文書構造 |
讀み下し文 |
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文書本體 |
書出 |
【二十八年(219)】五月己亥朔辛丑(03)、倉守の敬、敢えて之れを言う。 |
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本文 |
状況説明 |
令下されたる[i]に、 |
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用件 |
●之れを問うに、 |
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名事定めたる[iv]有り。故(も)と旬陽が隸臣にして、約[v]を以て【……】と爲り【……】□□史、遝すること耐罪[vi]以上有り、遷陵に繫げられ[vii]、未だ決せられず[viii]。遣わすなき[ix]なり。 |
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附記 |
謁うらくは、覆獄が治所に報ぜよ[x]。 |
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書止 |
敢えて【之れを】言う。 |
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附記 |
集配記録 |
〼□□刻、刻下六、小史の夷吾、以て來る。/朝半(ひら)く。 |
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作成記録 |
尚手す。 |
[i] 令は、文脈から、郡から派遣された覆獄都吏の出頭命令を傳える縣廷の命令と推測され、「下」は命令の下達を表す自動詞。「令下」という表現は、睡虎地秦簡『語書』に
001 (前略)是以聖
002 王作爲灋(法)度,以矯端民心,去其邪避(僻),除其惡俗。灋(法)律未足,民多詐巧,故後有閒令下者。凡灋(法)律令者,以敎道(導)
003 民,去其淫避(僻),除其惡俗,而使之之於爲善殹(也)。(後略)
是(ここ)を以て聖王、作りて法度を爲し、以て民心を矯端し、其の邪僻を去り、其の惡俗を除く。法律、未だ足らず、民、詐巧多ければ、故に後に閒(まま)令の下さるる者有り。凡そ法律令なる者は、以て民を敎導し、其の淫僻を去り、其の惡俗を除きて、之れをして善を爲すに之かしむる也。
と、『爲獄等狀』に
044 ●廿(二十)三年四月,江陵丞文敢𤅊(讞)之:廿(二十)三〔二〕年九月庚子,令下,劾:𢮑(錄)江陵獄:上造敞、士五(伍)
045 猩智(知)人盜埱冢,分臧(贓)。得。敞當耐鬼薪,猩黥城旦。遝戊午𢼜(赦),爲庶人。鞫
046 審,𤅊(讞)。
と見える。前者の「令」が主權者の命令、つまり制定法を指すのに對して、後者の令は、江陵縣上級機關の南郡の命令と考えられる。
[ii] 名事(里)、初出。
[iii] 它坐、前科?。初出。
[iv] 定、奠と同源(王力『同源字典』)、安んずる・安置する義から轉じて、定める・確定する意。『説文解字』宀部には、
定,安也。
定、安ずる也。
と、丌部には、
奠,置祭也。
奠、(酒食を)置きて祭る也。
という。『周禮』天官・職幣には、
皆辨其物而奠其錄。
皆な其の物を辨じて其の錄を奠む。
と、簡8-1518+8-1490の「定籍」や簡8-1560の「定符」と酷似する用例がみえ、鄭玄には、
奠,定也。
奠、定むる也。
と注釋する。「名事里」の確定に關わる記述は、範式集の『封診式』に頻出する。例えば、
006有鞫 敢告某縣主:男子某有鞫,辭曰:「士五(伍),居某里。」可定名事里,所坐論云可(何),可(何)罪赦,
007 或覆問毋(無)有。遣識者。以律封守。當騰,騰。皆爲報。敢告主。
有鞫 敢えて某縣主に告ぐ。男子の某、鞫有り。辭に曰わく、士伍にして、某里に居る、と。名事里、坐する所の論の何と云うや、何の罪赦せられきや,或は覆問の無きや有るやを定むべし。識者を遣わして律を以て封守せよ。まさに騰(つた)うべきは、騰えよ。皆な報を爲せ。敢えて主に告ぐ。
というのが、その一例である。類例は、
鞫(繫)書到,定名縣爵里年/ 239.46,A33
鞫繫書到らば、名・縣・爵・里・年……定めよ。
というように、居延漢簡にも見受けられる。
[v] 約、初出。
[vi] 耐罪、「刑罪」・「贖罪」・「貲罪」と竝ぶ罪狀輕重カテゴリーの一つ、罪狀の輕重が「耐」という身體刑(簡8-0884+8-0775注?參照)に相當することを表す。「貲」と「贖」が、財產刑もしくは有期の勞役刑に過ぎないのに對し、「耐」と「刑」は、社會行爲能力に對する諸種の制限を伴う刑徒的身分への變更を伴うので、「耐罪」以上と「贖罪」以下とでは、性質が大きく異なる。また、肉刑の「刑」が回復不能な身體毀損を意味するのに對し、「耐」という身體刑は、恆久的な效果を持たず、また例えば「耐隸臣妾」には、『秦律十八種』に
151 百姓有母及同牲(生)爲隸妾,非適(謫)罪殹(也)而欲爲宂邊五歲,毋賞(償)興日,以免一人爲庶人,許之。(後略)
百姓、母及び同生の隸妾たる有り、罪を謫(せ)むるに非らずして爲に宂邊すること五歲、興日を償うなく、以て一人を免じて庶人と爲さんと欲せば、これを許す。
とあるように、庶人身分に復歸する可能性が殘されている。そうした輕重の差が、
033 士五(伍)甲盜,以得時直臧(贓),臧(贓)直(値)過六百六十,吏弗直,其獄鞫乃直臧(贓),臧(贓)直百一十,以論耐?。問甲及吏可(何)論。甲當黥爲城旦,吏爲失刑辠(罪)。
034 或端爲,爲不直。
士伍の甲、盜む。得(とら)えられし時を以て贓を直(はか)らば 、贓の値(あたい)、六百六十(錢)を過ぐるも、吏、(贓を)直らず。その獄、鞫(きわ)むる(とき)に乃(はじ)めて贓を直る。贓の値、百一十(錢)なれば、以て耐に論ず。問うに、甲及び吏は何(いか)にか論ぜん。甲はまさに黥して城旦と爲し、吏は「刑罪を失(あやま)つ」 (という罪名)と爲すべし。或は(吏が)端(ことさら)爲すならば、「直ならず」(という罪名)と爲す 。
という刑罪と耐罪を巡る『法律答問』や、
217 任有辠(罪)刑辠(罪)以上,任者貲二甲而癈;耐辠(罪)、贖辠(罪),任者貲一甲;貲辠(罪),任者弗坐。(後略)
任ぜらるる(もの)罪有り、刑罪以上ならば、任ずる者、二甲を貲りて癈せらる。耐罪・贖罪は、任ずる者、一甲を貲る。貲罪は、任ずる者これに坐せず。
という嶽麓秦簡(肆)の律令簡牘等の記述に反映されていると考えられる。
なお、「耐」の刑が、「候」・「司寇」・「隸臣妾」・「鬼薪白粲」という四種の身分と組み合わて「耐爲司寇」等の複合刑罰を構成するが、『秦律雜抄』に
038 (前略)●捕盜律曰:捕人相移以受爵者,耐。(後略)
とみえる「耐」字の單獨使用例や、『二年律令』に
090 有罪當耐,其灋(法)不名耐者,庶人以上耐爲司寇,司寇耐爲隸臣妾。隸臣妾及收人有耐罪,𣪠(繫)城旦舂六歳┛。(後略)
罪、まさに耐すべき有り、その法、耐を名ぜざる 者 、庶人以上は、耐して司寇と爲し、司寇は耐して隸臣妾と爲す。隸臣妾及び收人の耐罪有るは、城旦舂に繫ぐこと六歳。
と傳えられる耐刑の科刑原則に關する明文規定から、「耐」刑が本來「耐爲司寇」という一等級のみから成り、「耐爲隸臣妾」がそれに對する身分的加重に由來することが分かる。一方、「耐爲鬼薪白粲」(簡8-0805注?參照)は、「刑爲城旦舂」(若しくは「完城旦舂」)に對する身分的讀み替えに過ぎないので、「耐罪」というカテゴリーに含まれないと推定される。「耐爲候」の詳細は不明。
[vii] 繫、つなぐこと、法律用語としては、拘禁、身柄を拘束すること。『説文解字』囗部には、「囚」字を「繫」と訓じ、『易』坎卦に、
係以徽纏。
係(かかずら)うに徽纏を以てす。
というのに對し、鄭玄は、
繫、拘也。
繫、拘(とら)うる也。
と注釋し、『慧琳音義』卷三と『希鱗音義』卷三に引用する『玉篇』には、「繫」をそれぞれ「拘束」と「縛」と訓ずる。刑事事件に關わる拘束を表す用例としては、『史記』孝文本紀には、
齊太倉令淳于公有罪當刑、詔獄逮徙繫長安。
齊太倉令の淳于公、罪當に刑すべき有り、詔獄もて逮徙して長安に繫ぐ。
といい、また出土文獻にも例えば『法律答問』に、
006 甲盜牛,盜牛時高六尺,𣪠(繫)一歲,復丈,高六尺七寸。問,甲可(何)論。當完城旦。
甲、牛を盜む。牛を盜みし時、高きこと六尺なるに、繫ぐこと一歲にして復た丈(はか)るに、高きこと六尺七寸なり。問うに、甲何(いか)にか論ぜん。まさに完(まった)うして城旦とすべし。
等というように、多數確認される。
077 七月甲辰,淮陽守偃刻(劾)曰:武出備盜賊而不反(返),其從(蹤)迹類或殺之。獄告出入廿(二十)日弗窮訊,吏莫追求。坐以𣪠(繫)者┛,
078 毋𣪠(繫)牒。疑有姦𧧻(詐)。其謙(廉)求捕其賊,復(覆)其姦𧧻(詐)及智(知)縱不捕賊者,必盡得,以法論。(後略)
七月甲辰、淮陽守の偃、劾して曰わく、「武出でて盜賊に備うるに返らず、其の蹤迹、或は之れを殺したるに類(に)たり。獄もて告げて出入すること二十日なるも、これを窮訊せず、吏、追求するなし。坐して以て繫げらるる者は、繫牒なし。姦詐有るを疑う。其れ廉求して其の賊を捕え、其の姦詐及知りて縱(はな)ち賊を捕えざる者を覆(しら)べよ。必ず盡く得(とら)えて、法を以て論ぜよ。
という『奏讞書』事案十六の記述から推測するに、身體の後續に伴い、「繫牒」という書類が作成されることになっていたと考えられる。「繫牒」の比較的完全な形は、次の居延漢簡(一三.六)から窺える。
戍卒東郡畔戍里靳龜 |
坐迺四月中不審日,行道到屋蘭界中,與戍卒函何陽爭言,鬪以劍擊 |
傷右手指二所。●地節三年八月己酉械繫。 |
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戍卒の東郡畔戍里の靳龜 |
迺(さる)四月中の審らかならざるの日、道を行きて屋蘭界中に到り、戍卒函何陽と與(とも)に爭言し、鬪うて劍を以て右手指二所を擊傷するに坐す。●地節三年八月己酉に械繫せり。 |
[viii] 決、初出(決=執行を含めて刑事事案の最終的処理?広義の判決?→「論」との違いに留意!「論」の注案は簡8-1516を参照)
[ix] 毋遣、遣わす(べき)者がない、ここでは遣わすすべがないという意味。本文書は、遷陵の縣官の一つである倉から縣廷に宛てたものであるが、倉が隸臣を管理する管轄權を持つ關係で、隸臣の鄧を召喚する覆獄の命令が縣廷を通じて倉に下達されたと考えられる。ところが、隸臣の鄧は、別件で縣廷に身柄を拘束されて取り調べを受けているため、倉の管理を離れているので、改めてそれを縣廷に派遣することができない。自明のことではあるが、縣廷から命令が下達された以上返信をせずに放置するわけにもいかなかったであろう。一説では、縣廷に拘束されている隸臣について、同じ縣廷から派遣命令が出されている事實は、縣廷内部における分業およびそれによる意思疎通の障礙を語るものと捉えることができる。
[x] 謁報、訓読は「謁うらくは、報ぜよ」。返答、折り返しの報告を求める意。『爾雅』釋言に、
告、謁、請也。
とあり、郭璞注に
皆求請也。
皆な求請するなり。
とある。(謁報については解題で説明すべし)