「オスマン海軍省地中海全図」
縮尺:記載なし
刊行年月日:1852年9月3日(ヒジュラ暦1268年ズー・アルカーダ月18日)
言語:オスマン語

【この地図の特徴】
 オスマン帝国海軍が作成した海図で、地中海だけでなくモロッコの大西洋側からフランスのブルターニュ地方まで、港という港を網羅して書き記したものです。内陸部の情報がありませんが、その空白部分に、北アフリカやヨーロッパの港湾都市やその周辺地域の詳細図・パノラマが31点、解説付きで描かれています。また水深も細かい数字で書かれています。

【この地図の見どころ】
 内陸部に描かれた部分図がみな興味深いですが、あえて一例にだけ注目してみましょう。
 地図上端中央部のやや右寄りにマルタ島とゴゾ島という二島の部分図があります。マルタはイタリアのシチリア島のさらに南にあり、この当時はイギリスの支配下にありました。現在はEU加盟国ですが、マルタ語はアラビア語に極めて近い言語です。
 その二島の図の下に接する3つの部分図のうち、中央のものはマルタ島の主要港ヴァレッタの拡大図です。そして丁寧にもヴァレッタの先端部にあるセント・エルモ城砦の灯台の遠望図まで描かれています。マルタ島、とりわけヴァレッタ港が地中海航路の補給地として重要だったことがよくわかります。(なお、この図の左隣はイタリアのトリエステ、右隣はギリシアのコルフ島の東側とアルバニア沿岸部の図です。)
 その図にはセント・エルモ灯台の位置情報が北緯35度53分、西経14度24分40秒とありますが、これは「東経」の誤りです。同じ図の左下に「ヴァレッタ港の入口にあるセント・エルモ・タワーにある灯台は甚だ明るいゆえ8リーグすなわち24マイル先から確認できる」とあり、海図としての実用性を示しています。
 ヴァレッタ拡大図のタイトルは「マルタにおける大港とカランティン港」です。天然の埠頭が何本も湾に突き出ていて、港として理想的な形ですが、その太い中央部分の北側が「カランティン港」で40日間の検疫隔離のために使われ、南側の「大港」が荷揚げや客の乗降に使われていたようです。