語釈(官職名):均史

均史、傳世文獻と出土資料に他の用例が見えないが、均佐と同様で、御史等によって差配された史と推測される。案ずるに、簡8-1277とJ1⑫2301には、「均佐の田□」と「均佐の召吾」が見えており、「田□」と「召吾」の出身地は、それぞれ北地郡の郁郅縣と蜀郡の臨邛縣となっている。一方、8-0755‐0759の記述からは、耕作等に必要な勞働力が不足した場合に、「治虜御史」から「徒」が「均を以て予(あたえ)」えられることになっていた事實が判明している。「均」の字義については、「人民牛馬車輦之力政を均しくする」『周禮』地官の「均人」や前漢武帝期の「均輸法」と同樣に、地域閒の均衡がとれるように調整すること、つまり「ならす」・「ひとしくする」ことをいうと考えられる(簡8-0755-0759の注を参照)。金銭を対象に「執灋」が県間の調整を行い例は嶽麓秦簡(肆)の律令簡牘の次の記述に見られる。

308   ●制詔丞相御史:兵事畢矣L,諸當得購賞貰責者,令縣皆亟予之。令到縣,縣各盡以見(現)錢,不禁

309   者,勿令巨辠(罪)。令縣皆亟予之。■丞相御史請:令到縣,縣各盡以見(現)錢不禁者亟予之,不足,各請其屬

310   所執灋,執灋調均;不足,乃請御史,請以禁錢貸之,以所貸多少爲償,久昜(易)期,有錢弗予,過一金,

311   貲二甲

なお、本簡に「日……備わりて歸(る)」とあることから、「均」に服役期閒の定めが伴ったことが判る。また、嶽麓秦簡(肆)の律令簡牘には、次のように、「均人史」(均人は均佐の誤りか)の一時帰還に関する規定が見える。

278     ●□律曰:宂募、羣戍卒及居貲贖責戍者及宂佐史、均人史,皆二歲壹歸,取衣用,居家卅(三十)日。(後略)

なお、嶽麓秦簡(伍)の律令簡牘に

050     並筭而以夬(決)具到御史者,獄數𧗵(率)之,嬰筭多者為殿,十郡取殿一郡└,奇不盈十到六亦殿一郡。

051     亦各課縣└,御史課中縣官,取殿數如郡。殿者,貲守、守丞、卒史、令、丞各二甲,而令獄史均新地。

225     史各一甲 ,有(又)令獄佐史均故徼一歲。其故徼縣獄佐史,均地遠故徼,其新地縣獄佐史有約日者,奪日

226     一歲而勿均。           ·廷己八

という規定が見えることから、御史等による差配が一種の懲戒処分にも転換して用いられていることが推測される。