「イスタンブル市街地図」
縮尺:2万分の1
刊行年:1819年
フランス語

【この地図の特徴】
 フランス人が実測にもとづいて作ったイスタンブル市街図で、アントワン・メリング著『絵で観るコンスタンティノープルとボスポラス海峡の旅』Antoine Maling,Voyage pittoresque de Constantinople et des rives du Bosphor, 3 vols., Paris, 1809-1819所収の地図です。右側にはスルタンの御所トプカプ宮殿(下の半島の先端部)とイェディクレ(「七塔城」、地図の左端下)の部分拡大図が上下に並んでいます。トプカプ宮殿の西側城壁が若干直線的に過ぎるようですが、当時の街並みを忠実に描写した貴重な地図であることは確かです。

【この地図の見どころ】
 タイトル部分に注目です。「コンスタンティノープル市街地と郊外のヨーロッパ側・アジア側双方の地図。在コンスタンティノープルのフランス大使シュワズル・グフィエ伯爵に随行した技術者フランツ・カウファーが、1776年に幾何学的に(=測量して)描いて縮小版にしたものを1786年に再度検証して加筆し、さらに1819年にジャン=ドゥニ・バルビエ・ボカジュが新たな詳細情報を加えて充実させたもの」とあります。シュワズル・グフィエはフランス王政期最後の大使(在任1784-91年)で、青年時代に考古学者らを引き連れてエーゲ海周辺を旅行し、帰国してから『絵で観るギリシアの旅』(1782年)を刊行して大好評を得た人です。大使に着任してからもフランスの考古学者、博物学者、地理学者らのパトロンのようにふるまい、イスタンブルの大使館は後のフランスの現地研究機関の原型のサロンとなりました。
 つまり、地図作者カウファーが青年貴族グフィエの最初のエーゲ海旅行の際にこの地図の原図を作成し、10年後グフィエが大使になってから加筆修正する機会があり、さらに33年たってパリの地理学者ボカジュがこの最終版を作成したのです。メリングは、グフィエの『絵で観るギリシアの旅』に刺激され、これを乗り越えようとしてイスタンブルの大パノラマ画集を作り、この地図を決定版として使いました。フランス革命からナポレオンの時代を超えて、人々の知識、情報そして執念がこの地図に蓄積しているのです。