「オスマン帝国全図」
縮尺:300万分の1
刊行年:1907/08年(ヒジュラ暦1325年)
言語:オスマン語

【この地図の特徴】
 オスマン帝国国防省印刷局から刊行されたオスマン帝国全域の地図です。1907年は「統一と進歩委員会」による「青年トルコ革命」の前年で、改革意識に燃える若手将校らが新たな国家への脱皮を模索していた時代です。この地図のどことなく明るい、のびやかな感じは、その時代のエネルギーを反映しているのかもしれません。
地図の左下に、縮尺を小さくした部分図が3点あります。アルジェリアからモロッコにかけての部分、アラビア半島のオマーンを中心とした先端部分、そしてスーダン、エチオピアからソマリアにかけての「アフリカの角(つの)」部分です。当時、アルジェリアはフランスの植民地になっていましたし、モロッコやケニア、ウガンダなどはオスマン帝国領に入ったこともありません。勇み足で実際の領土からだいぶ踏み出してしまっています。そのせいか、周辺諸国の国境も国名も記載されておらず、ただ都市名や地方名のみが書かれています。

【この地図の見どころ】
 海の名前に注目しましょう。地中海は「白海」、黒海と紅海はそのまま、カスピ海は「ハザル海」と書かれています(ハザルは6-9世紀ごろ南ロシアで国家をつくった遊牧民で、王族がユダヤ教徒)。現在も「ペルシア湾」か「アラビア湾」か、と争われている海は、イラクのバスラの名を取って「バスラ湾」とされています。エーゲ海は「諸島海」(ギリシア語源のArchipelagoに対応か)、イオニア海は「ギリシア(ユーナーン)海」とされています。
 鉄道路線に注目します。1900年、メッカ巡礼者の便宜を図るために建設が開始されたヒジャーズ鉄道は、シリアのダマスクスを起点として、ヨルダンのマアーンまで延びています。そこからメディナまでは1908年に開通するのですが、この地図ではまだ建設中です。ベルリンからバグダードまでを結ぶ遠大な構想のもと1903年に敷設工事が始まったバグダード鉄道も、この段階ではまだアナトリア中南部のコンヤ止まりで、その先は建設中です。エジプトではアレクサンドリアなどナイル・デルタの主要地点から線路がカイロに集まり、さらにナイル川をさかのぼってスーダンのハルトゥームまで到達しているのがわかります。パリ始発のオリエント急行は1889年にイスタンブルまで直通になりました。この地図ではベオグラード・ソフィア間の路線がいま一つ判然としませんが。