語釈(身分呼称):司寇(身分)

司寇、秦代ないし漢初の身分の一つ、「耐」と組み合わせて中程度の犯罪に對する刑罰として用いられる。『二年律令』には、

090     有罪當耐,其灋(法)不名耐者,庶人以上耐爲司寇,司寇耐爲隸臣妾。(後略)
罪、まさに耐すべき有り、その法、耐を名ぜざる者は、庶人以上、耐して司寇と爲し、司寇は耐して隸臣妾と爲す。

というように、「耐」は司寇と組み合わせるのを原則とし、「耐爲隸臣妾」はそれに對する身分的加重を意味する。隸臣妾が縣官の倉に管理され居住等の制限(簡8-0144+8-0136注?參照)を受けていたのに對して、司寇は通常の戶として生活し、『二年律令』簡291-203や310-316に見られるように、有爵者や平民と竝んで飯肉酒鹽の下賜や田宅の分配等に與かる。『秦律十八種』に

193     侯(候)、司寇及羣下吏毋敢爲官府佐吏及禁苑憲盜。    內史雜
候・司寇及び羣下吏は、敢えて官府の佐吏及び禁苑の憲盜とするなかれ。    內史雜

と見えるように、司寇は、屬吏に採用してはいけなかったが、恆常的に官府の仕事に從事していた點では、屬吏に近かった。職掌は、城旦舂等の刑徒の監視およびその他の司法・治安活動等である。『秦律十八種』には、

145     (前略)居貲贖責當與城旦舂作者,及城旦傅堅、
146     城旦舂當將司者,廿(二十)人,城旦司寇一人將。司寇不(足),免城旦勞三歲以上者,以爲城旦司寇。    司空
貲に居して責めを贖うにまさに城旦舂とともに作すべき者、及び城旦傅堅・城旦舂のまさに將司すべき者は、二十人ごと、城旦司寇一人、(これを)將(ひき)いる。司寇足らずんば、城旦の勞三歲以上なる者を免じ、以て城旦司寇と爲す。    司空

と、刑徒の監視に關する秦律の規定が傳えられる。獄史の指揮下司法事件の搜査に從事する姿は、『爲獄等狀』案件10(簡150-170)や『奏讞書』》案件22(簡197-228)から窺える。