文書構造 |
讀み下し文 |
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文書本体 |
書出 |
【某年某】月乙亥朔壬午[i]、【某職の某、敢えて之れを言う。】 |
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本文 |
状況説明 |
【……】三十一年作務□【……】を下し【……】書【到らば(?)、言え(?)。】 |
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用件 |
【今(?)】 |
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【……を】□(䟽?)書し、【……。】 |
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書止 |
【敢えて之れを言う。】 |
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附記 |
集配記録 |
【某月癸(?)】未旦、令佐の恬、【某處に】行る。 |
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作成記録 |
【某手す。】 |
[i] 秦始皇三十一年以降で乙亥朔となるのは三十二年(215)七月、三十七年(210)九月、秦二世元年(209)十月のみである。恬という人名は、三十四年四月に発信された啓陵郷の文書に「恬手」という形で見えており(8-1525)、その時点では、郷佐もしくは郷史を務めていたと考えられる。同一の人物と仮定して、通常の昇進ルートから推測するに、恬が令佐に昇進したのはその後になる。したがって、本簡の残欠部分に記されていた年月は、三十七年九月か元年十月のどちらかに限定される可能性が高い。