語釈(身分呼称):走
走、かける・はしる義から轉じて、使い走り・召使の意。『列子』周穆王には、
昔昔夢爲人僕,趨走作役,無不爲也。
昔昔として夢(ゆめみ)て人が僕と爲り、趨走して作役し、爲さざる無き也。
と、人僕として働くことを「趨走す」と稱し、『爲獄等狀』には、
217 (前略)環(還)之,毋擇不得爲丞主臣走。(後略)
之れを還さば、毋擇、丞主がために臣走するを得ざらん。(後略)
というように、周旋・世話の遜った表現として、動詞の「臣走」(=「臣として走る」)が用いられている。名詞の「走」は、『文選』司馬遷「報任少卿書」には、
太史公牛馬走司馬遷再拜言。
太史公が牛馬走の司馬遷、再拜して言う。
と、同・阮籍「奏記詣蔣公」には
開府之日,人人自以爲掾屬,辟書始下,下走爲首。
開府の日、人人自ら掾屬と爲ると以(おも)うも、辟書始めて下るに、走に下りて首と爲す。
と見え、李善注は後者に對して應劭『漢書注』を引いて、
走,僕也。
走、僕なり。
と注釋する。現存『漢書』蕭望之傳の應劭注には、「走」を「下走」に作るが、『玉篇』走部は李善注に同じ。また、『文選』張衡「東京賦」には、
走雖不敏,庶斯達矣。
走、敏ならずと雖も、庶(こいねがわ)くは斯(これ)に達せん矣。
といい、薛綜注に、
走,公子自稱走使之人,如今言僕矣。
走、公子自ら走使の人と稱するは、今僕と言うが如し。
というように、走が僕という語義から一人稱の謙讓語として用いられることを指摘する。なお、出土資料から窺える秦律では、走と僕とは明確に区別されていたが、身分や職掌等の詳細は不明。
秦律の明文規定は現存しないが、里耶秦簡8-1518+8-1490や8-1560の記載からは、使い走りに供する人夫として所定の人數の「走」が、炊事擔當の「養」(簡8-1560注?參照)と同樣に、官吏に支給されていたと推定される。簡J1⑩1170の「倉徒簿最」に記されている「吏走」がそれに該當すると考えられる。一方、「倉徒簿最」には、十一人の未成年男子の「吏走」のほかに、一人の成年男子の「廷走」が見えており、縣廷の使い走り等に供せられる人夫と理解される。