国立民族学博物館所藏「中西コレクション」
B27
スィック教根本聖典写本
グルムキー文字

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グルムキー文字によって書かれた聖典『グラント・サーヒブ』の写本です。この聖典は、1604年にスィック教第5代教主アルジャンによって集大成されました。1708年に第10代教主ゴービンド・スィングは、この聖典に、第11代にして最後となる教主(パンジャービー語での呼称はグルー)の地位を与えました。以後、この聖典は『アーディ・スリー・グルー・グラント・サーヒブ』と呼ばれるようになりました。

第10代教主ゴービンド・スィングが1705年から1706年にかけて、聖典『アーディ・スリー・グルー・グラント・サーヒブ』の定本を編纂した、ダムダマー(インドのパンジャーブ州バティンダー県にある)は、スィック教の五大聖地の1つとなっています。

この聖典に最後の教主の地位を与える時に用いられた写本は消失しましたが、第10代教主の直弟子バーイー・マニー・スィングとバーバー・ディープ・スィングの手になる写本はダムダマーに現存し、現在使用される聖典『アーディ・スリー・グルー・グラント・サーヒブ』はすべて、このダムダマーに残る写本を定本として刊行されています。この地での聖典の写本筆記は18世紀中葉(1738〜54年頃)に全盛を迎え、この地に住むスィック教学者が確立した書体はダムダマー体と呼ばれるようになりました。展示品は典型的なダムダマー書体で書かれ、この時代の写本と推定されます。ダムダマーの定本に準拠した標準的な大きさに比べると、かなり小型です。グルドゥワーラー(スィック教の礼拝所)備え付けの朗唱用でなく、個人の所蔵用の写本と考えられます。

その後、聖典の写本は、この書体を用いた手書き石版刷りの時代を経て、活版印刷の時代を迎えます。ラーホールに住むヒーラーナンド・マルワーハーがインド人として最初にグルムキー文字の活字を製造し実用化したのは1887年のことです。彼は開祖ナーナク生誕420年紀にあたる1889年に、最初の活版印刷による聖典をアムリトサルの総本山に奉納しています。

(岡口 典雄)