士伍、秦漢の無爵身份の一つ。『漢舊儀』等にも見えており、『二年律令』に
364 (前略)公士、
365 公卒及士五(伍)、司寇、隱官子,皆爲士五(伍)。(後略)
公士・公卒及び士伍・司寇・隱官の子は、皆な士伍と爲す。
とあるように、公士以下の身分の子に授けられる。『法律答問』にも
084 士五(伍)甲鬪,拔劍伐,斬人髮結,可(何)論。當完爲城旦。
というように、量刑が爵による減刑効果の影響を受けない無爵身分の典型として、多くの設問に「士伍」が用いられる。『史記』に
五十年十月,武安君白起有罪,爲士伍,遷陰密。
五十年十月、武安君白起、罪有り、士伍と爲し、陰密に遷さる。
と見えるように、有爵者が爵を剥奪される場合も、「士伍」の身分となるが、『史記集解』秦本紀や『漢書注』淮南王傳に、
如淳曰:嘗有爵而以罪奪爵、皆稱士伍。
と、
如淳曰:律、有罪失官爵、稱士伍也。開章、名。
と引用される如淳注のように、士伍を爵位剥奪に限定して解釈するのは、出土資料の記載と符合しない。