讀下:8-0164a+8-1475a=8-0164b+8-1475b

文書構造

讀み下し文

添付書類

【獄校二十一牒】

文書本體

書出

【二十】九年(218)後九月辛酉朔丁亥(27)、少内の武、敢えて之れを言う。

用件

計の□□[i]して後に論じられたる者の獄が校[ii]二十一牒を上す。

謁うらくは、遷陵將計丞に告げて校を上せしめよ。

書止

敢えて之れを言う。

附記

集配記録

【後】九月丁亥(27)、水十一刻、刻下三、佐の欣(きん)、廷に行(や)る。

作成記録

欣(きん)手す。〼

[i] 文脈からすれば、未釈読字は、簡8-0705に「〼已上後死亡輸它縣官(【計】已に上したる後に死・亡し、它縣官に輸り……)」とみえる「已上」に意味が近いと推測されるが、一つ目の字の残留筆画が「已」と矛盾しないのに対し、二つ目の字は、「上」や「具」と明らかに異なる。なお、二つの未釈読字とされる残画が一つの字という可能性も否定できない。

[ii] 校、監査用の状況説明(簡8-1565注?參照)。本簡では、獄、つまり刑事事案に關わる記錄が、郡での監査に備えて状況説明として提出されるに際して「校」と總稱されるが、當年度の全ての記錄ではなく、通常の上計期限を過ぎて論斷が行われた事案について記錄を「二十一牒」に纏めた資料を指す。また、少内から刑事事案に關わる記錄が上呈されることから、ここでいう「獄」は、「貲」若しくは「贖」の罰金刑・財產刑を内容とする事案に關わる記錄と考えられる。事案記錄の原本が上呈されるとは限らず、少内における處理狀況を反映する關連記錄が監査の状況説明として上呈されたと推測される。

なお、嶽麓秦簡(肆)の律令簡牘には、

237            ●獄校律曰:黥舂、完城旦舂、鬼薪、白粲以下到耐辠(罪)皆校。

●獄校律に曰わく、黥舂・完城旦舂・鬼薪・白粲より以下耐罪に到るは皆な校せよ、と。

というように、「獄校律」という律名が見える。整理小組が同じく「獄校律」として復元する次の条文には、

232     〼獄校律曰:略妻及奴騷悍,斬爲城旦,當輸者,謹將之,勿庸(用)傳□。到輸所乃傳之┛。䙴(遷)者、䙴(遷)者包及諸辠(罪)

233     當輸┛□及會獄治它縣官而當傳者,縣官皆言獄斷及行年日月及會獄治者行年日月。其䙴(遷)、輸

缺17

234     □會獄治,詣[所](?)縣官屬所執灋,卽亟遣。爲質日,署行日,日行六十里。留弗亟遣過五日及留弗傳過

235     二日到十日,貲縣令以下主者各二甲┛;其後弗遣復過五日,弗傳過二日到十日,輒駕(加)貲二甲;留過二月,奪

236     爵一級。毋(無)爵者,以卒戍江東、江南四歲。

【●】獄校律に曰わく、「妻を略(かすめと)り及び奴の騷悍にして、(趾を)斬りて城旦と爲し、當に輸(おく)るべき者は、謹みて之れを將い、傳□するを用うるなかれ。輸所に到りて乃ち之れを傳えよ。遷する者・遷する者の包及び諸々の罪もて當に輸るべき(もの)、□及び獄治を它縣官に會して當に傳うべき者は、縣官、皆な獄斷し及び行くの年日月及び獄治を會する者の行く年日月を言え。其れ遷・輸【……】□獄治を會し、縣官の屬する所の執灋に詣る(もの)は、卽(ただ)ちに亟やかに遣わせ。質日を爲り、行く日を署(しる)し、日ごとに行くこと六十里。留めてこれを亟やかに遣わざること、五日を過ぎ、及び留めてこれを傳えざること二日を過ぎて十日に到るは、縣令以下の主る者を貲るに、各々二甲。其の後これを遣わざること復た五日を過ぎ、これを傳えざること二日を過ぎて十日に到るは、輒ち加えて二甲を貲る。留むること二月を過ぎば、爵一級を奪う。爵無き者は、卒を以て江東・江南に戍すること四歲。

というように、「質日」(日誌)を付けて護送等の遅延をチェックする仕組みが窺える。本簡における少内の獄校と合わせて、行刑の執行状況の監査と捉えることができよう。