釈読問題8-2149+8-2121

基礎形態:……

加工形態:……

特記事項:

本簡綴合據何有祖〈里耶秦簡牘綴合(七則)〉(簡帛網,2012年5月1日)。

  

第一行

“丁”,原釋文、校釋作“□”,據文意補釋。按,據甲子可知,當月朔日衹有“丁巳”和“乙巳”兩種可能,殘留筆畫與“乙”字不合;設置遷陵縣之後,丁巳朔有二十五年四月、三十年七月和三十五年八月;兹爲貳春鄕嗇夫在秦始皇三十四年和三十五年之間。(官職担当:兹の経歴が判る簡番号と必要情報を追加) 丁、原釋文及び校釋は「□」に作るが、石原遼平「里耶秦簡8-2149+8-2121釈読覚書」(中國古代簡牘の橫斷領域的硏究HP、2020年〇月〇日)に基づいて改めた。案ずるに、甲子という曆日に基づいて、朔日については、「丁巳」と「乙巳」という二つの可能性しかなく、殘留の筆畫は、「乙」と合わない。

第三行

據殘留筆畫和文意,疑“治”下兩字爲“所及”。 及:、原釋文及び校釋は「□」に作るが、石原遼平「里耶秦簡8-2149+8-2121釈読覚書」(中國古代簡牘の橫斷領域的硏究HP、2020年〇月〇日)に基づいて改めた。その上の未釈読字は、文脈から「所」と推測されるが、残留筆画の形状とは、正確に合わない。