語釈(身分呼称):隷臣

隸臣、秦代ないし漢初の身分の一つ、「耐」と組み合わせて中程度の犯罪に對する刑罰として用いられるほか、完城旦以上の犯罪に伴い官に沒收される家族(「收人」)や敵軍から投降した兵士に適用される。複合刑罰の「耐爲隸臣」は『二年律令』の次の規定に見える。

398 當戍,已受令而逋不行盈七日,若戍盜去署及亡過一日到七日,贖耐,過七日,耐爲隸臣,過三月,完爲城旦。
まさに戍すべきに、すでに命令を受けて逋(のが)れて行かざること七日に盈(み)つる(もの)、若しくは戍するに盜(ひそ)かに署を去ること及び亡(に)ぐること一日を過ぐるより七日に到るは、耐を贖う。七日を過ぐるは、耐して隸臣と爲し、三月を過ぐるは、完(まっと)うして城旦と爲す。
投降者に對する適用は、『秦律雜抄』の次の記載から窺える。
038 寇降,以爲隸臣。(後略)
寇降らば、以て隸臣と爲す。
收人の扱いについては、『二年律令』簡一七四-一七五と簡四三五とに次のように明文規定が記されている。
174 罪人完城旦、鬼薪以上,及坐奸府(腐)者,皆收其妻、子、財、田宅。其子有妻、夫,若爲戶、有爵,及年十七以上,若爲人妻而棄、寡者,
175 皆勿收。(後略)
罪人、完城旦・鬼薪以上、及び奸に坐して腐せらるる者は、皆なその妻子・財・田宅を收す。その子、妻・夫有り、若しくは戶と爲り、爵有り、及び年十七以上、若しくは人が妻と爲りて棄てられ寡となりし者は、皆な收するなかれ。
435 縣官器敝不可繕者,賣之。諸收人,皆入以爲隸臣妾。
縣官の器敝(やぶ)れて繕(つくろ)うべからざる者は、これを賣る。諸々の收人は、皆な入れて以て隸臣妾と爲す。
隸臣は、縣官の「倉」に管理され、居住等に關する制限を受けるとともに、一定の勞働義務を負うが、財產や通婚に關る社會行爲能力が保全される點で、城旦という刑徒身分と大きく異なる。