文書構造 |
讀み下し文 |
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添付書類② |
遷陵陽里の士伍の慶・圂(こん)【……】を覆獄す。 |
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添付書類①(下行文書) |
文書本體 |
書出 |
二十九年(218)十一月辛酉(25)、洞庭假卒史の悍(かん)、【……。】 |
本文 |
【……書に聽(したが)いて(?)[i]】從事せよ。慶に令して、之れより遠ざかる[ii]所(もしくは「之れを遠ざける所」)有らしむることなかれ。 |
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書止 |
- |
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附記 |
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附記 |
送達記錄 |
【十一月[v]】辛酉(25)、水下盡、隸臣の唯、以て【來る。某半(ひら)く。】 |
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作成記錄 |
【某手す。】 |
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文書本體 |
書出 |
十一月壬戌(25)、遷陵【の某、某官に告ぐ/下す。】 |
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本文 |
【……。】 |
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書止 |
【……。】 |
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附記 |
送達記錄 |
【/某月某日某時,某人(某處)行。】 |
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作成記錄 |
【/某手す。】 |
[i] 殘缺部分の「聽書」の二字は、簡8-0657の記載に基づいて補った。簡8-0657では、本簡と同樣に、洞庭郡が他の文字資料を附して、遷陵縣に對して關連する處理(「聽書從事」)を指示する。
[ii] 遠、とおざかる・とおざける、文脈によってはたがう意。『漢書』公孫弘傳には、
和不遠禮,則民親而不暴。
和して禮より遠ざからずんば、則ち民親しくして暴れず。
といい、顔師古は
遠,違也。音于萬反。
遠、違う也。音は于萬の反。
と注釈するが、本簡牘の正確な文脈は不明。
[iii] 郡の卒史は官印を支給されていないと考えられる。送達記錄の干支が發信日と一致することから、發信者の洞庭假卒史が滯在先の遷陵縣で遷陵丞の官印を借りて遷陵縣宛ての文書を封緘したと推定される。類似した表現は、簡8-0133と8-2166にも觀察される。簡8-0133では、酉陽縣の獄史が、「具獄」關連の業務で遷陵縣に滯在し、遷陵丞の官印で文書を封緘ていると見られるので比較材料を提供する。
なお、郡の卒史が治獄に當たる事例は、『奏讞書』事案14・15・18等にも見られ、中でも事案18では、卒史が現地に出張する姿が窺える。また、里耶秦簡の簡J1⑯0005においては、洞庭郡の卒史が屬縣を巡っており、8-0135には、さらに它郡(巴郡)の卒史が洞庭郡内で「覆獄」を行っていると思われる記述がみられる。
[iv] 有傳、傳はつたえる、つまり一定の連絡事項を傳える意、有傳は、連絡すべきことがあったというように、遷陵丞の官印を借りた理由を述べた表現と推定される。
[v] 六十日以上の遲延を推測させる記述がないことから、送達記錄の曆日が、文書本體と一致すると考え、文書本體の曆日に基づいて殘缺部分を「十一月」と補った。簡8-0133では、出張者が滯在先で借りた官印で封緘した文書が、名目發信日の翌日に送達されている。また、後續の遷陵縣の文書がその翌日に發信されていることも以上の推測を裏付ける。