讀下:8-0157a=b

文書構造

讀み下し文

添付書類

書出

三十二年(215)正月戊寅朔甲午(17日)、啓陵鄕の夫、敢えて之れを言う。

本文

資料根據

成里が典・啓陵が郵人缺くれば、士伍成里の匄(かい)・成を除せり(せん?)[i]。成は典と爲し、匄は郵人と爲す。

用件

謁うらくは、尉に令して以て從事せしめよ。

附記

敢えて之れを言う。

附記

送達記錄

正月丁酉(20)、旦食時、隸妾の冉(ぜん)、以て來る。/欣(きん)發(ひら)く。

作成記錄

壬手す。

文書本體

書出

正月戊寅朔丁酉(20日)、遷陵丞の昌(しょう)、之れを卻(しりぞ)く。

本文

啓陵、二十七にして[ii]已に一典有り今又た成を除して典と爲すは、何の律令にぞ應ずる。尉已に成・除して啓陵が郵人と爲したり

書止

それ律令を以(もち)いよ[iii]

附記

送達記錄

正月戊戌(21)、日中、守府の快、行る。

作成記錄

氣手

[i] 除、官職を授ける意、廣義では採用、狹義では任命を指す。『淮南子』兵略に

夫論除謹,動靜時,吏卒辨,兵甲治,正行伍,連什伯,明鼓旗,此尉之官也。

夫れ論除謹しみて、動靜時にかない、吏卒辨(わきま)え、兵甲治まり、行伍を正し、什伯を連ね、鼓旗を明らかにするは、此れ尉の官なり。

というのに對して、高誘は

除,除吏也。

除、吏を除する也。

と注釋する。本簡から推測するに、里や郵の役人は、鄕からの推擧を受けて縣令もしくは縣丞が尉に命令を下して、尉が任命を行うと考えられるが、正面第二行の「除」字が文書發信者の啓陵鄕嗇夫の夫を主語とすることから、尉による正式な任命に先立つ啓陵鄕嗇夫の關連行爲も「除」と稱せられていたことが判る。『秦律十八種』には、

159   除吏,尉已除之,乃令視事及遣之。所不當除而敢先見事,及相聽以遣之,以律論之。嗇夫之送〈徙〉

160   見它官者,不得除其故官佐吏以之新官。  置吏律

吏を除するに、尉已にこれを除して、乃ち令して事を視(み)しめ及びこれを遣わす。まさに除すべからざる所なるに敢えて先に事を見しめ、及び相聽(したが)いて以てこれを遣わしむるは、律を以てこれを論ず。嗇夫の徙(うつ)りて它官を見る者は、その故官の佐吏を除して以て新官に之(ゆ)くを得ず。    置吏律

というように、嗇夫による採用行爲(「除吏」・「除其故官佐吏」)と尉による正式な任命(「除之」)とが、同じ「除」字を用いつつも區別される。『二年律令』にも

215   (前略)受(授)爵及除人關於尉。(後略)

爵を授け及び人を除するは、尉に關す。

と、任命權者の尉以外の行爲者による採用行爲を「除」という。

なお、採用・任命に關わる字義の由來についてはよくわからない。古い訓詁では、前揭の『淮南子』の高誘注のほか、『漢書』景帝紀の顏師古注に、

如淳曰:「凡言除者,除故官就新官也。」

如淳曰わく、「凡そ除と言うは、故官を除きて新官に就かしむる也。」

と引かれる如淳の注しか見當たらないが、舊い官職をのぞくという説明は明らかに出土資料の記載と矛盾する。除に関する注および「除せり」と「除せん」という読み下しの表現については、官制と密接に関わる問題なので、叙任の手続に関する理解を含めて、改めて官職担当に検討されたし。

[ii] 二十七戶、啓陵鄕の戶數。簡8-0518には、、二年後の三十四年度について、啓陵鄕の「見戶」の數を「二十八戶」と記している。、遷陵縣全體の戶數は、簡8-1519と簡8-2004+8-0487を參照。

なお、嶽麓秦簡(肆)の律令簡牘には次のように、三十戸未満の里について里典を他の里と兼職させる規定が見える。

142/1373      ●尉卒律曰:里自卅戸以上置典、老各一人,不盈卅戸以下,便利,令與其旁里共典、老,其不便者,予之典

143/1405      而勿予老。

それに基づいて本簡の文書を解釈すると、啓陵郷には「成里」のほか、「渚里」があり、渚里の里典が成里の里典を兼職していたところ、啓陵郷が別途成里の里典の任命を申請して県廷に却下されたと考えられる。

なお、以下の論考では、本簡を簡J1⑯0009とともに、渚里がこの頃消滅した証拠として取り上げられる。

・王偉・孫兆華「〝積戸〞与〝見戸〞:里耶秦簡所見遷陵編戸数量」(『四川文物』、二〇一四年第二期)

・晏昌貴・郭涛「里耶簡牘所見秦遷陵縣郷里考」(『簡帛』第十輯)・・・渚里に関して

・里耶秦簡にみえる「見戸」と「積戸」 : 秦代遷陵県下における戸数の手がかりとして(『明大アジア史論集』18(2014年)

[iii] 律令の下に「從事」の二字が脱落している可能性がある。