古文字とは?

 「古文字」とは、文字通り古い文字にほかならなりませんが、中国では、この言葉を漢字とそれ以外の文字について使う場合に、意味が少し違います。漢字以外の文字は、満文、蒙古文や西夏文字のように、清朝以前に使われていた文字を広く「古文字」と言います。それに対して、漢字については、「古文字」は、秦以前の文字に限られます。この展示会では、秦以前の漢字という意味の「古文字」に焦点を当てます。

 秦の始皇帝が文字を統一したということはよく知られていますが、『説文解字』によれば、秦の国では、漢字はなお八つの種類に分かれていたそうです。それを「八体」といいます。この八種類の書体は、「大篆」と「小篆」が、春秋時代以前と戦国時代以後用いられた正規の書体を指すほか、主に用途によって書体を分けています。それは、我々現代人も判子に篆書、官庁書類に楷書と、私信に行書や草書を使い分けているのとよく似ています。

 その中でも、後世に大きな影響を与えたのは、いわゆる「隷書」です。これは、行政府の中で日々の記録活動に用いられた書体ですが、字体が簡略で、実用性が高い点が最大の特徴です。この隷書が漢代に受け継がれただけではなく、他の書体がほとんど忘れられてしまうほどの勢いで普及してしまいました。

 我々が現在使っている楷書・行書や草書は、大本をただせば、いずれもこの隷書から発展して生まれたものです。先秦の文字とより直接な関係を保つ篆書は、印鑑という特殊な用途にのみ限定されるようになってしまいました。この事情は現代日本も漢代以降の中国もそれほど変わりがありませんが、このように隷書の普及によって書体が一変したことを「隷変」といいます。書体の変化の大きさを視覚的に理解していただくために、下に二つの例を掲げておきましょう。

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図1:古文字と隷・楷書の書体比較
(裘錫圭『文字学概要』(商務印書館、2002年)より

 

 この「隷変」は漢字の歴史において大きな節目となりました。始皇帝の文字統一よりもその意義が大きいかもしれません。「古文字」とは、この里程標を境に漢字を区別し、それ以前の漢字を一つのカテゴリーに纏めたものと理解することができます。

 

 

 

 

 

 

先秦漢字とは?

 

 同じ中国でも、すべての文字が漢字というわけではありません。少数民族の多い地域を旅行した方々は自ら体験をなさったかと思いますが、国土の広い中国では、今でも地域によって漢字とは全く違う文字が使われることがよくあります。昔の中国でもそれは変わりがありません。

 むしろ、現代中国以上に文字の使用が不統一であっても不思議ではありません。上に秦の始皇帝が文字を統一したという話をしましたが、それは、文字の統一に一定の国家権力を必要とすることを象徴します。秦以前に文字の統一に一定の力を発揮した王朝には、殷王朝や周王朝があり、そこでは漢字と同じ系統の文字が使われましたが、殷や周の勢力圏は小さく、後の帝国とは比較にもなりません。

 したがって、先秦中国でも、漢字と違った系統の文字が多く使われていた方が自然の成り行きと言えましょう。下にその例として二つの写真を掲げます。

新石器時代晩期の陶片
図2:丁公陶文(『文物』1993年第4期より)

 図2は、陶器の破片に刻まれた文字で、発掘地である山東省鄒県丁公村に因んで「丁公陶文」と呼ばれます。この破片は龍山文化晩期に属しており、時代は新石器時代晩期と推定されます。 

巴蜀文字
図3:巴蜀文化に属する矛(個人所蔵)

 図3と4は、四川省で発見された矛に鋳込まれた文字を映します。四川省には類似した文字は数多く見られますが、一般に、「巴蜀文字」と言います。「巴蜀」とは、現在四川省の別称となっておりますが、漢代には、四川に「巴」と「蜀」という二つの郡が設置され、先秦時代にも、すでにこの地域には「巴」と「蜀」とが自称として使われていました。「巴蜀文字」は、先秦時代にこの地域に栄えていた独特の文化を伝えてくれる貴重な文化遺産と言えましょう。

巴蜀文字・拡大

図4:巴蜀文字(図3より転写)

 以上示した文字は、漢字とは直接的な関係がありません。先秦時代に用いられたこれらの文字との区別を明確にするために、漢字について言うところの「古文字」を、「先秦漢字」と言い換えることができます。先秦漢字は、先秦文字の一種に過ぎません。

 しかし、先秦中国の文字資料の中では、漢字が量的に圧倒的な優位に立つだけではなく、解読の面でも漢字とそれ以外の文字とで雲泥の差がつきます。先秦漢字は、字形が漢代以後の漢字に継承されるだけではなく、それによって表記される言語も、現代中国語、いわゆる「漢語」と繋がりを持ちます。歴史的な変化にさえ注意して遡っていけば、殷代の漢字によって表記された「漢語」に辿り着き、何とかそれを解読することができます。

 漢字以外の先秦古文字では事情が全く違います。そもそもこれらの文字が、どういう言語を表記しているかという最も基本的な事実さえわかりません。言語がわからなければ、当然に文字も解読できません。今後の見通しも必ずしも明るくありません。新しい資料が出土するたび、研究者は好奇心をそそられますが、結局は文字が読めず、体系的な研究には結びつきません。

 そのため、先秦中国の文字研究では、どうしても漢字が中心的な地位を占めるようになります。本展示会の企画も、「中国古文字」と称しつつ、実際は「先秦漢字」しか取り上げておりません。それはひとえに企画者の力不足によりますが、少なくともこの場を借りて、漢字と違った文字の存在を紹介しておきたいと思い、以上のような説明を加えさせていただきました。

(正確に言えば、統一秦もまだ「古文字」を使っていたので、「古文字」と「先秦漢字」とでは、時間的範囲が少しずれてしまいますが、統一秦は、戦国時代の漢字を踏襲しているので、秦帝国の十五年を無視して、「古文字」をそのまま「先進漢字」と言い換えることが許されるかと考えます。

 

 

 

先秦時代の書写材料

概念の整理


 漢字が書かれている書写材料によって、書風は、大きく違ってきますが、先秦時代について説明する前に、一度現代の状況を思い浮かべて、「書写材料」という概念について考えてみましょう。

 我々現代人は普通、紙や電子媒体に「書写」します。ちょっとしたメモや手紙、お習字や書道の作品、冗長な著作物、或いは諸種の証書などは、それぞれの内容と目的を問わず、それを紙に書くことができますし、多くの場合紙の代わりに電子媒体を使うこともできます。具体的な内容とは無関係に、広範に「書写」に使える材料という意味で、紙やそれに代わる電子媒体を、「書写材料」と言えましょう。

 ところが、身の回りを見渡すと、「書写材料」以外にも、文字が書かれている「モノ」が氾濫しています。パソコンなどの製品にメーカー名、型番や諸種の警告と注意が記されていませんか。電車の切符、銀行のカード、T-シャツ等の衣類、旅先で買ってきた記念品、商店の看板や暖簾、下水道の蓋……よく見てみると、文字のないものの方が少ないかもしれません。しかし、これらの「モノ」は、文字を書くために作られたのではありません。「モノ」には、書かれた文字とは無関係に、独自の存在目的があります。文字は、それぞれの使用目的に付随して記されるに過ぎません。

 紙や電子媒体といった通常の書写材料と区別するために、文字が書かれている「モノ」を例えばキャリヤーと呼ぶこともできますし、或いは紙や電子媒体を一般的書写材料と、キャリヤーを特殊書写材料ということもできましょう。

一般的書写材料

 では、先秦漢字に話を戻しましょう。一般的な書写材料としては第一に「簡牘(かんとく)」を取り上げなければなりません。「簡」も「牘」も、「ふだ」の意にして、材質によって、「竹簡(ちっかん)」、「木簡(もっかん)」もしくは「木牘(もくとく)」を区別します。

 「簡」という「ふだ」は比較的細く、竹や木を幅12cm、厚さ23mmの短冊形に切ったものを言います。長さには、1尺(約23cm)、2尺など、幾つかの規格があり、一部用途によって違った長さの簡を使い分ける傾向もなくはありませんが、先秦時代には必ずしも厳格が区別がありません。

 簡には、縦に一行もしくは二行を書くことができます。もっとたくさん書こうと思ったら、短冊にもう少し幅を持たせる方法と、幾つかの簡を紐で綴り合せて大きな平面を作る方法があります。前者は、いわゆる「牘(とく)」という幅の広い「ふだ」になります。主として木で作り、「木牘(もくとく)」と言います。主な用途は、行政文書(図6)と地図などの図会(図7)であったように思われます。行政文書の場合には、簡の綴り合せにおいて生じ得る順番のずれや偽造の危険を避けて信憑性を高める狙いがあり、図会の場合には、より完全な平面を確保するために、「簡」の代わりに「木牘」が用いられたと考えられます。

 

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図5
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  図6

製作中

図7

図5:戦国時代・竹簡(『上海博物館蔵戦国楚竹書』より)

図6:秦代・木牘(『文物』2003年第1期より)

図7:

 

 竹簡や木簡を綴り合せたものは、「冊書」(さくしょ)と言います。冊書なら、何十行も続けて書くことができる大きな平面ができあがります。これぐらいの平面があれば、学術的な著作も可能になります。1993年には、湖北省荊門市郭店村で、800枚あまりの竹簡が発見され、またその後香港経由で、同じ場所から盗掘されたと思われる1200枚あまりの竹簡が上海博物館に収蔵されましたが、そこには、戦国時代の楚および魯や斉の国の漢字で、『周易』や『詩経』などの経典や、『老子』など諸子百家の著作が記されています(図8)。編綴に使われた紐は朽ちて失われていますが、行の途中に同じ高さに空白が設けられ、上下端と真ん中当たり、簡の右側に小さな切込みが施されたところに、紐を通していたと考えられます。

 実際に編綴の紐が現存しているのは、漢代以降の史料に限りますが、形状はほぼ同じと推測できますので、参考のため下に図9の写真を掲げます。

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図9:漢代・永元器物簿(居延出土、台湾中央研究院歴史語言研究所蔵)

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図8:戦国時代竹簡冊書(『曹沫之陣』、『上海博物館蔵戦国楚竹書』より)
 簡牘とよく似た書写材料には、「觚(こ)」というものがあります。「觚」は、角柱の形をした多面的な「ふだ」(図です。各面には、それぞれ簡と同様に一行か二行しか書けませんが、相当な厚みを持つ故に、その表面を削り何回も書き直すことができます。おそらく習字やメモなどに使われたのではありませんでしょうか。 zhugu1
図10:戦国時代・竹觚(『包山楚簡』より)
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図11:漢代・木觚(『額済納漢簡』より)

 

 また、簡牘と関連して注目すべき現象としては、いわゆる「陶券(とうけん)」もしくは「瓦書(がしょ)」に言及しなければなりません。「陶券」には、土地売買契約やあの世に宛てた行政文書が記されています。形状を見れば、これらの陶製の板は、明らかに木牘を模倣して作られていることが判ります(図12)。埋蔵しても朽ちないように、木材を陶製にかえたものと考えられます。

 類似した現象は、玉にも見られます。図13は、木牘の形をした玉版です.書かれた内容は、秦の恵文王が病気の快復を祈って神(華山)に宛てた行政文書の形をとります。

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図12:秦・封宗邑瓦書

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図13:

 

 次に、書写材料の第二類型として、「帛(きぬ)」を取り上げることができます。文字が書かれている「帛」およびその文字を「帛書」(はくしょ)と言います。この書写材料はやや高価ですか、簡牘と比べると、より完成度の高い平面ができますので、図や絵の描写にもいっそう適します。また、これを畳んで、後世の「折本(おりほん)」のような形にすると、それを小さな箱(「笥」)に仕舞うこともできますので、保管や携帯に便利でしょう。保存状況があまりよくありませんが、参考のためにいわゆる「楚帛書」を掲げます。

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図14:戦国時代・帛書(『楚帛書』より)

 最後に、簡牘も帛書も、現在発見されているものは、戦国時代を上限とします。それより古い時代、つまり春秋以前の時代については、そもそもどういう書写材料が使われていたか分かりません。金文に、「冊命」(=一種の辞令)の副本が多く含まれていることから、通常の書写に用いられていた材料が別途に用意されていたと推測されますが、新しい史料が現れない限り、それ以上のことは言えません。

 なお、興味深いことに、上に掲げた「丁公陶文」は、焼成の後に文字が刻まれているだけではなく、文字の位置などからして、陶器が壊れて後その破片に文字が刻まれたのではないかと推測されます。この推測が正しいとすれば、この陶文は、「モノ」に付随して記されたのではなく、「書写材料」として廃棄した陶片を再利用して書かれた可能性が出てきます。新石器時代晩期の人はすでに「書写」をしていたのでしょうか。

 

特殊な書写材料(「モノ」、「器物」、キャリヤー)

 

 器物に書かれた諸種の文字を、大雑把に次の種類に分けることができます。

・甲骨文
・金文
・陶文
璽印文字
貨幣文字

 

 亀の甲羅や動物の骨に刻まれた文字を「甲骨文」として纏めることができます。最も有名なのは、「占卜(せんぼく=うらない)」を主要な内容とする殷墟の甲骨ですが、周代にも一時殷墟のそれとよく似た甲骨文が発見されています。大よそ西周中期辺りまで、占卜に使われていた甲骨に文字が刻まれた例が確認できます。その後の時代には、引き続き占卜に甲骨が使われますが、占卜に関する記録は、甲骨から消えていきます。興味深いことに、戦国時代には、甲骨文とよく似た卜辞を記した竹簡(包山楚簡、新蔡簡など)が発見されています。占卜の記録に、一定の変化が起きたと言えましょう。

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図15:亀・背甲・卜辞(『甲骨文合集』より)
左:裏、穿鑿の痕跡。右:卜辞

占卜のほかに、例えば、骨に彫刻を施し短い記念文章を刻んだ特殊な資料も、この甲骨文に分類されるべきでしょう。右の写真は、「匕(ひ=さじ)」という食器に仕立てられた野生の牛の肋骨を映します。この肋骨は、丰という人が殷王から賜り、彫刻を施して、記念の文章まで記しています。文章には次のように言います。「壬午の日に、王が麦麓で狩をし、赤い色をした大きな野生の牛を獲た。時は、王の六年五月、肜日」。

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図16:牛・肋骨・宰丰彫花匕(中国国家博物館蔵)

 
 
 
 
 

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