文書構造 |
讀み下し文 |
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質日 |
十一月己未(12),令史の慶、廟を行(めぐ)る[i]。 十一月己巳(22),令史の懬、行廟。 十二月己卯(03),令史の陽、行廟。 十二月己丑(13),令史の夫、行廟。 |
六月癸巳(19)令史の除、行廟。 |
【十二月□】□、令史の韋、行。 端月丁未(01),令史の懬、行廟。 端月□□,令史の慶、行廟。 【端】月癸酉(27),令史の犯、行廟。 |
二月壬午(07)、令史の行、行廟。 二月壬辰(17)、令史の莫邪、行廟。 二月壬寅(27)、令史の釦、行廟。 四月丙申(22)、令史の戎夫、行廟。 |
五月丙午(02)、令史の釦、行廟。 五月丙辰(12)、令史の上、行廟。 五月乙丑(21)、令史の犯、【行。】[ii] |
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行廟詔 |
標題 |
二十六年(221)六月壬子(02)、遷陵【守】丞の敦狐、令史こもごも廟を行(めぐ)るの詔を爲(つく)る[iii]。 |
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本文 |
令史、(廟を)行るに、唯だ期を失う【なかれ】。廟を行る者、必ず謹みて視□□し[iv]、各々自ら廟所[v]が質日[vi]に署(しる)せ。行るには、先に旁曹[vii]より始め、坐次[viii]を以て相屬(つづ)けよ[ix]。 |
[i] 行、巡回、回って視察すること。『呂氏春秋』季夏紀には、
是月也,樹木方盛,乃命虞人入山行木,無或斬伐。
是の月や、樹木方(まさ)に盛んなれば、乃ち虞人に命じて山に入りて木を行り、或は(木を)斬伐する無からしむ。
といい、高誘は、
行,察也。視山木,禁民不得斬伐。
行、察する也。山木を視、民に禁じて斬伐するを得ざらしむ。
と注釋する。『秦律十八種』には、
197 毋敢以火入臧(藏)府、書府中。吏已收臧(藏),官嗇夫及吏夜更行官。(後略)
敢えて火を以て藏府・書府の中に入るなかれ。吏、已に收藏したらば、官の嗇夫及び吏、夜更(こもごも)官を行(めぐ)る。
と、『奏讞書』には、
075 ・淮陽守行縣掾(錄)新郪獄。
・淮陽守、縣を行(めぐ)りて新郪が獄を錄す。
という。
行廟、廟を視察することか。嶽麓秦簡(四)の律令簡牘には、
322 更五日壹行廟,令史旬壹行,令若丞月壹行,□□□〼
更(?)、五日ごとに壹(ひと)たび廟を行り、令史は旬ごとに壹たび行り、令若しくは丞月ごとに壹たび行り、□□□【……。】
という記載が見られ、關連する法規の存在することが確認されるが、詳細は未詳。
本注は未完。(「暦日の竝びが、十日閒隔の等差數列を形成する」という現象が嶽麓秦簡(四)の律令簡牘322の「旬壹行」と一致することに触れつつ完成すべし)
[ii] 從簡缺口形狀判斷,此處僅缺一字,簡文應參照第二欄第一行補釋“行”字。
[iii] 詔、「告」・「敎(導)」と訓ぜられ、上から下に指示すること、またその指示つまり「のり」の意。『説文解字』言部には、
詔,告也。
詔、告ぐる也。
といい、『玉篇』言部には、
詔,敎也。
詔、敎うる也。
という。『爾雅』釋詁下に
詔、亮、左、右、相,導也。
詔・亮・左・右・相、導く也。
というのに對し、郭璞は、
皆謂敎導之。
皆な之れを敎導するを謂う。
と注釋する。大小の官吏が、詔の主體となる事例は、『儀禮』や『周禮』に多數見られ、その多くには、鄭玄が「告」という注釋を附している。『爲獄等狀四種』第參類「學爲僞書案」にも、
219 (前略)丈人詔令癸出田南陽(後略)
丈人、癸に詔令して出でて南陽に田せしむ。
と、
222 (前略)𩕾(願)公詔少吏,勿令環(還)。(後略)
願わくは、公、少吏に詔して、令して還らしむることなからしめよ。
というように、家父や縣長官の命令を「詔」と稱する用例が確認される。「秦始皇二十六年の「更名」によって始めて、主權者の命令、つまり「みことのり」を表す語に變化する。『史記』秦始皇本紀には、
今名號不更,無以稱成功,傳後世。(中略)命爲制,令爲詔,天子自稱曰朕。
今、名號更めずんば、以て成功を稱え、後世に傳うる無し。(中略)命は(更めて)制と爲し、令は詔と爲し、天子自ら稱するに、朕と曰う。
という。簡8-0461にも關連記述が見える。
なお、嶽麓秦簡(四)の律令簡牘322から窺えるように、全國的な制定法が存在していたようである。本簡に見える「詔」は、全國的な法令に對する施行細則として理解される。一説には、二十六年度末近い時點で地方官が依然として自らの命令を「詔」と稱することができた可能性が極めて低い一方、動詞「爲」の主語は明らかに遷陵守丞の敦狐である。この矛盾を解消する鍵は、「令」字の下の黑い點にあり、それが重文記號に係るという。この説に從えば、この箇所は「廟を行るの詔令を爲る。令史云々」と讀まねばならない。「詔令」とは、「詔の令」、つまり皇帝の「みことのり」(の施行方法)に關する地方官の命令という意味。全國的な法令に對する地方的施行細則という解釋に變わりがない。6月24日の研究会の席上は、「為詔」が青川木牘の「為律」と句作りが同じという意見が寄せられ、少なくとも「一説」としてそれに言及する予定だったが、青川木牘の場合、「更修為田律」の読み方については、「田を為むるの律を更修す」とする異説があるほか、「更」の前に釈読が定かでない字が二つ並び、この表現の主語でさえ確定できない状況なので、注で取り上げるのを諦めた。青川木牘の用例を注に含めるアイディアがある方は是非ご提示ください。
[iv] 視□、初出。(視中と視守の両論併記)
[v] 所、ところ、ひいてはそのところに備え付けの意か。つまり、文脈からは、「廟所が質日」が、「廟のところの質日」というように、廟備え付けの質日と推定される。一方、「廟」の下には二つの黑い點が見えており、それを重文記號と認めるなら、「各々自ら廟と廟所を質日に署(しる)せ」と讀み下すべきであろう。その場合には、「行廟」が複數の「廟」を對象に行われ、「廟」と「廟所」とがそれぞれの廟の名稱と所在地を指すと考えられる。地方における「行廟」の制度的背景が未詳のため、正確な意味は判斷しかねる。
[vi] 質日、初出。(質日に関する注釈のほか、案語を附すべし。案語は、6月23・24日の籾山┘ジュメに沿って、本簡正面と背面とが行動規範と実行記録の関係にあること、その関係が青川秦墓木牘の正背関係と類似することについて説明すべし)
[vii] 旁曹、初出。(以下の旧案は不正確。作り直すべし)
[viii] 坐次、次は順序(簡8-1518+8-1490注?參照)の義、坐次は席次を指す。類似の用例は文獻から檢出できないが、文脈から判斷すれば、ここでは、席順に「行廟」の番に當たることを表すと考えられる。
[ix] 屬、屬は「つらなる」・「つづく」と訓じ、物事が次々と起こる若しくは同じことを續けて行う意。『説文解字』尾部には、
屬,連也。
屬、連なる也。
といい、『釋名』釋新屬および『廣雅』釋詁には、
屬,續也。
屬、續く也。
という。『漢書』陳遵傳に、
竦居貧,無賓客,(中略)而遵晝夜呼號,車騎滿門,酒肉相屬。
(張)竦は、貧に居し、賓客無きに、(陳)遵は晝夜呼號し、車騎門に滿ち、酒肉相屬(つづ)く。
というのに對し、顏師古は、
屬,連續也。屬音之欲反。
屬、連續する也。屬が音は之欲の反(=しょく)。
と注釋する。
秦漢の出土資料には、後揭の如く「つらなる」という字義は確認されるが、次々と起こるもしくは續けて行う意味の用例は檢出できない。
『秦律十八種』:
195 有實官高其垣墻。它垣屬焉者,獨高其置芻廥及倉茅蓋者。(後略)
實の有る官は、其の垣墻を高くせよ。它垣の焉(ここ)に屬(つら)なる者は、獨り其の芻を置く廥及び倉の茅もて蓋する者を高くせよ。
『漢代石刻集成』060宋伯望刻石:
第4行 (前略)千(阡)封
第5行 上下相屬,南北八千(阡)。(後略)
阡封、上下相屬(つら)なり、南北に八阡あり。