シャリーフ・ベイ宮殿の風景


VIEW OF A PALACE OF SHEREEF BE
BAB EN NASR & WALLS OF CAIRO
リトグラフ、ラグ紙


 1816年、父ムハンマド・アリーの命によりアラビア半島遠征に赴いたイブラーヒーム・パシャは、首尾よくワッハーブ派王国を滅ぼし、1819年暮れ、カイロに凱旋した。この時、イブラーヒームのためロード島に建てられた宮殿の設計にあたったのが、政府高官シャリーフ・ベイだったという。19世紀初頭のエジプトに関する最高の同時代資料、ジャバルティーの年代記をもってしても、彼についてこれ以上の情報はなく、彼の名のついた宮殿の場所も特定できない。150年の間に所在すらわからなくなってしまった宮殿の運命は、まさに盛者必衰の理を顕わすと言えよう。