「パレスチナ地図」
縮尺:25万分の1
刊行年:1918/19年(ヒジュラ暦1337年)
言語:オスマン語

【この地図の特徴】

 オスマン軍印刷所の刊行になるパレスチナ地図です。地形の凹凸が視覚的に示され、また下の欄外に凡例の記載があります。エジプトなど他地域の地図にも使われて本地図には見られないものもありますが、右から順に上から下に次のようになります。
―森林、灌木、椰子林、巨木
―湖沼、涸れ沼、湿地、泥地、川、涸れ川、スエズ運河の船がすれ違うことのできる地点、運河、水路、湧水地・水源、井戸
―市、町、村、集落、砦、ハーン(キャラバンサライ)、城塞、修道院、灯台
―鉄道、鉄道予定線、廃線路、キャラバン道、一般道、小道、電信線、電信予定線、オスマン帝国・エジプト国境線
―廃墟、廃墟の壁、モスク・墓廟、墓地、水車小屋、洞穴、岩場、三角点
 畑地の利用に関する記号がないのが残念ですが、おそらく軍事的に必要のない情報だったからでしょう。

【この地図の見どころ】
 この地図が印刷された1918/19年は、第一次世界大戦が終わってパレスチナの運命が大きく変わった頃です。1916年に英仏の間でサイクス・ピコ協定が結ばれてこの地域の分割が秘密裏に決定され、1917年にはバルフォア宣言でユダヤ人の民族的郷土がこの地につくられることが謳われました。「民なき土地に土地なき民を」がユダヤ人のパレスチナ入植を正当化するスローガンとして叫ばれました。この地図を見れば、パレスチナが丘陵地に農村が多数存在する豊かな土地であったことがわかります。ここに描かれた村の多くは、1948年のイスラエル建国前後の混乱期にユダヤ人武装集団により破壊されましたが、この地図により、それら消えてしまった村落の名前を復元することが可能です。
 なお世界の地表で一番低い場所「死海」はここでは「ロトの海」と書かれています。旧約聖書に出てくるロトの住んでいたソドムの町は、この辺りにあったと考えられています。地図に海抜はマイナス292.8mとありますが、現在はマイナス423mだそうです。流入する水量よりも蒸発する量の方が多いため、湖水が減っていることは確実ですが、さて?