「オスマン帝国アナトリア地図」
縮尺:150万分の1
刊行年:1884/85年(ヒジュラ暦1302年)
言語:オスマン語

【この地図の特徴】
 中央下のタイトルには
 「アナトリア地図 ― 西暦1884年にヘンリー・キーペルトによって描かれていたところ、このたびスルタンの御意により、参謀本部において新たに精密に描かれて印刷されたものである」
とあり、1884年にベルリン出身の有名な地図製作者ハインリッヒ(ヘンリー)・キーペルトが作成した「オスマン帝国のアジア諸州Provinces asiatiques de l’Empire Ottoman」を、オスマン帝国政府の軍部がいち早くオスマン語に翻訳して印刷したものです。

【この地図の見どころ】
 シリアの部分を見てみましょう。ダマスクスの右には湖のようなものが4つあります。ダマスクスは巨大なオアシス都市で、西にあるレバノンの山地から湧出する水が幾筋もの川となって流れてきていました。かつてはこのように沙漠に近いところに湖ができるほど豊かに水があったのです。「多層ベースマップシステム」のdual mapを使って衛星写真で見ると、これらの湖は消滅したことがわかります。
 現在のシリア・イラク国境の辺りではユーフラテス川が左上から右下に流れています。この周辺に遊牧民の名前がいくつか書かれています。シャンマル族、ジャッブール族、バガーラ族、タイイ族などです。ユーフラテス川はやがてティグリス川と合流して、シャット・ル・アラブ川となってペルシア湾に流れ込みます。この下流域にも大きな湖がいくつもありました。かつてこの地域は葦が密生する湿地帯で、巨大な「水郷」でした。人々の移動手段は舟でした。「多層ベースマップシステム」のdual mapを使って衛星写真で見ると、多くが干上がったり、位置がずれたりしたことがわかります。トルコ・シリア両国が上流にダムをつくったことが主な原因です。