文

状況説明

【……】屯卒公卒[i]の朐忍(しゅんじゅん)(縣)固陽(里)の失、自言すらく、

[ii]、二十八年(219)が衣用[iii]を遺(おく)るも未だ得ず。

用件

今、

固陵【……。】

書止

【敢えて之れを言う。】

附記

集配記録

(某月)某日某時某人半(ひら)/發(ひら)

作成記録

【某手す。】

[i] 公卒、秦漢無爵身份の一つ。『二年律令』簡三五九-三六〇に

不爲後而傅者,關内侯子二人爲不更,它子爲簪褭;卿子二人爲不更,它子爲上造;五大夫子二人爲簪褭,它子爲上造;公乘、公大夫子二人爲上造,它子爲公士;官大夫及大夫子爲公士;不更至上造子爲公卒。

後と爲さずして傅せらるる者、關内侯が子は二人不更と爲し、它子は簪褭と爲す。卿が子は二人不更と爲し、它子は上造と爲す。五大夫が子は二人簪褭と爲し、它子は上造と爲す。公乘・公大夫が子は二人上造と爲し、它子は公士と爲す。官大夫及び大夫が子は公士と爲す。不更より上造が子に至るは公卒と爲す。

とあるように、不更以下上造以上の身分の子に授けられる。なお、傳世文獻からは「公卒」の用例が確認できず、また簡牘史料でも睡虎地秦簡から檢出されず、嶽麓『爲獄等狀』簡062「公卒芮」や律令簡牘143「其里公卒、士五(伍)年長而毋(無)害」等が初出のようである。

[ii]室、妻のこと。『禮記』曲禮上には、

人生十年曰幼,學。二十曰弱,冠。三十曰壯,有室。

人生まれて十年は、幼と曰い、學ぶ。二十は弱と曰い、冠す。三十は壯と曰い、室有り。

というのに対し、鄭玄は

有室,有妻也。妻稱室。

室有るは、妻有る也。妻は室と稱す。

と注する。

[iii] 衣用、衣類のこと。吏卒の衣類は基本的に自辨であり、家族などから衣類そのものや費用(簡8-0647「衣用錢」)を送ってもらっている事例が見られる。『晉書』張軌列傳には、

泰始中,河西荒廢,遂不用錢,裂匹以爲段數。縑布既壞,市易又難,徒壞女工,不任衣用,弊之甚也。

泰始中、河西荒廢し、遂に錢を用ず、匹を裂きて以て段數と爲す。縑布既に壞てば、市易又た難く、徒らに女工を壞つも、衣用に任えず、弊の甚だしき也。

という。