緊急集会「イスラエルによるガザ侵攻を考える」

2009年1月11日(日)

酒井 合理的に進めていければと思っておりますので、会場のほうからもよろしくご協力をお願いいたします。

山本 では資料が行き渡り次第開始したいと思いますが、ご覧のとおり、今日は会場の用意が足りず、非常に混雑しております。そして長丁場でもあります。途中でいったん休憩を入れる予定ですが、あまり時間の余裕もありませんので、お手洗いなどに行かれる方はなるべくお早めにお願いいたします。それから休憩時間も10分トイレ休憩というくらいで、特にお食事などが取れるような長い休憩はありませんので、予めご了承ください。

酒井 追加資料が行き渡っているかと思いますが、いま印刷に少し手間取っておりまして、お手元に行っていない方追加で後に来ると思いますので、お手元に行っていない方はお待ちください。お手元の資料ですが、いろいろお配りしていますが、それぞれの講演者の報告レジュメをお配りしています。いま別途お配りしたのは、概況についての一般的な資料です。

山本 いまの補足ですが、今日は講演者の順番が資料の順番と若干変更になっていますので、最初に講演者の順番をお伝えしておきます。最初が、錦田研究員による現状報告です。これがいま遅れている資料を見ながらの話になります。そして2番目が、私、山本によるアラブメディアの報告、これはすでに資料の一番上に来ていると思います。四角い枠がたくさん並んでいるものです。

次が、日本女子大学の臼杵陽教授によるご報告で、これも私の資料の次に来ていると思います。その次が、朝日新聞の編集委員、川上さんのご報告で、次の何枚かホッチキスで綴じてあるものの一番上の半ペラのものです。その次が、いったん休憩をはさんで、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の黒木教授によるご報告ですが、これもおそらく川上さんのあとに資料が入っていると思います。

次が、同じく東京外国語大学の飯塚正人教授ですが、ここと最後に予定している酒井啓子教授の資料の順番が逆になっていると思いますので、あとでご注意ください。準備があわただしくていろいろご不便をおかけしますが、よろしくお願いします。

それでは予定時間になりましたので、資料がお手元にない方には申しわけありませんが、これから随時届いてまいりますので、会を始めさせていただきたいと思います。本日は急な呼び掛けにもかかわらず、こんなにたくさんの方にご来場いただきまして、まことにありがとうございます。

主催者側の予想をはるかに超える人数にお越しいただいたために、このような立ち見というような状況になってしまいまして、また入場制限などもこのあと行われることになると思いますが、そのような不備を予めお詫びしておきたいと思います。今日の講演は録音して、後日文字に起こして、われわれの大学のプロジェクトのホームページなどで公開していきたいと考えていますので、お越しいただけなかった方にもご覧いただく機会をつくりたいと思っています。

さて、昨年の12月27日から始まったイスラエルによる大規模なガザへの空爆、そして今年1月3日から始まった地上侵攻によって、今日の時点で800人を超える死者と3000人を超える負傷者が出ており、この数字は日ごとに増加しております。このような大惨事を目の当たりにして、われわれ常日ごろ中東研究に携わっている研究者としても、とにかく何かをしたい、何かメッセージを発信したいということで、酒井啓子教授の呼び掛けによって、この会を急遽開催することにしてから、実はまだ1週間も経っていません。

そういうわけで十分な準備も行き届きませんでしたが、こちらとしてはまずは集まって、この事態をどう受け止め、どうアクションを起こしていったらいいのか、何らかの指針のようなものでも示すことができれば、とりあえずはわれわれの使命を果たすことになるのではないかと考えています。

また、大変ご多忙の中、急なお願いにもかかわらず講演を引き受けてくださいました朝日新聞の川上編集委員、日本女子大学の臼杵陽教授にも感謝申し上げたいと思います。

それでは厳しいスケジュールになっていますので、さっそくプログラムの1番目、東京外国語大学アジア・アフリカ言語・文化研究所の錦田研究員に、この攻撃に至るまでの簡単な現状報告をお願いしたいと思います。

錦田 よろしくお願いいたします。東京外大の非常勤研究員の錦田と申します。専門はパレスチナ研究で、特に西岸地区・ガザ地区以外の、ほかの国々に離散を強いられている人々、難民のことを研究しています。今日は、いま皆さんのお手元に順次これから届きます資料の作成担当者として、その資料に関するご説明と、それをまとめながら考えたことなどをお話しさせていただきたいと思います。

資料が既にお手元にある方は、そちらを見ながらお聞きください。まずは資料の構成ですが、少し迂遠なようにも感じられるとは思いますが、最初にイスラエル/パレスチナ紛争の関連年表を付けさせていただきました。問題をよくご存じの方にはあまり必要ないものかもしれませんが、この紛争、イスラエルとパレスチナの間の衝突というものがどういった原因で始まったのか、その紛争の火種としてのシオニズムの始まりというところから年表を書き起こしてあります。

この2ページ目の紛争関連年表は、1993年のオスロ合意を含め、2003年のロード・マップまで、つまりまだアラファトが存命中の政治過程で終わるというかたちになっています。資料の3ページ目から8ページ目は、イスラエルによるガザ侵攻の推移で、2008年、2009年のガザ侵攻に関連した動きということで、冒頭に2003年のロード・マップ以降、最近3年あまりの主要な動きをまとめています。

このたびのガザ侵攻、またはガザへの攻撃という、まだ報道でも各紙で名前が定まっていないイスラエル軍による攻撃ですが、皆さんもご存じのとおり、こうしたガザへの侵攻は今回が初めてではありません。これまでも何度も繰り返されてきました。そこで、それぞれについて、どのような状況に基づいて起きてきたのか、そして今回はどのようにそれまでと違うのかという経緯を、この年表を通して説明していければと考えました。

これまでの主な侵攻としては、まず2004年5月にガザで大規模な家屋破壊が行われました。これは、今回も争点となっているエジプトからの武器密輸と言われているもの、その経路としてのトンネル地帯付近を、イスラエル軍が監視しやすくするようにという名目で強制的な建物撤去が行われました。この際、エジプト国境付近のパレスチナ人家屋のうち、220軒が全壊、140軒が部分的損壊し、800家族、5000人近くが家を失ったとされています。その状態が現在にも至っているわけです。

次に、さらに近い例としましては、2006年6月に再び侵攻がありました。このときは、パレスチナ武装勢力がトンネルを通ってイスラエル側に潜入して軍の施設を攻撃した、というのが口実とされました。誘拐されたと言われるギラド・シャリットというイスラエル兵士がいるのですが、彼の奪還を唱えて、イスラエル軍がやはりガザ地区の南部に侵攻したわけです。このときは、侵攻に呼応したように、レバノンからもヒズブッラーによるロケット攻撃が始まり、こちらのほうに注目が集まりました。その陰でガザでの侵攻が取り上げられることはあまりなかったのですが、このときも多くの方が亡くなっています。

そうした経緯を経たうえでの今回の侵攻ですので、資料の中では、“2008-09年ガザ侵攻”というかたちで、暫定的に名前を付けさせていただいています。続いて3ページ目から8ページ目、資料の大部分は、12月27日の、皆さんご存じの空爆開始から、1月3日の地上戦開始以降10日まで、つまり昨日までの動向を、報道などに基づいてまとめてあります。

資料の中で、年表の次に出てくるのが、ガザ地区に関する基礎データです。こちらは、おそらく今日お集まりの皆様はご存じの方も多いと思われますが、ガザがいったいどこにあるのか、どれくらいの面積で、どれくらいの人口が住んでいる場所なのかといったイメージ、全体像をつかんでいただくために作成しました。ここではガザ地区内にある難民キャンプの名前と、それぞれの人口も挙げています。

その次に挙げたのが、今回のガザ侵攻による死傷者のデータです。こちらはイギリスのガーディアンという新聞が発表している数値をもとに、私がグラフを作成したものです。

酒井 インターラプトして申しわけありません。入り口のところで若干名お入りになりたくて並んでいらっしゃる方がいらっしゃいます。大変厳しいことはよく存じ上げていますが、前のほうにお座りいただくことも可能です。恐れ入りますが、若干詰めていただけますでしょうか。申しわけございません。

錦田 グラフについては後ほどご説明させていただきます。資料の続きの部分ですが、そのあと関連情報サイト挙げさせていただいています。今回のガザ侵攻を受けて、いろいろなメディアで特集が組まれていますが、そうしたサイト、また研究機関、民間のNGOまたは個人の有志によって管理されている、インターネット上でアクセスが可能なサイトの一覧です。最後に参考図書を載せてあります。

これらの資料を通して私が考えたこと、言いたいこととしては、二つ挙げさせていただきたいと思います。一つ目は、数字を通して見えてくることです。一般的なメディアの報道等では、報復合戦とか暴力の連鎖といった言葉が使われがちです。その中で“ハマースはテロ組織だ”との前提で、“テロに対する戦い”という言い方がされますが、実際にそうなのかという点については、数字を通して見れば明らかになってくることがあります。

たとえば、こちら(パワーポイントの画面でグラフを表示)は皆さんの資料に含まれたものですが、今回の侵攻を通して出てきた犠牲者の数です。グラフで紫色の壁のように並んでいるのが、パレスチナ側の負傷者の数です。これは9日までの数ですので、3100名となっていますが、現在さらに増えています。その下、緑色の帯のように連なっているのが、パレスチナ側の死亡者です。その手前にある、ほとんど高さとしては盛り上がりを見せないような、数値としてはパレスチナ側と比べて非常に小さいのがイスラエル側の死亡者、負傷者の数です。

このように犠牲者の数を比べるだけでも、これが“お互い様”、また“けんか両成敗”といった言葉で片付けることができないこと、報復合戦という言葉でイメージされる、均衡した暴力ではないことが見て取れるのではないかと思います。このような非対称戦争、つまり完全武装の正規軍に対して、かき集めの武器で戦うゲリラ部隊の戦いというのは、必ずこういう結果になってしまいます。これがブッシュの唱える対テロ戦争の実態だということを、数字を通して確認いただければと思いました。

数字を通して見えてくることの二つ目は、申しわけありませんが、今回の配布資料には含めていないのですが、今回のガザ侵攻の異常さということです。第2次インティファーダの開始で、皆さんご存じのように、2000年からパレスチナとイスラエルの衝突が激化しました。激化したあとにパレスチナ自治区で何人のパレスチナ人の犠牲者、つまり亡くなった方がいたのかというのを、BBCのデータで見ると、トータルで3135名が5年間に殺されたという数字が挙がっています。加えてイスラエル領内で、また主に入植者だと思われる“民間人”によって殺されたパレスチナ人が合計30名というかたちです。

これに対して、今回の侵攻は始まってからまだ15日目です。わずか15日の間に800人の方が亡くなっています。第2次インティファーダでの死者を単純計算で割ると、5年間で3135人ということは、1年で約600人、1カ月で50人、均等で言ってもそういうペースです。激しくなった戦闘と言われるインティファーダを通しても、1カ月で50人の死者だった。ところが今回は15日の間に800人の方が亡くなっているというのは、いかに異常なことであるか、緊急事態であるかということを理解していただけると思います。

ここまでは数字を通して見えることですが、数字だけではもちろんわからないこともあります。数字や政府発表からは見えないもの、これが私のポイントの2つ目です。それに関しては、写真などのイメージが非常に有効だと思います。こちら[パワーポイントの画面で写真を表示]は報道で配信されたものを集めてきた写真です。画面の左に見えるのが1日、ハマースの幹部、ラヤン氏が暗殺された現場です。“暗殺”と、たった1行で伝えられる事件ですが、写真を通して見ると、それに伴う破壊の規模がうかがわれます。煙が上がっている真ん中のあたりに、おそらくラヤン氏の自宅がありました。個人を攻撃するのに、わざわざミサイルを使っている。ということは、周辺の家屋もすべて巻き添えになるわけです。周辺に住んでいる人々が、必ずしもすべてハマースの幹部ばかりだったとは、とても考えられません。

一方、これだけ大規模な破壊を起こした攻撃に対して、イスラエル側が問題にしているロケット弾、もちろんこちらでも死者が出ていることは否定しがたい事実ですが、その被害の写真が画面の右側です。家屋の一角に、屋根を突き破ってロケット弾が落ちているという状態です。もちろん両方暴力には違いないのですが、そうはいっても使われる手段がこれだけ違うということは、写真によるイメージを通しても明らかではないでしょうか。

イスラエル側は、この攻撃はラヤン氏の自宅を目標としたもので、民間人を狙っていないピンポイント攻撃だと言っています。しかし、ピンポイント攻撃ということが、人口密集地で果たして可能でしょうか。ガザ地区の人口密集の度合いについては、お配りした資料を見ていただきたいのですが、このように人家が密集したところで爆撃をすると、必ず周りに巻き添えが出ます。写真でもご覧いただけるように、多くの子どもたち、また民間人が亡くなっていくわけです。

他にも非常に問題とされたところで、8日に国連職員への攻撃も行われました。ガザの人たちは食糧支給など、また医療の面などで、国連からの支援に頼らざるを得ない状況です。通常、活動の中心組織はUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)なのですが、現在は危機状況ですので、WFP(国連世界食糧計画)とか、ほかの機関も入っています。こうした援助に対しても攻撃が加えられています。確かに戦闘状態ですので、前線での連絡のミスは起こるかもしれません。ですが、こうして国連職員への攻撃が行われたことで、実際に8日、支援が一時中断されています。完全に中断ではなく、輸送を伴うものだけですが、そうした人々にとっての命綱のようなものでさえも寸断される状況がガザで起きているということを、おさえておく必要があると思います。

侵攻の背景、開戦の理由については、おそらくこのあと先生方から詳しくご説明があると思われますので、私のほうからは簡単に述べさせていただきます。イスラエル側の意図は、イスラエル政府も主張していますし、かなり明白なものだと思います。それは、スデロットやベエルシェバまで届くと言われるロケット弾を完全に飛ばせなくすること、またガザ地区内に武器を持ち込ませないための密輸ルートの完全封鎖と言われています。

ロケット弾と大げさに言われますが、これは非常にシンプルな物です。画面の右側の写真はハマースではなく、レバノンのヒズブッラーのミサイルです。実はこちらのほうが、ハマースのロケット弾よりも強力で性能がいいと思われる物ですが、それでも発射台もなく、板の上に立てかけて使っているという感じのロケットです。これを脅威と主張し、運搬経路の封鎖のために開戦したわけです。

また、表向きの理由はこのように公言されていますが、その背景として、こちらが真の意図だろうと広く指摘されているのが、2月の総選挙です。イスラエルは来月総選挙を迎えます。現在、政権を握っているオルメルト首相の属するカディマという政党は、前回の2006年のレバノン戦争での失敗でかなり人気を落としました。人気が落ちた状況で次の選挙が来れば、多くの議席を失うのは確実と言われています。ですから今回、このように軍事的に成果を上げること、自分たちカディマ、また連立与党の労働党はイスラエルという国を守れる強い指導者であるとの立場をアピールすることで、次の総選挙に勝とうというのが真意ではないかと言われています。

これに対して、ハマースによるロケット弾攻撃が行われる意図ですが、こちらはイスラエルほど明白ではありません。ただ、私が個人的に考えていることとしては、ハマースもさすがに弱小なロケット弾で軍事的にイスラエルに何か影響を与えられる、打撃を加えられると、そんなに能天気には考えていないと思います。でも、それを発射せざるをえないというところに、その背景があるのだと思います。

その背景としては、こちらもあとで年表をご覧頂きたいのですが、ガザ地区住民が現在、援助頼りの状態になっていることが挙げられます。なぜ援助頼りか。それはガザが経済封鎖されているからです。直近の出来事としては、2008年12月26日、イスラエル側からガザ地区への燃料供給が停止されました。同じ31日には一部の発電所で燃料不足のため、操業が停止しています。

それ以前からも封鎖は始まっていました。特にハマース政権が成立したあとの経済封鎖は厳しく、12月初旬にはすでに日本のNGOからも、人道的な危機がひどく進んでいるという緊急アピールが出ていました。そうした中でハマースとしては、ガザの危機的状況を訴える手段として、カッサーム・ロケットを使ったのではないかと考えられます。

この緊急アピールについては、添付資料のパレスチナ・ナビ、またはパレスチナ・アーカイブスというインターネットのアドレスのほうからたどっていただけます。時間がありませんので、ここでその文面を読むのは省かせていただきますが、後でぜひご覧いただきたいと思います。

こうした状態、つまり暴力の応酬ではなく、それぞれが意図を持った異なるレベルの攻撃が不均衡に続いている状態が現在のガザだと思います。これをどう解決していけばよいのか、ということで私が考えていることは、まずは暴力の停止、それによって住民の安全確保をする。それが第1条件だと思います。そのために現在、停戦交渉というものが行われています。

しかし現在のかたち、特にイスラエル側が好む合意内容というか、イスラエル側が主張するかたちで停戦合意が成立したとしても、そのあとイスラエル-パレスチナの間に長期的な平和が訪れるとはとても考えられません。それはなぜかというと、イスラエル側の主張、すなわちロケット弾による攻撃の規制、密輸規制によって、たしかにイスラエル側に一時的な安全は訪れるかもしれません。しかし根本的な問題、パレスチナ側が攻撃を仕掛ける理由、ガザ地区の貧困、そして占領という事実は終わっていないわけです。こちらに実際に目を向けていかない限り、紛争の根源は解決しないということです。

ですから、まずは暴力の停止が起きたあと、ガザ地区の住民に対する最低限の生活の保障がされること、それから武装解除をする前提として、ガザに対する占領という事態の解決を図っていくことが求められます。1948年戦争で起きたパレスチナ人の難民化のことを、アラビア語でナクバと申します。こちらは広河隆一さんの映画でご覧になった方もおられると思います。このナクバそのものの根本的な解決をしていかなければ、結局、ガザの現状、また今後のイスラエル-パレスチナ間の紛争は解決しないのではないかということを、現在私は考えています。以上で私の発表を終わらせていただきます。


続きまして、私、山本からの報告に移らせていただきたいと思います。私は東京外国語大学の中東イスラーム研究教育プロジェクトの事業の一つである、「日本語で読む中東メディア」という、お手元にパンフレットを配らせていただいていますが、そちらの運営を担当しています。これは2005年4月から始まったもので、アラビア語、ペルシャ語、トルコ語の新聞各紙の記事を毎日、日本語に翻訳して一般に公開するという事業です。

今回、この報告をするにあたって、この4年近くの間にプロジェクトのホームページに蓄積されている記事を見直してみました。いわばこれが一つの膨大なデータベースのようなかたちで利用できるので、それをまとめた結果、今回のガザ攻撃に至る経緯の道筋がだいぶはっきり見えてきたという感じを持っています。

どこまでもさかのぼれるわけではありませんので、今日の報告では2007年6月、ハマースがガザ地区を制圧して、イスラエルによるガザ地区の封鎖の強化が始まったあたりから、簡単にではありますが、流れをもう一度整理し直してみたいと思います。一部、いまの錦田研究員の発表と重なる部分もあるかと思いますが、なるべく手短に行いたいと思います。

まず、2007年6月に、ハマースがガザ地区を制圧しました。それに対してラーマッラーのアッバース大統領(日本では議長と報道)がハマース政府のハニーヤ首相を解任し、新たにファタハを主体とするパレスチナ非常事態政府を組閣するという動きが起きました。そして武装闘争の結果、敗れたファタハの支持者たちが、大量にヨルダン川西岸地区へ逃亡するということが起きて、これでガザのハマースによる支配と西岸とガザの分離状態、そしてそれに伴ってのガザ地区封鎖強化というものが始まるわけです。

その後、ガザ地区に対していかにイスラエルが封鎖というかたちで圧力を強めていったか。そして、それによってハマースがいかに追い詰められていったかという過程が、われわれが翻訳を続けてきた記事を振り返る中で、非常にはっきり見えてきました。

たとえば10月26日付の、アル・ナハールというレバノンの新聞の記事ですが、ここで先ほど錦田さんからもご指摘のあった、イスラエル政府によるガザ地区への電力供給カットが始まったとあります。もちろんこれ以前にも、ハマースがガザを制圧して以来、陸海空の境界線の封鎖を強化して、物資や食糧の移動を厳しく制限する措置は取られていましたが、電力の供給までカットするということで、同じく10月26日付のアル・クドゥス・アル・アラビーという、ロンドンをベースにしている独立系の新聞の記事でも、国際社会がこのようなイスラエルによるガザ地区への集団懲罰を非難するという記事が出ています。

それからしばらくして11月6日になると、ガザと国境を接している中では唯一のアラブの国であるエジプトとの間にあるラファハの境界を越えようとしたパレスチナ人数百人が、ハマース警察に阻止されるという事件も報じられており、市民の困窮ぶりが明らかになってきます。

このようなかたちでのガザの封鎖は2008年になっても継続されます。また封鎖を続けると同時に、イスラエルはガザ地区のハマース指導者をねらった暗殺作戦を継続します。たとえば1月16日付のエジプトのアル・アフラーム紙は、ザッハールというハマースの大物指導者の家族を含むパレスチナ人19人が、イスラエルのミサイルによって殺害されたと報じています。

しかしイスラエルはこれでもまだガザ地区からのロケット弾攻撃がやまないという理由で、電力や燃料の供給をさらにカットしていくという決定をしています。そしてガザ地区で発電所の操業が停止するという事態にまで至ります。1月21日付のこの記事でアル・ナハール紙は、「経済、環境面での大惨事が懸念されている」さらには「イスラエル軍はハマースの幹部を含む暗殺作戦を展開するだろうとの情報も伝えられている」という指摘をしていました。

このような中で1月24日付アル・クドゥス・アル・アラビー紙には、ガザ地区の数十万人という大量の住民が、エジプトとの境界線上にあるラファハ通行所を突破して、エジプト領内に流れ込むという大きな事件が報じられました。これは境界を活動家が破壊して穴を開けて、そこに市民が殺到したということです。イスラエルがガザ地区に対して行っている封鎖の結果、不足した食糧、燃料の購入と備蓄のために、疲弊したパレスチナ住民たちが必死の行動を起こしたわけです。しかし、境界はすぐにエジプトによって閉じられてしまいます。そしてエジプトはこの事件に懲りて、むしろこの境界線の管理を厳しくしていくという動きを見せ始めます。

この事件を受けて、アル・クドゥス・アル・アラビー紙は「予測どおりエジプト当局は、金曜(25日)ガザとの国境を再封鎖しようとした。ガザ地区を無期限に、これまでの状態、電気・ガス・医薬品無しで150万人を捕らえておく巨大な収容所にしておくためである」と、エジプト当局を厳しい論調で批判しました。

そしてハマースの側も、何とかエジプト当局とラファハ通行所の運営に関して協議をしようとして、自分たちにこの管理権限を一部持たせてほしいという交渉をしたようです。ところが、エジプトはこれに対して大変反発して、「エジプトには固有の境界線、領土、主権があり、それらを保全するのは国の権利、義務、責任である」としてはねつけます。

同じ流れで、このころイスラエルがガザ-エジプト国境を管理するために、つまりハマースがトンネルを掘って武器や資金を密輸しているというイスラエルの主張に沿って、これを何とか防ぐ方策として、国境地帯への多国籍軍、あるいは国際部隊の駐留という考えをイスラエルが議論し始めたという報道が2月になされました。しかし、これはハマースにとっては決して受け入れられない。イスラエルの占領を国際社会が認め、それを擁護するものであるということで拒否しています。

実は先週の1月6日にエジプトが提案した、いまのガザ攻撃の停戦案の中に、国境管理のための国際部隊の駐留というアイデアが入っています。1年前からハマースとしてはこの案を拒絶しているのですが、同じ案がまた持ち出されたということで、エジプトの停戦案をハマースが拒否した理由の一つになっています。

その後もイスラエルがガザに送電する電力の削減は続きます。イスラエル側としてはもちろん何をやってもパレスチナ武装勢力からの、イスラエル町村に対するロケット弾発射が続いているからであるという理由を常に主張していました。このころからハマース側というか、ガザ市民の窮状ぶりがさらに深刻化して、イスラエルの包囲に抗議する大規模なデモが次々と行われるようになっていきます。

その一方で、イスラエル側はガザに対する攻撃姿勢をさらに強めていって、2月には国防副大臣から、「このままロケット弾発射が続くようだったら、ガザ地区住民をホロコーストする」という、イスラエル国内でも問題になった発言も飛び出しました。

そしてこの発言の延長線にあるかのように、2008年6月11日には、ガザ地区への大規模侵攻にイスラエル首脳部が傾くという報道がアル・クドゥス・アル・アラビー紙で行われていました。これによりますと、当時のオルメルト首相、バラク国防相、そしてリヴニ外相、政府の治安担当者たちの話し合いで、ガザ地区に対して大規模な軍事攻撃に出るべきだと提言が検討されたというのです。

ところが、実は同じ6月にイスラエルとハマースとの停戦協議というものが一方で進んでいました。ですから突然のようですが、6月11日の記事の次、1週間後の6月18日付アル・アフラーム紙では、「ガザ停戦、間近に迫る」という報道が出ています。実際にここでいったんハマースとイスラエルの6カ月の停戦が成立するのですが、このときにイスラエル側では、アシュケナージ参謀幕僚長が「イスラエル軍は軍事攻撃に出るまでにガザでの停戦に必要なチャンスを与えよう」と発言しており、「締結された場合でも停戦はもろく、一時的なものとなる」との認識を示していました。そしてその翌日の報道では、イスラエルはハマースとの停戦合意に応じて、締結したというニュースになっています。

去年の年末にイスラエルの有力紙ハアレツが、今回のイスラエルによるガザ攻撃は6カ月前からすでに準備が始められていたもので、突然の作戦ではないという報道をしています。これは日本の一部でも大きな反響を得ていましたが、当時のアラブの新聞でも、イスラエル首脳部の決定として、停戦には応じるけれども、もう一つのオプションとして軍事攻撃というものを考えつつという姿勢であったということが、振り返ってみて明らかになります。

こうして2008年6月、イスラエルとハマースの停戦合意が締結されました。そのときイスラエル政府は、「もしも完全に戦闘が停止されれば、来週にガザ封鎖を解除する」と約束しています。戦闘の停止というのは、ハマース側から、あるいはほかのパレスチナ武装勢力側からのロケット弾攻撃が停止することを意味しています。実際に6月23日には、イスラエルはガザへの経済封鎖を一部緩和し始めたという報道がなされていました。

そしてエジプトも、自国とガザ地区の間のラファハ通行所を開放します。ところがさっそくロケット弾攻撃を受けたイスラエルは、物資用の通行所を再封鎖してしまいます。しかし、このときのロケット弾攻撃は、実はハマース側も批判していました。それが7月5日付のエジプトのアル・アフラーム紙の報道です。「ハマース政権、イスラエルへのロケット弾発射を批判、パレスチナ諸勢力に停戦遵守を呼び掛け」。

つまり、ハマースがガザ地区を支配しているとはいっても、ハマース以外にも様々な武装勢力がパレスチナには存在しており、あるいはハマースの内部の組織ですら、なかなかハマースの政権の側、政治部門の側が抑えきれないという実態があります。そしてこのときのイスラエルへの攻撃も、ハマースの政権、政治部門にとっては遺憾なものであったということで、すぐに行動を抑制して通行所への攻撃をやめるように呼びかけています。

しかし8月に入っても、通行所の封鎖が続く中、ハマースは今度はエジプトに対して批判を始めます。つまり、エジプトというのは、彼らからしてみれば、イスラエルと協力して、なぜ同じアラブの同胞を苦しめるのだということで、批判の矛先がだんだんエジプトにも向いていきます。そして「エジプト大統領、ガザの人々は飢え、ゆっくりと死に追いやられている」というスローガンを掲げた大規模なデモが起こるようになりました。

しかし、エジプトはラファハ通行所の再開を改めて拒否しました。それに対してハマース側は、先ほどと同じように、「ロケット弾攻撃をしているのは自分たちではない。イスラエルへの内通者たちである」として、自分たちとしては何とか停戦を遵守しようとしているという姿勢を主張していました。

そうこうするうちに、その直後ですが、今度はエジプトが動き出します。パレスチナがファタハとハマース、あるいはそれ以外の武装勢力も含めて分裂している状況を解決することを目指して、パレスチナ内部の対話会議を仲介すると発表したのです。分裂状況を終結させて、パレスチナ人を一つにすることを目指す。パレスチナの各方面からは、この当時は歓迎されていたのですが、交渉が難航して、11月には全勢力を集めてようやくカイロで開催されることになった内部対話をハマースがボイコットして、ご破算にしてしまいます。

これに対してエジプトは、厳しい批判を加えました。「エジプトに挑戦するという今回取った立場に対して、高い代償をハマースは支払うことになるだろう」とのエジプト高官の発言を、11月17日付アル・クドゥス・アル・アラビー紙が報じています。これは後の経緯を見るとだんだんわかってくるのですが、結局エジプトの意図はどこにあったかというと、エジプトとしては自分と国境を接するガザ地区のハマース政権にはがまんがならないというのが本音です。

というのは、エジプトは自分の国内にムスリム同胞団という最大の脅威である反体制組織を抱えていますが、それと深いかかわりがあるハマースが自分の隣国に半ば独立国家を構えるということは、自国の安全保障、体制維持にとって大変な脅威であるということが本音としてあります。パレスチナ内部の和解を促して、足並みを統一させて、イスラエルとの和平交渉に臨ませるという、誰も反対しようがない理由を出してはいますが、おそらく公表されていない交渉準備の部分では、基本的にはファタハ主体のアッバース政権がガザ地区へどのようにして帰還することができるかというところが焦点であり、その話し合いの過程で、ハマースにとっては到底容認できないような提案があったものと思われます。

11月13日には、イスラエル特殊部隊がガザ南部に侵攻してパレスチナ人活動家4人を殺害し、「停戦の危機」という記事がアル・クドゥス・アル・アラビー紙に出ています。また、そのころからエジプト、あるいはヨルダンといったアラブの周辺諸国でも、ガザ封鎖に対する大規模な抗議デモが続々と起こるようになっています。

これは実際にガザ地区で起きていた極めて危険な人道的な危機状態、飢餓とも言われるような状況が報じられる中で、もちろん主体的に呼応したという部分もあるのでしょうが、エジプトとヨルダンに関しては、主にムスリム同胞団の主催による大規模なデモが頻発しました。ですからガザのハマースとの間で何らかの連携を取りながらの動きであったということが想定されるわけですが、11月には27日付アル・クドゥス・アル・アラビー紙で報じられているように、エジプトの大学で大規模なデモがありました。エジプトの大統領に対して、ガザとエジプト間のラファハの通行所を開けと要求するものですから、これはエジプトの体制にとっても非常な脅威となるようなデモでした。

これに対してエジプト政府の側も、だんだんと態度を硬化させていきます。12月4日付アル・クドゥス・アル・アラビー紙の記事には、「エジプト政府高官がガザでのイスラーム国家建設を認めないと発言、背景にはハマースとの関係悪化」と書かれており、ここで大体エジプトの本音がはっきり出てきたと言えると思います。自分の仲介したパレスチナ内部の和解交渉も反故にされて、顔をつぶされたというところだったと思います。

そして12月には、ヨルダン・ムスリム同胞団の組織による大規模なガザ封鎖反対デモが起こります。しかしこれらは必ずしもハマースを支持する、シンパシーを抱く側だけの動きではなく、国際的にもイスラエルのガザ封鎖は人道に対する大きな罪であるとして、厳しい言葉で非難する声は上がっていました。国連人権高等弁務官、あるいはパレスチナ人権問題特別報告官といった人々が、「このようなイスラエルによるガザ封鎖は人道に対する罪と同様のものであり、調査が必要だ」という厳しい声で、このような集団懲罰を即刻やめるべきだと非難していたのです。このころ日本政府はこのような国際社会の声に対して、どう反応していたのでしょうか。

そして去年の年末、2008年12月19日をもって6カ月の停戦期間が終了します。レバノンのアル・ナハール紙の12月20日付の記事は、ハマースとイスラエルの停戦協定が期限切れになり、双方が厳戒態勢に入ったと報じました。この停戦については、ハマースが延長に応じなかったわけですが、ハマースはその理由としてこのように言っていました。「敵シオニストは攻撃停止、封鎖解除、通行所開放、ヨルダン川西岸地区への停戦拡大といった停戦協定の条件を守らなかった」。しかもイスラエルは深刻な停戦違反をして、何十人ものパレスチナ人を殺害し、暗殺作戦を行ったのであり、停戦を継続することにハマース側として何の利益もないというわけです。

もう一つ注目すべきは、エジプト政府の高官はこのときに、この停戦を延長するための努力は、われわれとしてはもう行わないと明言し、「エジプトが行った停戦維持のための努力やパレスチナ内部の和解のための国民対話のお膳立てをハマースが台無しにしたのだ」として、責任をすべてハマースに押しつける発言をしていました。

そしてガザ攻撃開始直前の12月22日付のアル・アフラーム紙は、早くもイスラエルのヘリコプターがガザ地区を爆撃したと報じています。同時に、次期首相候補のリヴニ外相が、自分が政権に就いた暁にはハマース政権を終焉させると約束していました。そして12月24日付のアル・クドゥス・アル・アラビー紙には、イスラエルのガザ封鎖が停戦の終了を受けてさらに強化され、食糧不足が深刻化、「ガザの状況は深刻な惨劇に近づきつつある」という報道がありました。そしてついに12月28日付、攻撃が行われた翌日の報道ですが、「イスラエルがガザを空爆、死者200名の大惨事」ということに至りました。

長くなって申しわけありませんが、もう少し続けさせてください。この攻撃が始まって、アラブ各紙はどのような反応を示したか。この新聞報道を見ると、ガザ攻撃をめぐっていかにアラブ世界が分裂を呈したかが明らかになります。まず、27日のガザ攻撃開始を伝えた28日付の新聞で、すでにアル・クドゥス・アル・アラビーというロンドン・ベースの独立系新聞は、イスラエルはガザ攻撃をアラブ諸国、具体的にはエジプトを通じてほかのアラブの“穏健派”諸国に通知していたという記事を流しています。

これは攻撃が始まる1週間くらい前、イスラエルのリヴニ外相がエジプトを訪問して協議していたことを受けて、実はこのときすでにエジプト側にイスラエル側は、停戦が終わったある段階でガザを軍事攻撃するということを通知していた。いつもであれば、カイロはそういう情報を得たときに、すぐにハマース政権にも警告を流していたのだけれども、今回に関しては、エジプト政府がガザ攻撃をイスラエルは今の時点ではやらないと保証したために、ハマースの側は要員の避難を指示しなかった、とハマースの側の報道官が不満を漏らしているという記事でした。

それに対してさっそくエジプトのアル・アフラーム紙という政府擁護の新聞では、エジプトの外相がイスラエルのガザ攻撃に際して、エジプトがハマースを欺いた、だまし討ちにしたという報道を全否定し、すべての責任はハマースの強硬な態度にあると発言したと報じています。一方、レバノンでは、ヒズブッラーのナスルッラー書記長がエジプト政府を激しく非難し、ラファハ通行所の開放を呼びかけて、「さもなくば諸君は犯罪と殺人と封鎖とパレスチナ人の悲劇をつくり出すイスラエルへの共犯者である」と演説したとレバノンのアル・ナハール紙が報じました。

そうすると今度はエジプトのムバーラク大統領が、「イラン及びヒズブッラーは、パレスチナ人の血で商売をする者たちだ」と非難仕返しました。そしてやはりハマースに責任があると明言しています。イスラエルがガザを攻撃する最中に、アラブ諸国は何をやっていたかというと、お互いの非難合戦という非常に不毛な分裂ぶりをさらけ出していたのです。

そして今年に入った1月2日付のアル・クドゥス・アル・アラビー紙は、こうしたアラブ諸国の分裂ぶりを厳しく非難しています。特にこの新聞は、ハマースに大きな理解を示す立場ですので、エジプトやサウジといったいわゆる「アラブ穏健派諸国」が今回の攻撃についても、ハマースの側のロケット弾を諸悪の根源であると報道しているのは許しがたいと述べています。また今回の出来事に関して、イランの介入やイランの目論見などと言っているのはまったく理解できない。ガザの人々に食糧と薬を届けるために通行所を開けろと政府に求めるエジプト人民は、それだけでイランに偏向し、イラン側に立っているとでも言うのだろうか、と厳しく非難しています。

このような声が、実はアラブ諸国の民衆の間では広く共有されている不満であることは、「1979年にイスラエルと和平合意を結んだエジプトは、エジプトと国境を接するガザ地区の包囲においてイスラエルに協力しているという理由で、アラブ市民の最大の憎悪の的となっている」と1月5日付アル・クドゥス・アル・アラビー紙の記事にも書かれているとおりで、アラブ各地の路上で行われている激しいデモでは、エジプトに対する非難が渦を巻いています。

そのようなエジプトは自分たちの名声を回復するということもあったのでしょうか、さっそくエジプト停戦案というものを1月6日に発表しました。その翌日のエジプトのアル・アフラーム紙は、エジプト停戦案を世界が歓迎と自画自賛しましたが、同じ日のアル・クドゥス・アル・アラビー紙は、エジプトの停戦案はイスラエルへ報酬を与えるものだとして全否定しました。

この詳細は時間がないので省きますが、ホームページに掲載されている1月8日付のこの記事を見ていただければ、どういう理由なのかが逐一おわかりになると思います。ほかの報道も併せて考えると、この記事は大体ハマースの側の主張に沿った内容と考えられます。またこれは決してハマースだけの一方的な言い分を聞いているのではないようで、アル・ジャジーラのウェブサイトの読者の意見投票の欄を確認したところ、1月8日から1月11日、今日の朝までの時点で、エジプト停戦案に賛成だという投票は14.5%、反対だという投票が85.5%ですから、やはりアラブの一般民衆の大勢としては、エジプト停戦案は否定する、ハマースの闘争をあくまでも支持するという世論が一般的なのかなという印象を受けました。少し長くなりましたが、以上です。

それでは続きまして、ゲストでお越しいただいております、日本女子大学、臼杵陽先生のご講演に移らせていただきたいと思います。先生、よろしくお願いします。

臼杵 ただいまご紹介にあずかりました臼杵です。レジュメというよりも資料に近いもので、「イスラエルのガザ侵攻を読む--『戦争ゲーム』としてのガザ虐殺」ということでお配りしておりますので、参照しながら聞いていただければと思います。

最初に今回のガザ侵攻の事件に関して、ここにいらっしゃる皆さん方におそらく合意していただけるのは、パレスチナ側とイスラエル側の対応のあまりの対称性というか、不均等性ではないかと思います。つまり、パレスチナ側あるいは最近のアラブ世界では現在の自体をガザ虐殺と呼んでいるようですが、それに対してイスラエル側では、イスラエル国民はガザで何が起こっているのかを本当に知っているのだろうかと疑いを持ちたくなるくらい、まったく対称的な対応の仕方をしている点です。この対応は、私たちが今後、考えていくときの非常に重要な示唆ではないかと思います。

今回、結論で前田哲男さんの『戦略爆撃の思想』という本を引用したりしていますが、結果的に一番の問題は、攻撃の主体であるイスラエル国民が、実はガザについて一切、少なくとも知ろうとしていないという点があります。この点が、いまの問題を非常に悪化させています。

つまり先ほど錦田さん等からもありましたが、結果的にこれはテロに対する防衛戦争であるという論理が非常に前面に打ち出されている点が、一番問題ではないかと思います。この非対称性という点はいろいろなところで出てくると思いますが、先ほど山本さんの中にもあった、少なくともこの戦争に関して、イスラエル、エジプトもそうでしょうし、ヨルダンもそうでしょうし、さらに、出てきませんでしたが、問題はファタハが事実黙認をしている点です。

つまり、構造として、まさにイスラエルの行動が黙認されたかたちで行われていて、ガザはまさに見捨てられたかたちになっている。このように皆さんが集まってくるということは見捨てられているのではないのかもしれませんが、少なくともパワーポリティクスのレベルではほとんど有効性を持っていないという点が、指摘されるのではないかと思います。

今回、私にとって個人的に衝撃だったのは、イスラエル側からいえば軍事行動の命名です。冒頭にイスラエル側の作戦の名前について書いていますが、このことがガザとイスラエル、パレスチナとイスラエルの対称性の濃淡、温度差を、悲惨といっていいぐらいに大きなものにしていると考えることができるのではないかと思います。この作戦名は、オフェレット・イェツカーといいますが、ヘブライ語でそのまま書いたのは訳しようがないからです。

ここに書いてあるように、ユダヤ教のハヌカーという八つのロウソクを1日ごとにつけていくお祭りがありますが、その6日目に戦争が開始されました。イスラエル国防省のホームページを見ればこの作戦の名前がもう出ていますが、これはイスラエルでは知らない人はいない、出版社の名前にもなっているビアリークという人が書いた詩、童謡というかハヌカーのときに歌う歌の一節だそうです。

私はよく知りませんで、ホームページを見て「そうか」と思っただけですが、1950年代にはハヌカーのときに子どもたちに歌われていたそうで、その中に出てくるコマがあり、ここに絵を載せていますが、空爆の作戦の名前は、このコマであるということです。これはきわめてふざけた話で、お祭りのときの遊具をそのまま作戦の名前にすること自体、どこまでこの象徴性を読み込んでいくかはかなり問題がありますが、イスラエル側があまり説明をしていないようなので勝手に解釈させていただくと、やはりこの中にある、イスラエル側のパーセプションのあり方が、ある意味では象徴されているのではないかと言えます。

そもそもハヌカーという祭り自体、ユダヤ教そのものの問題というよりもむしろイスラエルのナショナリズムによって再解釈されたユダヤ教の祭りですが、ここに登場する祭りの主人公であるユダ・マカビーは、イスラエルでは知らない人はいない英雄です。ここにも書きましたが、エルサレムに行くとマカビーというビールがありますし、サッカーのチームの名前にはテルアビブにしても何にしても、マカビーという名前がついている。あるいはバスケットもそうですが、そういうふうに大変有名な人です。

マカビーをどのように考えていくのかというと、先ほどから申し上げている文脈をもう少しはっきり言えば、少なくとも作戦名は国内向けにつくられた呼び名であるということです。あるいはもっと言えば、世界のユダヤ教のコミュニティに対して発したメッセージであろうということになってくるわけです。

私は古代イスラエルの話に関しては暗いのですが、一般的な知識として申し上げるなら、紀元前の話で、セレウコス朝の支配に対してイスラエルの民がエルサレムを奪還して、そのときの英雄がマカビーです。この作戦自体もナショナリズム的に、当然のことながら正当化されていきます。

ただ最近では、マカビーの反乱の解釈も若干変わっているという指摘もされているようで、研究者の間では、実は外国の支配からの解放ではなく、伝統的なアラブ語ではなくギリシャ語をしゃべっているようなユダヤ教徒との間に内紛が起こり、ギリシャ語の世界であるセレウコス朝がヘレニズム化したユダヤ教徒を支援するためだったものであるという議論が出てきています。

この新しい解釈も非常に象徴的です。つまりイスラエルの内部の分裂が現在、深刻になっているわけですが、ガザ攻撃というのは実はイスラエル内部の分裂に対する、いわば統合という側面から考えた場合、非常に有効なものであると考えられます。つまりこの問題はイスラエル国内向けである、そのように機能できるというのは、むしろこの戦争自体が国内向けの宣伝として一蹴できるのは、周りの構造がそのように認めるようなことになっている。つまり先ほど冒頭に言ったような、国際的な状況はそのようになっているという問題ではないかと思います。

いまの関連で、後ほど黒木さん等で議論されるかと思いますが、レバノン戦争の問題が非常に大きかった。つまり今回はもう一つ、ガザとイスラエルの状況の対称性がありますが、時間の軸でいった場合、レバノン戦争と今回のガザ侵攻の鮮やかな対称性があるということができるのではないかと思います。

前回のレバノン侵攻に関して言えば、イスラエル国内世論に関しては、敗戦という一言で言うことができました。イスラエルの中において敗戦という言葉はそう簡単に使われませんが、1973年の第4次中東戦争、ヨンキプールの戦争のときに、初戦にエジプト軍、シリア軍による奇襲攻撃を受けていったんは最前線を突破されましたが、最終的には回復したことがありました。その文脈で場合、イスラエル当局としては敗戦という事態をそのまま放置しておくわけにはいかないということです。

それではどういうかたちで挽回する必要があるのか。つまり先回の作戦、地上戦に持ち込んで、すぐに国連の停戦を受けざるをえなかった状況に対して、今回は華々しいくらいの戦果とイスラエル国内では受け止められている。今回の軍事行動は成功である、と多くの人が思っているようである。反面、ガザにおける空爆から始まる虐殺状況自体はまったく伝わっていないという点で、異なって議論が展開されているのではないかと思います。

メディア等々でタイミングの問題として、先ほど錦田さん、山本さんからありましたように、2月10日の選挙に向けた、票を稼ぐための戦争であると言われていて、またオバマ政権の誕生までのつなぎの期間にこういうことを行うというのが、一般的な説明でした。これは山本さんのアラブ紙の報道の中ではっきりと言われていて、むしろかなり前から計画されていたものだったことは、かなり自明なこととして受け止められています。

つまりタイミングの問題というより、むしろ停戦が切れてからも必ず行うことは自明のこととして決行されていたということですので、おそらくこの作戦の名前もかなり前につけられたのだろう。つまり、ビアリークの詩の一節を持ってくるぐらいに周到な用意があったことを示唆しているのではないかと思われます。

その際、今回の作戦を全面的に指導したというか、イニシアチブを取って記者会見でも前面に出てきたのが、エフード・バラクという労働党の指導者です。この人のことを考えた場合も対称性が明らかになってきます。皆さん、ご記憶にあると思いますが、2000年7月にキャンプデーヴィッドで、亡くなったアラファトとバラクが協議をして、オスロ合意の最後の局面でクリントンの最後の任期のときに、一気呵成に何とか挽回したいということで、古い言葉を使えば一点突破、全面展開の和平構成をやろうとしたのですが、結果的に失敗した。その一番の問題はエルサレム問題であったと言われているようですし、帰還権の問題もあったようです。

バラクは、当時、非常にハト派と言われた人です。彼は越えてはいけない一線を越えたということで、その後、イスラエル国民の支持を完全に失っていって、翌年、2001年の春にはシャロン首相にその座を奪われていくことになりました。つまりバラクは当時、政治的には完全に失脚したと思われたわけですが、ところが今回、いろいろないきさつがあって、労働党の党首に返り咲くことによってカディマと連立を組むかたちで国防大臣になるということの中で、おそらく就任したころから周到にガザに対する攻撃を考えていたのだろうと思われます。その点、イスラエル側における世論の動きの中で行動したことであるというのは自明であると言えるのではないかと思われます。

もう1点、ツィッピー・リヴニという女性ですが、カディマの党首になって、そのまま自動的に首相になるはずだったのが、シャスという超正統派の宗教政党の協力が得られないことで連立政権を断念し、現在のオルメルト政権がそのまま任期切れまで続くことになっているので、結果的に非常に中途半端な状況が続いていることになっています。リヴニは前からシャロンの秘蔵っ子で国民的に大変人気がありますが、彼女のタカ派的性格はあらゆるところで現れています。

共同の記事を挙げておきましたが、ガザの状況は先ほどから錦田、山本両氏のご紹介の中でも垣間見ることができますが、人道的状況が維持されているかどうかは論外と言うしかありませんが、こういう論理を展開するということです。それを理由に人道的状況があるということで、停戦を受け入れない事態が起こっている。これはまさにイスラエル国民がイスラエルの政治家たちを支持しているからであるということです。

朝日新聞の記事からそのまま貼りつけただけですが、その一端です。イディオト・アハロノト紙というヘブライ語の新聞の中で一番部数の多いタブロイド版の新聞の世論調査だそうですが、9割以上の人が、いずれにせよガザの攻撃を支持している。これはレバノン戦争の初戦のときのイスラエル国民の支持と同じ、パラレルな関係にはありますが、今回、このままの状態を続けることが国民の支持の下に行われているということですので、停戦を考えるときに、なかなか難しいことになってくるのではないかと思います。

冒頭にも申し上げましたが、最後に書いたことです。もちろん、今回のガザの空爆から始まる戦争をナチスによるゲルニカ攻撃、空爆にたとえることに対しては、おそらくイスラエルの中では反論が出てくるでしょうが、拒絶されることは十分承知したうえで前田さん的な議論をすると、一番の問題はイスラエル国民が知らないということです。何が起こっているのか、真実の姿を知らない。その中で空爆が行われている。空爆の実態は何かということは、見ない、見られないのではなく、おそらく見ようとしていないことが一番の問題ではないかと思います。

おそらく役回しでこういうことを言えと酒井さんは考えたのだろうと思うのであえて言っているわけですが、この点でわれわれに何ができるかと考えると、やはりイスラエルという問題をどう考えるのかということです。

暴論を承知で言いますが、最後に戦略爆撃ということで、ゲルニカのみならず日本が行った重慶への爆撃をわれわれが知っているのかというと、実はあまり知りません。なぜかというと、重慶は日本軍が占領できなかった地域だから、後に日本の戦果として国民に還元されていないからです。当然、南京にしても同じことが言えるわけですが、日本国民が知らなかったということで許されるのかという問題と、やはり通じている。

重慶の戦略爆撃はいわば見せしめなわけで、軍事的というよりもむしろきわめて政治的な目的のために行われた爆撃でした。ガザに対する空爆も同じで、そこに人道的うんぬんということを見出すことは無意味である。これは明らかに政治的なメッセージで、したがってこれは戦略爆撃の文脈に続けるべきものであろうと考えます。数が多いとか少ないという問題よりも、ガザ空爆、あるいはもっと前からイスラエルは同じことをやっているわけで、黒木さんから詳しくあると思いますが、ハマーであった爆撃も明らかに戦略爆撃だと思いますし、先回のレバノンの空爆も同じ文脈で考えるべきだろうと思います。

前田さんはイラクも挙げていますが、ここにガザを加えるべきかどうかは、ここにいる皆さん方が考えていくべき問題であると思いますし、今回のガザ攻撃をどのように考えるかといういわば試金石というか、われわれ自身の問題として考えていく必要があるだろうということで、最後に『戦略爆撃』の文章の引用をさせていただいた次第です。長くなって申し訳ありません。以上です。

山本 ありがとうございました。続いて朝日新聞の川上編集員からご報告をお願いいたします。

川上 朝日新聞の川上です。今日は編集委員ということですが、いまは論説委員も兼務して、朝日新聞の社説の作成にかかわっております。この間、朝日新聞は4回社説を出していて、空爆が始まったとき、地上戦が始まったとき、国連の学校が砲撃されたとき、それから安保理で停戦決議が出されたときです。

ハマースがガザを制圧するのは2007年の夏ですが、私は2007年の10月にガザに入って、「ハマース支配」という連載をしたことがあります。そのときに撮った写真などを紹介します。

中東というとどうしても紛争や戦争の非常事態ばかりが新聞に出ますが、そうではないものを知りたいし、そういうものを報じたいということで、テーマを見つけつつ、編集委員として記事を書いています。いま空爆といった中で、ハマース支配の中でのガザの日常はどうなっていたかということを知っていただきたいので、この画像をお見せいたします。

これはハマース支配が始まったあと、2007年10月の街の風景です。これは目抜き通り、オマール・ムクタール・ストリートです。この人は元首相でハマースの政治部門リーダーのハニーヤですが、彼の近くのモスクに取材に行ったときに、金曜礼拝が終わったあとで住民がハニーヤに向かって、生活が苦しいといったことを訴えている場面です。

これがガザの中央市場みたいなところの風景です。結構、人でにぎわっています。

これはハマースの警察です。交通の取り締まりをしています。このときは非常ににぎわっていて、ガザは94年から何回も行っていますが、戦災下とはいえ、街は活気があったと言うと語弊がありますが、普通でした。

その前のインティファーダのあたりとか、特に90年代もそうでしたが、ガザは非常に警察が多く、警察官が4万人などといたことがあります。ファタハの時代に、パレスチナ警察は一つの数少ない就職先であったこともありますし、ファタハの中で勢力争いがあって警察官をどんどん増やしていったこともあります。そういうことである種ものものしい感じもしましたが、これはハマースが雇った警察官、ハマースのメンバーですが、丸腰の警察官が市の中央の街の中にいて、普通だなということを感じました。

それからハマース系の社会慈善団体がいくつかありますが、これはそこがやっている保育所です。

それからこれは診療所です。ハマースは貧しい家庭に食糧を配ったりしていますが、それを取りにきた人たちの写真です。

これは2007年10月ですが、すでに医療の危機は非常に進んでいました。ガザで450床ベッドがある中核的な病院、シファー病院ですが、かつては日本が支援して、いろいろな設備の近代化をしました。子どもの人工透析ですが、こういう状態でした。

人工透析の技術者に、「もう一つ部屋があるから見てくれ」と言われたのがこれです。11台の透析機がすでに使えなくなっていました。この病院では30台の人工透析機があって、フル回転でやっている。ただし戦災下でパーツがなくなってくるから使えなくなる。それでこのように使えない透析機を集めていくわけです。当時、30台あったうちの11台が使えなくなっているわけですから、もちろんいまの状況はもっとひどいと思います。

このときはシファー病院で、手術をするときの麻酔ガスがつないでいる分しかない、ストックがなくなったということで、大変なことになりました。当時、私が行ったときにたまたまそういう事態になっていて、麻酔ガスがなくなったと院長が訴え始めていたので、そういう記事を書きました。

ですから人道危機は、すでにこのときからかなりひどい状態で続いていたわけです。それについてはメディアの反応も低かったと思います。最初にお話ししたように、中東というと紛争や戦争が起こったときに目が向けられて、日常的な危機が進むことについて、なかなか記事になりにくい構造があると思います。

お手元のメモですが、イスラエルがガザを砲撃している状況の中で何を考えたらいいのか、私なりに考えました。なぜこういうことが起こっているのか。パレスチナに対する経済制裁は、2006年にハマースが選挙で勝利したあとに始まります。最初はハマースの単独政権でした。それからサウジが仲介して、ファタハとハマースの連立政権になります。それでも、アメリカ、ヨーロッパ、日本も含めてですが、経済制裁は解除されずに、そのあと2007年のハマースによるガザの制圧という事態になります。その制裁はかなり厳しいもので、いまのような人道危機がさらに進むということです。ヨルダン川西岸はファタハが支配しているから、そちらには欧米の援助がいっている状況です。

今回のイスラエルによる大規模な軍事作戦は、そういう制裁の下でもハマースの支配が崩れなかったために起こったと考えることができると思います。なぜそういう制裁に動くかというのは、イスラエルの存在、中東和平を拒否しているハマースに対して、そういう勢力を崩していく。圧力をかけてそれが崩れるのを待つということですが、崩れないということでこういう軍事的な砲撃が起こった。

それではなぜ崩れないのかという問題を考えると、つまり強硬姿勢を放棄したところで何の展望も見えないということだと思います。和平に対する展望がない。ファタハとイスラエルの間の和平交渉が去年始まったわけですが、何ら成果を上げていないということが一つあります。

交渉を始めようという最初の段階で、イスラエルは入植地の拡大計画を出してくるわけで、それ自体がまさに交渉の最初に障害を置くような作業であって、パレスチナの人たちにとっても、和平が実現することに対する期待はほとんどありません。ハマースは確かに強硬姿勢であって、中東和平に対して拒否しているわけですから、どういう強硬姿勢を取るのか、それからパレスチナ人がハマースを選挙で勝たせるかたちで支持するのかというのは、和平に対する希望がないためです。それが一つです。

それから、パレスチナ側がある種の妥協的な和平体制を取ると、イスラエルがさらに入植地を拡大するなど、いろいろなかたちでどんどん広げてくるというのが、これまでのオスロ合意のあとの動きです。そういうことに対して、パレスチナの側から考えれば、どこかで踏みとどまらなければいけない。前に進める新たな材料がないときに、足場はハマースしかなかったということだと思います。

2006年の選挙は、ハマースが勝つとだれも予想していませんでした。ハマース自体が予想していなかったわけです。けれども結局はハマースが過半数の議席を取って、単独政権をつくる事態になった。それはなぜか。パレスチナの人はハマースを支持して、もう一度インティファーダをして、戦いを始めたいから、そうしているのかというと、そういう力は当時、もうなかったと思います。ただ、これ以上後ろに下がれない。そういうときに足場になるのは、もうハマースしかなかったということだと思います。ハマースを支持したところで経済的に開けるわけでもないし、和平が開けるわけでもないし、軍事的にイスラエルに対抗できるわけでもない、ただしハマースしか足場がない状況に追い込んでしまったというのが、われわれ国際社会の責任だと思います。

2007年10月に、ハマースの武装勢力の若者に、何を考えているのかとインタビューをしました。これはそのときの武装勢力の夜間パトロールの記事です。先ほどのものが一面に出した写真つきの記事で、こちらが中の国際面に出した記事です。顔を出していませんが、話を聞いたのはこの若者です。21歳で、高校2年生のときからハマースの軍事部門に入っているということです。どういう生活をして、どういう訓練を受けているかという話を聞きましたが、なぜ彼は武装部門に入ったのか。

先ほど写真でお見せしたように、ハマースには人を助けたりする社会部門もあります。彼はそこでも働いていたし、ハマースの文化的な部門でも仕事をしていた、ただし、武装部門に行きたいといって、地域のリーダーに7回手紙を書いて、7回目にやっと受け入れられたということです。3カ月、すごい軍事訓練を受けて、それからやっている。軍事訓練を受けたあと、夜間の24時間のパトロールなどが回ってくる。

なぜ軍人部門にきたのかと聞くと、ガザで目的もなく、ひどい生活をしていたといいます。「ひどい生活」といっても、日本のように非行に走るというのではなく、展望が何もない、生きる意味がないといった生活ですが、それがハマースに入って、戦うことで初めて生きる意味を見つけたというような言い方をする。もちろん私はハマースの武装路線を支持するわけではないし、中東和平を平和的に解決するべきだと思っているけれども、それに対して若者の間にこれだけ絶望的なことが進んでいるということが、非常に重大なことだと思います。

それをさらに考えると、昨日、いろいろ資料を探していたらこういう写真が出てきました。94年8月です。94年5月にオスロの自治協定が調印されて、オスロ合意が始まります。イスラエル軍がガザ市から撤退して、ガザに自治が始まるということです。これは8月ですから、始まったばかりのときです。その前はインティファーダがずっと続いていたから、初めてイスラエル軍が撤退して、何かを始めようということで、このようにいろいろなところで建物の建設が始まっていました。

反イスラエルスローガンがガザの街中に書いてありましたが、それを白いペンキで消しているところです。これは日本もお金を出したかどうか、国際援助で、当時は失対事業でもありました。

それから8月に商工業の展示会がガザ市でありました。このときにはガザで生産をしたりする200社ぐらいが来ました。オスロ合意が始まったあとに、サウジでやっていたビジネスマンがガザに来て事業を始めたりするわけです。ガザには、たとえばジーンズ工場などがあります。それから家具の工場もあります。そういうところは全部イスラエルを通して輸出するわけです。

そういう状況でしたが、家具をつくっていた家具屋の社長さんが言っていました。自分がガザで家具をつくってイスラエルの業者に渡す。その業者はそれに3倍の値段をつけて売る。腹が立つけれども、自治が進んで自分たちが直接外国と取り引きすることができるようになれば、自分たちの生活は変わるのだという期待を語っていました。94年の8月、夏です。

オスロ合意についての批判は当時から様々にありました。いまの悲惨な状態から考えると、信じられないかもしれませんが、当時、ガザの人々の間には、和平で生活が変わるのではないかという期待があったのです。

僕は94年からカイロに駐在し、ガザやヨルダン川西岸を何回も取材しています。それから2001年のインティファーダのときにエルサレムの駐在員になり、実際にインティファーダの様子を知らせたりしていました。オスロ合意が始まったときからずっと見て、当時思ったのは、なぜイスラエルはガザなりパレスチナが経済的に自立できるような政策を積極的に取らないかということです。

インフラ整備もほとんど進まなかったし、オスロ合意が始まって、ガザと西岸をイスラエルから切り捨てるようなかたちで労働者を入れないようにする。ガザはあんなに小さなところですから、イスラエルから封鎖されると経済的に困窮してしまう。いま、この事態で「天井のない監獄」などと言っていますが、当時からそういう状況がずっと続いてきた。

失業率も高い中、地場産業も育成できない。空港でも港でも、電力にしても、ガザで独自に経済基盤をつくろうとすると、常にイスラエルの承認がいる。イスラエルの承認はなかなか出ないといった状況が続き、現地のガザのエコノミストにしても、こういう状態では、とても和平は実現できないと嘆き、憤慨していました。

それではガザはどうやって食べていたかというと、日本も含めて国際的な援助です。日本もプロジェクトをしましたが、国際的な援助とともに、自治政府がまさに現金収入の主な部分になってくるわけです。ガザで6万人、6万人、8万人という職員が自治政府からお金をもらっている。その半数ぐらいは警察官です。要するに自治政府自体が失対事業になっています。その失対事業というか、自治政府を牛耳ったのは何かというと、ファタハです。ファタハの幹部は非常に豪華な生活をしている。邸宅を建てて、新車を乗り回しているのはだれもが知っていることです。

そういう中で、そのようなファタハ体制は、インティファーダで崩れてしまう。イスラエルがアラファト体制をテロ支援体制であると認定して、それもアメリカがバックアップし、欧米も日本もバックアップするかたちで自治政府は干上がってしまう。そうすると、それまで支えていた国際的な援助も切られてしまう。インティファーダの中で、いろいろなことがありましたが、西岸の街はジェニンの破壊のようにいろいろなひどい破壊を受ける。それから自治政府の事務所が攻撃の対象になったから、自治政府の機能もマヒする。そうすると、命の綱だった自治政府もなくなる。残ったのは何かというと、結局、ハマースしかなかった。

ハマースは、湾岸諸国あたりのイスラーム教国を通じてお金を集めてくる、それが人々を支える。ハマースの影響力というよりも、そうやってハマースが、闘争の足場になっている。インティファーダで完全に手痛い打撃を受けたあと、国際的な援助もなくなってしまったあとで、最初に僕が言っているように、なぜ人々はハマースを支持することになったのか、そういう状況にパレスチナを追い込んでしまったということだと思います。

ハマースが政権を取った後、イスラエルや米欧、日本は、ハマース体制に封鎖や経済制裁として圧力をかける。しかし結局、ハマース支配は崩れなかった。ちょうど1年前、ガザのろう学校のジェリー・シャワ校長が来てインタビューしました。ろう学校の運営もかなり大変だという話をもちろん聞いたわけですが、ハマースについてはどう思っているかと質問しました。彼女はアメリカ人ですし、彼女の元の旦那さんはアラファトの友人であったファタハ系の人ですが、この人が、「ハマースはガッツがある」と言いました。僕はその前にガザを取材していましたが、彼女いう「ガッツ」という言葉を聞いて、胸に落ちました。彼女が言うように、ガッツしか残っていないと思いました。すると、イスラエルはパレスチナに残った最後のガッツをつぶそうとしているのだということは、いまの状況で見えるわけです。

もう一つ、見なければならないのは、パレスチナは昨年5月にナクバから60年を迎えました。そのときにパレスチナ60年という企画をしようと思って、まずペイルートのシャティーラ難民キャンプに行きました。そこで60年前のことを覚えている第1世代に話を聞き、それから80年のベイルートの虐殺、それからキャンプ戦争など、悲惨なことを知っている第2世代、いまの世代の親、若い世代の親たちの話を聞き、第3のパートで、若い、いまの世代の話を聞きました。

ベイルートで内戦が続いているわけではありません。それからシャティーラ難民キャンプといっても、内戦も終わっているわけですから80年代と比べると安定はしていますが、まったく展望がない。レバノンは勉強して、資格を取って医者にもなれないし、法律家にもなれないし、ビジネスを興すこともできない。難民は切り捨てられたような格好になっていて、一切、和平に対する展望がない。そういう中で若者たちが考えていることは、シャティーラからどのように脱出して、ヨーロッパに行くかです。

簡単に行けないから、違法にトルコまで行って、海から密航する。その海で溺れ死んだ若者の話を記事に書きましたが、この絶望感がわかります。60年たって、こうなっている。それで僕は最後の第3部で、去年の秋にジェニン難民キャンプに行きました。そこは2000年からインティファーダが始まり、2002年にイスラエルの大規模な攻撃を受け、一番激しい抵抗があったところです。虐殺もありました。

それが、いまどうなっているのか。社会の荒廃ぶりはひどい。そのあとにイスラエルはヨルダン川西岸にイスラエルを守るための分離壁をつくりました。それまではイスラエルの許可がなくても、意外と労働者が山を越えてイスラエルの工場に働きに行っていました。僕はそういうリポートを書いたこともあります。ところがいまは、許可なしでは出ることができません。それからジェニンの中で、新しいビジネスを興すことはできません。イスラエルの許可がなければ、働くことも、事業を興すことも、身動きがとれなくなっている。例えば、すべての輸出入はイスラエル経由ですから、輸出入に関わるビジネスを始めるには、イスラエルの許可がないとできないのです。

それからハマースによるガザの制圧があったあと、西岸ではファタハが支配を強めていて、ハマース系の社会的な弱者を助けたりする組織は、閉鎖させられています。そういう中でファタハの自治政府につながるファタハの事務所に行くと、貧しい家庭に3カ月でこれだけお金を配りました、何家族に配りましたという話がいろいろ出てきます。これは援助ですが、当然、ファタハの支持者に配られるわけです。そういう中で、社会がすごく荒廃している。

皆さんもジェニンを舞台にした「アルナの子どもたち」というドキュメンタリー映画をご覧になったことがあるかもしれませんが、イスラエルの女性が平和の中でパレスチナ人の子どもたちを集めて、「アルナの子どもたち」という子ども劇団をジェニンにつくり、いろいろな文化活動をした。もちろん平和運動と一緒にやっているのですが、子どもたちがインティファーダの戦士になって、イスラエル軍と戦う。

そのイスラエル人の母親の息子さんで、ジュリアーノという人が、その映画の監督です。お父さんはパレスチナ人ですが、この人がパレスチナ人の若者の側から、インティファーダが始まる前に、劇団の子どもでこんな劇をやっていましたという話を重ねながら、インティファーダに入って戦っていくドキュメンタリーをつくっています。

インティファーダが終わって2006年に、今度は自分が若者を集めて「フリーダムシアター」という劇団をジェニンにつくりました。そしてまた、ある種の啓蒙活動、平和活動と一緒に劇団活動をします。ところが彼に対して、ジェニンで、社会の敵であるとかイスラエルのスパイであるといった中傷のビラが配られたり、車や家に石が投げられたりする状況が起こる。彼は、「なぜこんなにジェニンは荒廃してしまったのだろう」と言います。

彼はわかっているわけです。もう闘争はできない。それから何か利益を得よう、ビジネスで利益を上げよう、イスラエルに働きに行こうと思ったら、イスラエルと協力するしかないわけです。協力者はコラボレータ-といいます。それはパレスチナ社会ではスパイということですが、そういったかたちになっている。それからファタハとしてはイスラエルと協力するしかないわけで、そういうかたちになって、欧米の援助を受けてお金を配っている。

その中で人々は、ジェニンに限らず、パレスチナ解放というものに対する理念は、もうほとんどありません。もう一つ、和平が進展することに対する期待を持っていません。希望が持てません。

そのような状況で出てくるのは何かというと、すごく古いアラブの部族的、家族的な価値観です。ハマースのイスラームでもありません。パレスチナには非常に古い体質があって、女性の純潔、名誉、アラビア語でシャラフといいますが、女性の純潔を守るという名目で、女性の行動や自由を縛ろうとするような伝統的な価値が出てきているのです。自由劇場では、社会を啓蒙しよう、解放しようということで、パレスチナ社会の解放とイスラエルに対する解放を一緒に進めようという運動をしています。

それに対してパレスチナ人のほうから、このような自由な思想は、社会を崩壊させるといった、非常に古い価値観が出てきている。そこまでインティファーダ後のパレスチナの社会は後退してしまっている、後ろ向きになってしまっているということです。

そのときにジェニンの若者たちが言うのは、違法でもいいからヨーロッパに行くということです。トルコまで行って、そのあととにかくヨーロッパに入る。それはベイルートのシャティーラ難民キャンプで私が聞いた若者の話と同じです。

オスロ合意があって、自治があってというものが、ここまで後退してしまった。いまパレスチナ人にとってのハマースがガッツであると言いましたが、最後の足場になっているということです。そこをいまイスラエルは叩こうとしている。ハマースのロケットが飛んでいるとか、ハマースはイスラエルの存在を認めないなどというよりも、ハマースを支えている、ハマースに代表されるような、パレスチナ人のガッツというか根性、誇りといったものを崩そうとしている。それがいまここに出ているような、ほとんど無差別としかいえない空爆になっている。このままでは大変なことになる。空爆が始まってずっと、これまでいろいろ取材をしていたことを考えた中で、このように感じています。

それから1点、先ほどのエジプト提案ですが、これが全面的にいいか悪いかという評価は別として、いまの流血を止めなければいけない。僕は、エジプトの調停案を批判するアラブの世論やメディア論調もおかしいと思います。大きな枠組みでそれは間違ったところがあるでしょうし、完全に正しいものではないかもしれないけれども、やはり止めなければいけない。アラブの世論も、パレスチナの大義を言いながら、パレスチナの民衆が傷ついていることに対して、あまりにも重きを置いていない。ハマースの武装部門にしても、ときには民衆を犠牲にするような戦略を取る。

それはアラブのメディアがどうだ、アラブの指導者がどうだという話とは別に、僕らとしてはいまの状況を救うため、止めるためにどうしたらいいか、もちろん圧力をかけて、まずイスラエルに対して即時停戦をさせなければいけない。しかし、それと同時にアラブの指導者に、サウジであれ、エジプトであれ、シリアであれ、ハマースに働きかけてロケットを飛ばさせないようにする。そうしないと終わらないわけです。

いろいろな枠組みの中でここに至ったということはありますが、いまやらなければいけないことは民衆の流血、犠牲を止めることで、これを許してはいけないということに尽きると思います。

山本 どうもありがとうございました。長丁場で皆さん、お疲れだと思いますので、ここでいったん休憩を入れさせていただきます。10分弱ですが1時15分から再開させていただきたいと思います。

それから資料ですが、最初にお配りしたものも、あとから追加でお配りしたものも、行き届いていないと思います。急遽、若干部ではありますが追加で刷っております。100人の定員でしか準備させていただいていないので、どうか2部以上お取りにならないでください。受付に置いてありますので、申し訳ありませんがお手元に行き届かなかった方はお取りいただけますでしょうか。


[休憩]


山本 短い休憩で申し訳ありませんでしたが、再開させていただきたいと思います。続きまして、東京外国語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所の黒木教授からご報告をお願いします。

黒木 私は「ガザ(2008-09)、レバノン(2006)と国際環境」ということで、皆さんのお手元にレジュメがあるかと思いますが、これに従ってお話しいたします。東京外語大のアジア・アフリカ言語文化研究所はベイルートに研究拠点を持っていて、私はそこの責任者なので、ほぼ毎月のようにレバノンとの間を行ったり来たりしています。来週の今日はあちらに行っている予定です。

今回はガザの話ですが、事前にお断りしますと、私はガザのみならず、西岸のパレスチナ、イスラエルにも行ったことがありません。これはレバノン、シリアを専門としているためですが、今回のガザの事件は「ついに来るところまで来た」という大変な危機感を持って見ています。レバノンとの関係のなかで、もう少し広いところでガザを見てみようというのが趣旨です。いままでのお話と重なるところが多いですので、そういうところは飛ばしてお話しして参ります。

今回のガザの事件とレバノンのケースがよく似ていると、いろいろなところで言われています。レバノンでの2006年夏の1カ月あまり、33日間の戦争ですが、そのときと今回のガザの事態がどういう点が似ているかというと、ちょうど数日前にインターナショナル・ヘラルド・トリビューンに、ベイルートのアメリカン・ユニバーシティ(American University of Beirut)の先生であり、なおかつジャーナリストであるRami Khouriさんが書かれた記事がありましたので、ここに要約しました。

Rami Khouriさんは主な点を三つ挙げています。まず第1に、ハマースとヒズブッラーがよく似ている。もちろんスンニー派、シーア派の違いはありますが、いずれも80年代に組織が生まれている。1982年にレバノンでヒズブッラーが生まれ、87年にパレスチナでハマースが生まれた。これは当時、イスラエルの国防大臣だったアリエル・シャロンの暴力主義が生み出したものである、ということです。いずれも、圧政や占領に対して抵抗する権利があるのであって、イスラエルに抵抗するということを自らの運動の根本に位置づけているのです。

第2に、先ほども出てきたロケット砲の話ですが、この「熟練ローテク」というのは私の意訳ですが、そういう「軍事」技術です。アラブ地域での日常生活を見ると、われわれも驚くのは、小さな町工場みたいなところで、工員がずいぶん古い自動車を改造して、修理して使えるようにしているわけですが、大学で機械工学を学んだわけでもない人が、職人的技術でもって、新・旧いろいろな部品を駆使して、古い自動車でも修理して使えるようにしているわけです。日本も、ものづくりという点では自信がある国だろうと思いますが、ハイテクではないけれど、手先を使った換骨奪胎式の独自のテクノロジーとしてのローテクを持っています。

今回のロケット砲も、もちろん外から武器の援助等はあるでしょうが、そういったアマチュア的なものが元になっています。ですから、超ハイテクの、世界で最先端・最新鋭の兵器を持っているイスラエルと戦っては、全然太刀打ちできないわけです。死者数の違いにそれが端的に表れます。

ただ、こうした自明の、圧倒的に不利な状況の中でもロケットを飛ばしていれば、とにかく何か飛んでいれば、自分たちの存在を主張できる。先ほどのガッツの話ですが、それさえ見せられれば、彼らにとっての勝利です。まさにヒズブッラーは2006年の戦争で、最後まで、停戦前日までロケット砲を多数飛ばしていました。このためイスラエル側は、2006年のケースは敗北であると総括し、ヒズブッラーは勝利であると宣言しました。いかにたくさんのレバノン市民が死んでも、勝利だというわけです。

同時に、いままで皆さんもいろいろなメディアでご覧になっていると思いますが、市民の犠牲者の映像がよく流れます。これが喚起する力が、全世界的にいま広がっています。世界各地でデモが行われています。

それから第3に、ハマースとヒズブッラーのいずれも、宗教、ナショナリズム、ガバナンス(統治力)のより合わせというか、これを一緒にした性格があるということです。先ほども川上さんの話にあったように、パレスチナ自治政府にはいろいろな問題がある。腐敗とか、イスラエルに対抗できないという交渉能力の欠如です。レバノンも、国家としては非常に希薄というか、不能率的なところが多い。ハマースもヒズブッラーもこういったところの空白を埋めるべく、草の根の人々のニーズに対応しているのです。

とはいっても、いずれも普通の国家のように民生の全分野をカバーできるわけではない。そしてガザのような狭い土地が完全に封鎖されれば、先ほどもあったように、いかにハマースがファタハの自治政府に代わって民生をカバーしようとしても無理で、これは緩慢なる虐殺でしかないわけですが、いずれにせよ様々な部分で、自治政府なりレバノン国家がカバーしきれないところをカバーしている。ですから人々の支持は常にあるわけで、イスラエルがどんなに軍事的に攻撃しても、人を殺しても、その組織を殲滅することは不可能です。

ですから、これは、今回のガザ攻撃でイスラエルは結局何を目指しているのかという問題につながっていきます。これまではRami Khouriさんの記事をまとめたものですが、それに加えて、ほかに私も思いつくことがいくつかあります。

まず戦端の口実です。これは先ほども触れられたので、省略させていただきます。

次に、これも先ほどアラビア語の新聞記事紹介のところでも触れられましたが、「穏健派」アラブ諸国の対応です。エジプトにせよ、サウジアラビア、ヨルダンにせよ、「穏健派」という言葉でこれらの国をくくるというのは実に情けない認識ですが、それはさておき、これらアラブ諸国の対応も、今回のガザと2006年のレバノンのケースは共通しています。最初はパレスチナ自治政府のアッバース議長も、エジプトも、ハマースを非難していました。こうしたイスラエルの攻撃を招いた責任をハマースに負わせたわけです。ヒズブッラーのレバノン戦争のときも、サウジやエジプト等は、ヒズブッラーがこういう戦争の原因を作ったと、最初は非難しました。しかしそれぞれの国でこれとは逆の世論が高まります。ヒズブッラーやハマースに同情し、これを支持する国民の声が猛烈に高まります。いわゆる「穏健派」アラブ諸国は民主的な国では全然なくて、街頭行動などとれば警察に引っ張って行かれる点で「過激派」とされるアラブ諸国と大差ないのですが、こうした国民の声の高まりに政府が危機感を感じるようになってきます。そのため微調整しながら、アラブ諸国サミットなどの場であれこれ交渉しながら、体面を取り繕う方向に向かいます。

それから軍事的な作戦としては、先ほどから話があるように、爆撃から地上戦へという展開が共通しています。2006年のレバノン戦争の2カ月後に、ベイルート南部の爆撃を受けたところを見に行きました。バンカーバスターといった地中にまで到達する破壊力の強い爆弾が使われたといわれますが、それにやられたのでしょう、6、7階建てのアパートがざっくり切られていました。切断面では、アパートのそれぞれの部屋が見えるわけです。食卓とかベッドがそのまま見える。あるところはこうしてさっくり切られ、その隣は完全に、ぺしゃんこに跡形もなく破壊されている。そういう様子を今回また、残念ながらガザで目にすることになりました。

イスラエル軍が国連の関係施設を意図的に攻撃している点でも、レバノンとガザはよく似ています。先ほど紹介がありましたが、ガザではUNRWAが経営する学校への爆撃がありました。2006年のレバノンではイスラエル軍は国連停戦監視団の詰め所を爆撃して、中国人の監視団員を殺しています。それからこれは古い話になりますが、1996年にイスラエルがレバノンに侵攻したときも、レバノン南部のカーナという、シーア派の小さな村ですが、ここの国連用地の中の防空壕に逃げ込んだ人たちの上に爆弾を落とし、100人以上を殺したことがありました。2006年もこの同じカーナ村で、民家に逃げ込んだ一般人の集団を殺しています。

こういったことに対して、UNRWAの学校の爆撃に関しては人道的な問題で調査されるという報道がありますが、2006年のときは何らおとがめがありませんでした。国連は、これを安保理で問題にすることもなかったわけです。

レジュメの2番へ行くのですが、まだ似ている点の続きです。「インターナショナル・コミュニティ」という、日本では「国際社会」で、「国際社会がこのように言っている」とか「国際社会はこのように取り組んでいる」とか、いろいろな説明がなされて、いかにも民主的な、地球規模でのあるべき基準がそこに示されているかのように言われるわけですが、この「国際社会」なるものの化けの皮が剥がれてきていると思います。アメリカやEUなど西側諸国の政府が、イスラエルがガザを攻撃するのを「理解する」、あるいは「支持する」ということに関して、素朴な常識的観点から、「一体どうなっているのか、どうしようもなくおかしいのではないか」という気持ちが、世界中の人々の中にあるだろうと思います。今日もこれだけたくさんの皆さんがお集まりになったということは、それを表しています。

「国連安保理の無策」と書きましたが、このレジュメをつくったのは2日ほど前で、安保理は1860号という決議を出しました。時間差ということで、この部分は事実と違うことをお許しください。2006年のときは戦争中、G8が開催されていたわけですが、このときも何もなかったわけです。停戦に向けた努力もなされませんでした。

その代わりに出てきたのは、ライス国務長官の「新しい中東のための生みの苦しみである」という言葉でした。こういった言葉が語られて、それがメディアで何事もなく流通する。このような事態に対して国際政治の場で非難がなされない状況は、おかしいのではないか、という気持ちが、「国際社会」の中で広がってきています。ここで言う「国際社会」は、アメリカ政府が言う「国際社会」とは違って、広い意味での、新しい「国際社会」です。

これは次の飯塚さんの話につながると思いますが、なぜそんなことが起こりうるのか。人間の常識として考えて、こういうことがあってはいけないのですが、それを成り立たせている一つの装置が「テロ」という言葉です。ハマースもヒズブッラーも、アメリカ政府が指定する「テロ組織」です。

そういった「テロ組織」を支持している人は、たとえ命を失っても自業自得である、という理屈が背景にあるのです。一般人の死は自業自得で仕方ない。だからこそ「付帯的な死者」という言葉が出てくるわけです。

ハマースやヒズブッラーの性格、あるいは今回のような事件を説明する際に、その背後にイランがいる、シリアがいる、ということがよく言われます。それらはアメリカ政府が指定する「テロ支援国家」である。その手先としてパレスチナにはハマースがある、レバノンにはヒズブッラーがある、という位置づけになるわけです。それぞれの組織が置かれた地域的状況や歴史的な経緯をすっ飛ばして、国際政治上の支援・協力関係を持ち出して、こういう図式です、と見せる。それによって、ああ、これだけの人々が殺されるということは、やはり厳しい国際政治の現実があるんだ、仕方ないんだ、という雰囲気を醸し出す。先ほど申したような「これはおかしいのではないか」という常識を、何とかこういった部分に回収しようという動きが見られると思います。

これたは非常に不幸な結果を生んでいます。パレスチナにしてもレバノンにしても社会の政治的な二極化が進行しています。もちろんどんな社会にでも政治的な対立はありますが、これが極端な形になっている。国際政治上の対抗図式を、現地の人々が自らの思考様式の中に取り込んで適応してしまい、ますます対立を激化させるような悪循環の状況になっているのです。

とえばレバノンでヒズブッラーというものに対して国内政治的に対抗しようという人たちが、アメリカの支援を受ける。そのために言っていることがお互いにどんどん過激化していく。すると、ヒズブッラーでもない、アメリカやイスラエルでもない、別の道を考えようとする人々の力はどんどん弱まってしまい、結局中間的な人々が二極に引き裂かれていくわけです。パレスチナにおいても意図的にこういった対立が煽られています。

それから報道の問題ですが、報道というのは常にバランスをとるということが重視されます。バランスをとる、という言葉それ自体は非常に肯定的なものですが、ここでも注意が必要です。ガザの虐殺の写真を掲載するときに、先ほどのアラビア語メディア報道のところでも写真をご覧いただきましたが、それと並べてイスラエルでロケット砲に屋根を撃ち抜かれた家の写真を、同じ大きさで見せないといけない。双方を並べることによりバランスをとっているのだ、ということなのでしょうが、それぞれの事実の重みや脈略を無視して、これを見る人をして「喧嘩両成敗」的な方向に導く、という効果があります。

そういった写真等々の使い方と同時に、言葉の問題、レトリックの問題もあります。イスラエル政府は、ガザのハマースが民家に紛れてロケット砲を撃っている、それは「人間の盾」を悪用している、と言っています。ハマースが悪用しているから人々の殺傷は仕方ない、というエクスキューズであり正当化です。ハマースにしてみれば、更地にロケット砲発射装置を置いたらすぐに爆撃されて意味がない。レバノンでヒズブッラーはバナナの果樹園などから密生する樹の陰に隠す形でロケット砲を発射していました。ガザの環境を考えれば密集地の建物の陰から撃つしかないわけです。だから「人間の盾」という言葉自体がナンセンスです。しかしイスラエル政府が言っているということで、これが素通りで報道されるわけです。これを読むと、なるほど、と思う人も多いことでしょう。ここには巧妙なプロパガンダがあるわけです。同じように、3時間だけ爆撃をやめて、物資を入れてあげよう、これが「人道回廊」である、ヒューマニタリアンなものであるといった、われわれの神経を超越した言葉が、新聞やインターネット等々を通じて広まっています。

これは、かつてイスラエル軍が2000年までレバノン南部の国境地帯を10キロあまりにわたって占領していたことがありますが、これをイスラエルは「安全保障地帯」と言っていました。これとよく似ています。

もう一言付け加えますと、イラク戦争のとき、米軍がイラクに打ち込むミサイルに「これはイラク人へのお土産だ」と落書きをしていたのを真似て、2006年のレバノン戦争のときに、イスラエルは小学生の女の子たちに、「これはレバノンへのお土産である」とミサイルに書かせていました。その写真はアラブ側の新聞によく出ていました。そういったわれわれのモラル・神経として理解しがたいところに、いま事態は到達しつつあるということです。

こうした事態に対する日本の責任ですが、決して無責任ではない。イスラエルの論理というのは、「われわれは対テロ戦争を遂行している。これは西側の利益を代表している」ということです。過激なイスラーム、イスラーム過激派とよく言いますが、これを撲滅して、平和と安定を実現する、というわけです。この論理を受け入れている限り、われわれ日本人も共犯であると言わざるをえない。

今回のガザの事件に関する日本政府の対応ですが、麻生首相は当初イスラエルに対して遺憾の意を表明したようですが、1月3日にはパレスチナ自治政府のアッバース議長と電話で会談して、「イスラエルとの停戦に向けて努力してくれ」と言ったという報道を見て仰天しました。もちろん、メッセージとしては、「ハマースではなく、ファタハのあなたの自治政府を日本政府はちゃんと認めています」ということなのでしょうが、あまりにも現実に起こっていることとずれている。

先ほども触れた「国際社会」ですが、世界各地でデモが行われていますが、多くの人々がこの事態は異常だ、おかしいと思い始めています。それでご覧いただきたいのですが、これは日本でもちゃんと報道されたのか、その当時、私は知らなかったのですが、去年9月23日に国連総会でイランのアフマディーネジャード大統領が演説したときの映像があります。レジュメに「イスラエルのシオニズム」と書きましたが、彼は「イスラエル」という言葉は一度も使わずに、「シオニズム」、「シオニストの体制」を批判しました。ネットのYouTubeに出ていますので、皆さんもいろいろ検索されれば出てくると思います。

最初のテロップをご覧になっておわかりかと思いますが、これはアメリカの「ハドソンインスティテュート」という保守系シンクタンクがやっているウェッブサイトの中にあります。要するにこれがアンチ・セミティズムだ、国連がいかに偏向しているかと言っているプロパガンダです。

ここでアフマディーネジャード大統領は、「イスラエル」とか「ユダヤ人」といった言葉は一切使わずに、シオニズムがいけない、と言っています。それだけでなく、積極的に平和を希求することも述べています。預言者であるノア、アブラハム、モーゼ、イエス・キリスト、ムハンマド、これらの下につくられたコミュニティが一つになって平和をつくるべきだ、ということを言っているのです。そして一部の少数のごり押しをする勢力、それがどういう国かはみんなわかるわけですが、この総会を欠席していた国イスラエルとアメリカですが、それに対して抵抗しないといけない、と言った。

それに対して総会では満場の拍手がありました。そして総会議長が、これはミゲル・ブロックマンというニカラグアの元外務大臣ですが、特別に敬意を表しました。これはイスラエルの報道では、相当な危機感を持って報じられました。

1月2日の『ハーレツ』のインターネット記事によると、在外ユダヤ人が今回のガザの事件に関して危機感を持っている、とのことです。つまりイスラエル国内では、先ほど話があったように90%以上が攻撃を支持していますが、在外ユダヤ人は必ずしもそれと同じではない反応を示しているそうです。ここには希望が少しあるかもしれないと思います。

世界の首脳の中でも、たとえばトルコのエルドアン首相は今回のガザに関して、猛烈に厳しい言葉で非難しています。イスラエルとトルコは軍事的には同盟国に近い立場にあるのですが、この発言もトルコ国内の世論の動きと密接に連動しています。

結局こういった諸々のことが、最近、新自由主義経済が破綻したということと、どうもパラレルに見えて仕方がないわけです。いつの間にか市場が、モラルを失った者たちの暴れ回るところになっていたのと同じです。では、モラルに満ちた人たちがいつ国際政治を行っていたかという逆の質問が出るかもしれませんが、それはさて置き、あまりにもひどい状態になっているのではないか、ということです。

国際刑事裁判所加盟国マップ

【フリー百科事典『ウィキペディア』「国際刑事裁判所」より】

こういったときには、「法の統治」に立ち返るしかないと思われます。そこで注目されるのが「国際刑事裁判所」です。ただし加盟国は色の付いたところだけです。ご覧いただければわかるように、中東ではヨルダンだけが加盟しています。それ以外の国はきれいに抜けている。あとはアメリカ、ロシア、中国、インド等々も加盟していません。こういった国際組織を今後どうやって地道に育てていけるかが、決定的に重要です。

われわれにもできることはあります。たとえばイスラエル製品のボイコットとか、イスラエルを支援している資本の店に行かないとか(たとえばスターバックスのコーヒーは飲まないなど)、できるところから始めるべきではないかと思います。今後ガザを含めてパレスチナがどうなるかは私にはわかりませんが、これだけたくさんの人が亡くなっているという事実を前にして、この人たちの犠牲はこういう意味があったということが将来にもし言えるならば、この国際政治のモラルのどん底から秩序をつくっていくための犠牲だった、と言えるようにしなければならないと思います。雑ぱくな話で失礼いたしました。


追記:
 ワークショップの最後に、栗田禎子氏(千葉大学)から、今回の事態を、国際法的にはイスラエルのガザ占領状態が続いている中でおこったことであり、イスラエルのジュネーブ条約違反であることを明確にすべきである、との意見があった。私が語り落とした点を指摘下さったことに感謝したい。


山本 続いて、同じく東京外国語大学の飯塚教授のご報告をお願いいたします。すみません、先ほども言いましたが、資料の順番が少し入れ替わっています。綴じられた紙の一番最後のページに飯塚先生の資料が入っています。

飯塚 予想どおりというべきか、時間が予定よりも大幅に遅れておりますので、皆さんは20分ずつお話しになる感じですが、私は10分程度で簡単にお話しさせていただこうと思います。

さて、今日もたくさんの方々にお集まりいただきました。東京外国語大学で「中東イスラーム研究教育プロジェクト」が発足したのがかれこれ4年前になりますが、それ以前を含め、今日が21世紀に入ってわれわれが開催する4度目の緊急ワークショップになります。

最初のワークショップは9.11の直後。警備面などいろいろな事情がありまして、マスコミおよび学会関係者のみというかたちで御茶ノ水でやりました。そのあとが2003年。イラク戦争が始まる10日くらい前に、明治大学のリバティホールで500人くらいの方にお越しいただいたわけです。さらに2006年のレバノン戦争のときが3度目。わずか10年も経たないうちに4度の緊急ワークショップを開かなければいけなくなっていること、率直な実感として、この事実こそが、9.11以降どんどん状況が悪くなっていることの一つの証左だと思います。もう一つ、先ほど60年前のナクバの話がありましたが、お集まりいただいた皆さんは十分ご存じのとおり、この60年で、パレスチナの状況はいっそう悪くなりこそすれ、まったくよくはなっていない。

先ほど川上さんからもお話がありましたが、とにかく現場のパレスチナ人はどんどん絶望的な状況に追い込まれていますし、一方で今回攻撃しているイスラエル国民のほうが幸せになったのかというと、これまた、全然幸せになっているとは思えない状況がある。

私は先ほど川上さんがおっしゃったことに同感で、いまは何をおいても早急にガザ住民の殺戮を止めないといけないと思っていますが、その一方で、この殺戮を止めることができたとしても、それ以上にパレスチナの状況を好転させる見通しがまったく立たない状況に至ってしまっていることに強い危機感を抱いています。言い換えれば、いま起きている事態が本当に底なのか、ということに関して、私は非常に悲観的なわけです。

冒頭で錦田さんがおっしゃったように、第2次インティファーダ以降の数を見ても、今回はとんでもない数のパレスチナ人が死んでいるわけですが、これが本当に一番悪い状況なのか。もしかすると、あと数年後にもっとひどいことになっていて、それがパレスチナとは限りませんけれども、またまた緊急ワークショップを開かざるをえない羽目に陥っているのではないか。実際にそんなことになりかねないのが、いま人類が置かれている状況だろうと思います。

私自身がこうした危機感を抱く最大の原因は、言うまでもなく9.11以降アメリカが推し進めてきた「テロとの戦い」にあるわけですが、酒井さんのご依頼は、そうした危機感を踏まえて、今回のイスラエルによるガザ侵攻の大義名分ともなっている「テロとの戦い」の論理が抱える問題をあらためて論ぜよ、というものでした。先ほど黒木さんがおっしゃったように、イスラエルのハマースに対する戦いも「テロとの戦い」の一環として位置づけられているからこそ、アメリカも――ほかにもいろいろ理由はありますが――、今回の事態を本当に深刻なものとは受け止めないし、イスラエルの気持が理解できるという立場になるわけです。

このあたりの感覚がどれだけ絶望的かと言いますと、実は私、2006年夏のレバノン戦争直後に、たまたまカナダに調査に行きました。カナダでアル=カーイダの思想に共鳴したイスラーム教徒の青年20人くらいがテロを起こそうとして捕まったのですが、カナダ政府は史上初めて、「この青年たちはアル=カーイダの思想に共鳴してテロを起こそうとしたけれども、アル=カーイダとは何の関係もない」という調査結果を公表したのです。つまり「自称アル=カーイダ」ですね。「俺たちはビン・ラーディンの言うことに共感するから、アル=カーイダとは関係ないけれども、テロをやる」という連中が出てきたという報道が6月にあって、カナダに行っていろいろ調べないといけないと思って現地調査に出たのですが、それがちょうどレバノン戦争が終わったころでした。

それで朝、トロントあたりでニュースを見ていると、発信力の違いということになるのでしょうが、すごいコマーシャルが入るんですね。「われわれイスラエル国民はテロリストの大変な脅威にさらされている。とにかく皆さん、助けてください」といったコマーシャル・テロップが、朝のニュース番組のあいまに流れる。今日、最初に錦田さんがお見せになられたような、被害の程度はいまのガザの惨状に比べたらはるかに軽いのですが、ロケット弾によって天井が抜けて、そこでイスラエルのおばあさんが途方に暮れているといった映像が、ずっと流れる。

これは先ほど臼杵さんがおっしゃった「見せる、見せない」にも関わる話だと思いますが、いま地球上で一番発信力が強いのはアメリカのメディアですし、イスラエルとパレスチナで比較すれば、メディア発信力はイスラエルのほうが圧倒的に強い。その違いが、被害者はイスラエル国民で、邪悪なテロリストから身を守るのは当然だ、というアメリカ国民の「理解」を産み出すわけです。

もちろん、これはイスラエルの地道な努力の結果でもあるわけで、かつて、亡くなったエドワード・サイードがアラブ諸国の政府を批判していた点でもあります。「自分たちが被害者だ」ということを示すために、イスラエルがそうやって地道に努力しているときに、パレスチナ人を支持するアラブ諸国は何をやっているのか。そういう努力を何もしないで、使えもしないミサイルばかり買っている。そう批判して、アラブ自身に反省を求めたことがありますが、そういう地道な努力の有無も含めて発信力の違いがある。

さて、ここでキーワードになるのはいま申し上げたように、「被害者」です。9.11以降どうしてこんなにどんどん悲惨な状況になってきたのかという問いへの回答も、最大のポイントは、すべての国、あるいは地球上のかなりの数の人間が、自分たちこそ被害者だと信じ込むようになった点にあると見ていいのではないでしょうか。紛争というのは、現実にはいろいろな理由や側面があって勃発に至るものでしょうから、自分にだってある程度、責任はあるかもしれない。下手すると、先に手を出したのはこっちかもしれないけれども、9.11以降は自分たちこそ一方的な被害者だと、ほとんどみんなが思うようになった。

自分たちが一方的な被害者であるならば、自衛のための戦争をやるのはいたしかたない。日本の場合にも自衛の戦いであれば仕方がないというのは、自衛隊、そして多くの国民の共通認識だと思いますが、「テロとの戦い」の過去を振り返ってみると、自衛の戦いであれば仕方ないという認識が、物事をエスカレートさせてきた、どんどん悲惨な状況をもたらしてきたという事実は否定できないだろうと思います。

それで、話はこれ以上事態を悪くしないために何をすべきかという点に移りますが、それを考える上で、ご覧いただきたいのがお配りしている資料です。繰り返しになりますが、キーワードは「被害者」。そして、「テロとの戦い」という流れのなかでは、自分が被害者だと思うこと以上に、自分が被害者だということを周囲に宣伝して認めさせることが重要になります。いまイスラエルは自分が被害者だと主張し、その主張に説得力を持たせることにもある程度成功している。

たとえばアメリカ合衆国は、イスラエルが被害者だという主張を、連邦政府からしてそのとおりだと認めていると思いますし、イスラエルの掲げる「テロとの戦い」も9.11以降、一方的な被害者意識に基づいて「テロとの戦い」を支持してきたアメリカ人の心性と共感している。いまガザで大変なことになっている、無差別殺人が起こっているというのは、否定しがたい事実でしょうが、逆に言うと、アメリカがいまアフガニスタンでやっていることと何が違うのか、考えてみる必要はあるでしょう。死者の規模は違っても、やっていること自体は同じではないのか。アフガニスタンでもタリバーンを掃討するということで、実際にはタリバーンではないアフガニスタン人が大量に殺されている。これは国連が看過できない、見過ごすことができないレベルに来ていると年中、言っている話で、ガザとアフガニスタンには明白な共通性があるわけです。

先ほど黒木さんがテロリストというレッテルを貼って、それでテロリストを支持する奴は殺されても仕方がないということにいまやなっているのだという事実指摘されましたが、お手元にお配りしているのは、ヨルダン大学の戦略研究所が2005年2月に出版した世論調査の結果です。これはRevisiting the Arab Street: Research from Withinというタイトルでgoogleで検索していただけば、この調査の全文がヨルダン大学戦略研究所のホームページに載っておりますので、細かな調査条件などはそちらでご確認いただければと思いますが、まず注目していただきたいのは、Table Ⅶ.1です。

そもそもテロについては、日本の論者の中にも、「イスラーム教徒はテロに甘い。だから意識改革しなければいけない」などとおっしゃる方がいらっしゃいます。しかしTable Ⅶ.1をご覧いただくと、問題がそういう次元にはないことは明らかです。実は、イスラーム教徒が「テロ」と考えているものと、欧米日の人々の大半が「テロ」と考えているものは決定的に違うことがこの表からわかります。

ヨルダン、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプトという五つの国あるいは地域で世論調査を行った結果、この地域の人たちが「これこそテロだ」といちばん強く思っていたのは、イスラエルがパレスチナ人の市民を占領地で殺していること、次いでイスラエルがブルドーザーで占領地の農地を掘り返すことでした。さらに一つ飛んで四番目は、パレスチナの政治的なリーダーをイスラエルが暗殺すること。こういうのが圧倒的にテロだと彼らは考えているわけで、ある意味ではこれと戦うのが、彼らにとっての「テロとの戦い」になるはずです。ですから実は彼らもテロと戦っている。

一方、表の下のほうをご覧いただくと、逆にイスラエル市民に対する攻撃とか、イスラエル軍に対する攻撃というものを「テロ」と考える数が圧倒的に少なくなっているのは一目瞭然かと思います。

なぜこういうことが起こるのかといいますと、「テロリスト」ということばがもともと単なるレッテルに過ぎないからです。Table Ⅶ.2は、たとえばハマースとかヒズブッラーとか、しまいにはアル=カーイダというものがテロリストだと思うか、レジスタンスだと思うかを尋ねた世論調査の結果ですが、「テロとの戦い」はこのレジスタンスという概念を一切認めませんので、イスラーム教徒がレジスタンスだと考える行為や運動も全部テロと見なされることになります。結果として、イスラーム教徒と欧米日の大半の人々とのあいだには、大きな認識上のギャップが生まれている。

Table Ⅶ.2の数字をご覧いただくとおわかりいただけますように、ハマースをテロリストだと思っている人の数は、レバノンで相対的に多いのですが、ヨルダンでもシリアでもパレスチナでもエジプトでも、せいぜい100人のうち1人から3人しかいない。こういう組織をテロリストだと決めつけて、戦うことが結果的に何を生むかといえば、テロリストだと指定されたハマース以外の人間たちの怒りに火をつけることになるのは明らかです。

ただ、「テロとの戦い」の論理でもっと気をつけなければいけないのは、誰がテロリストかということは、必ずしも最初から自明なわけではないということです。テロリストはテロをやって初めてテロリストになる。先日の秋葉原の事件も一部ではテロとして報じられましたが、あの事件を起こすまで、誰も彼をテロリストだとは思っていなかった。

実はこれが「テロとの戦い」が特定の組織をテロリストとして指定しないといけない理由にもなるわけですが、組織を指定しないと「テロとの戦い」そのものが成り立たない。言い換えれば、たとえばハマースやヒズブッラーやアル=カーイダがテロリスト組織だと決めつけて初めて、そのメンバーはテロリストになり、「テロとの戦い」で戦うべき敵になる。

ですから本当は、一体誰と戦うのか、誰が敵なのかわからない、敵は勝手に自分で決めるのが「テロとの戦い」の特長ということになります。つまり、見方や立場によって誰がテロリストかは変わってくる。これが第一のポイントです。さらに、「テロとの戦い」でテロリストに指定された組織の人間も、実際には多くの場合、制服を着ているわけではないので、現場では誰がテロリストなのか容易に判別できない。これが「テロとの戦い」が無差別殺人につながりやすい第二のポイントと考えられます。

こうした点を踏まえ、今日の報告には「殺された人間はすべて“テロリスト”である」という少し刺激的なタイトルを付けました。つまり、たとえ間違って誰かを撃ち殺してしまったとしても、被害者はテロリストだったと強弁すれば、あれは間違いではなかった、正しい戦闘行為だったといって済ませられるような構造が、そもそもこの「テロとの戦い」というものにはあるということです。

それだけならまだしも、9.11の直後、ブッシュ大統領が言ったことは何だったかというと、「テロリストを匿う者、テロリストを支持する者もまたテロリストだ」という無茶な定義でした。この論理から言うと、先ほど黒木さんがおっしゃったように、ガザの住民はテロリストを選挙で選んだわけですから、彼らもテロリストということになります。結果、これは「テロとの戦い」のなかで、殺害しても構わないというか、殺害するのが正しいという話になってしまう。

けれども2001年に、世界はこういう無茶な定義を、われわれ日本人も含めて受け入れたわけです。ただ、そうは言いながら、さすがにわれわれ日本人や欧米人の一般的な感覚では、それは無茶だろうと、いまガザの惨状を目の前にして思う。子供たちが殺されて、これがテロリストだと言われても、当然誰もが疑問に思うわけです。

頼みの綱はこうした一般市民の良識しかないのかもしれません。これが機能しなくなれば、「テロとの戦い」の論理、ブッシュ大統領の打ち出した定義が暴走する。オバマさんになったら無茶な部分は多少減るかもしれませんが、誰がタリバーンかは相変わらずわかりませんから、アフガニスタンではおそらく同じことを繰り返さざるをえない。誰がタリバーンかわからないから、とりあえず撃ってしまう。死んだ人間はタリバーンだということにしておく。

実際にいまアフガニスタンで起こっているのはそういうことだと思いますが、これに一定の歯止めをかけられるのは、先ほど申し上げたとおり、何よりもまず地球市民の良識でしょう。市民の良識がそういうやり方を許さないからこそ、結果として、--そんなことが本当にできるのかと先ほど錦田さんはおっしゃっておられましたが--、ピンポイントでハマースだけを狙っているのだという言いわけも出てくる。「ピンポイントで被害が出ないわけはない」というあたりのせめぎ合いで、無力感もありますが、われわれがそこのあたりの良識さえも捨ててしまうことになれば、一層状況は悪くなる。

具体的に何をしなければいけないかというと、ガザの住民も被害者だということを、ガザの住民が被害者だと思っていない人たちにちゃんと知らせることができれば、それによって状況はわずかでも好転すると思います。ガザ住民の被害状況を見せる、見せないというところがまさに国際政治の肝というか、見せないようにしようとする勢力もいるわけですから、それが容易ではない場所もありますが。

時間が参りましたので、そろそろ話を終えますが、最後に、われわれの中にも結構「テロとの戦い」の無茶な論理が入ってきているという事実を指摘して、皆さんの注意を喚起しておこうと思います。9.11のあと、アフガニスタンでの戦争が始まる前に、日本国内でも当然多くの反対がありました。その反対の理由の一つは何かというと、この戦争によって一般市民が殺戮されることをどう考えるのかという話です。あえて名前は伏せますが、当時、日本政府の高官だったある人がテレビに出てきて、「そういう政府を選ぶ人間たちはそういう目に遭っても仕方がない」という趣旨のことをはっきり言いました。つまり日本でも、ハマースを選ぶようなガザ住民は自業自得だという論理とまったく同じ論理が、9.11のあとアフガニスタンの問題では語られたことがあるわけです。

それから、実は誰がテロリストかはわからない、それで戦争ができるのかという話も、われわれ日本人と無縁ではありません。日本の国会でも同じような答弁があったと思います。「どこが安全地帯なのか」「自衛隊が行くところが安全地帯だ」。この答弁が「誰がテロリストなのか」「殺された奴がテロリストだ」という回答とパラレルであることは疑う余地がないでしょう。このように、「テロとの戦い」と共通する論理は実はわれわれの中にも忍び込んで来ています。もちろんいますぐにこの惨状を止めることも大事ですが、同時にこれ以上悪くしないためには、こういうことにねちねちこだわっていかなければいけないのではないかと私は思います。

配布資料の裏には、もう7年も前に私が書いた文章の一部を貼り付けておきました。ここでは私、「イスラーム原理主義者」というレッテルの生み出す殺人正当化作用を問題にしていますが、この「イスラーム原理主義者」という語を「テロリスト」という言葉に置き換えていただくと、今日私が申し上げた、とにかくテロリストというレッテルさえ貼ってしまえば、いくらでも人間を殺せるという時代が9.11以降来たということを、もう少し整理した形でご理解いただけるかと思った次第です。のちほどご参考にしていただければ幸いです。どうもありがとうございました。


山本 それでは最後になりましたが、この集会の呼びかけ人である酒井啓子先生からご報告いただいたあと、集団討議に移らせていただきたいと思います。司会は酒井さんにそのままお願いしますので、よろしくお願いします。

酒井 今日は皆さんにすでにたくさんのご報告をいただいて、議論というか、問題点はほとんど出尽くしたと思います。今日、私がお話ししたいと思うのは、この会を始めるにあたって、われわれ中東に携わってきた研究者であれ、メディアであれ、NGOの方々であれ、そういう方々がテレビや新聞などを見て、違和感を非常に強く感じる。

あるテレビを見ていたのですが、この空爆がなぜ起こったのか解説しましょうという番組です。そもそも2000年前にユダヤ人がイスラエルに住んでいましたというところから始まって、十字軍のころにはイスラーム教徒がたくさんいました。そのあとナチスドイツでユダヤ人がヨーロッパで虐待されました。それでイスラエルが建国されました。ユダヤ対イスラームという根深いものがあります。そういう解説がいきなり出て、これは困ったなというのを見てから、いきなり4日前にこの企画を考えた次第です。

どういうふうに報道されているかということを見ていきたいと思いますが、プリントに書いたように、これは新聞しか見られなかったので、新聞の数字しか挙げてありませんけれども、日本の報道で何が語られて、何が語られていなかったか、ということを見ていきたいと思います。

まず語られたことは、今日もずいぶん議論に出てきましたが、イスラエル、ガザ攻撃、あるいは侵攻というタームで検索した数です。当然のことながらパレスチナには触れてありますが、圧倒的にハマースを主体にして扱っているわけです。これはハマース対イスラエルの対立だという議論で、そのハマースに付く形容として、イスラーム、原理主義、それから当然、ロケット弾という話になっています。

川上さんの話や皆さんのお話にもありましたが、全体のメディアのトーンが、「なぜハマースはこんなことを始めたのか。ハマースがけしからん」という議論になっている。そして「ハマースさえおとなしくなれば、なんとかなる」という議論の論じ方になっています。

さらに言うと、ハマースだけではなく、死んでいる民間人がかわいそうなのはそうだけれども、ハマースとほかのアラブ諸国の関係はどうかということを見ると、山本さんの報告にもあったように、アラブ諸国自体もハマースを非難している。ハマースが間違ったことをして、それに対して団結すべきアラブ諸国も見放している。先ほど飯塚さんの話に出ましたが、要するに自業自得だというモードが非常に強いわけです

さらに言うと、アラブも分裂している。ハマースもとんでもないことをしている。そこでここを考えなければいけないと私は思うのですが、だいたいメディアの論調として、要するにイスラエルがこんなことをして困ったという考えでしか、止まらないという前提があると思います。

これはいくつかのメディアの記事からとってきたのですが、要するに「こんなことをして大変になってしまう。このような攻撃はよろしくない」というトーンでものを書くときに、「イスラエルも相当被害を受けるよ」という脅しのように、「こんなことをやったら、ただではすまないよ」みたいな感じの言い方です。要するにイスラエルが困ったら初めて止まるんだ、という流れになっているわけです。

つまりどういうことかというと、言ってみれば、イスラエルの決定、意思によって、物事がすべて決まる。攻撃するのも止めるのも、和平をどういう方向に持っていくかも、何するのも、とにかく一国で決める。交渉がないということです。つまり交渉が前提になって論じられている話ではない。オスロ合意の枠組みが崩壊して云々というのはいろいろ問題がありますが、圧倒的にその時代の報道自体も変わってきているわけです。

パレスチナの中で和平交渉や和平の枠組みがどうなるかということに、みんなもうすでに関心を示していない。イスラエルだけが決められることで、そういう現実なのだからしょうがないではないかというのが、おっしゃるとおり、いまのマスメディアの中にあります。これはたぶん気がついていないと思いますが、前提として、底流としてずっと流れている。だからこそこういう報道になるのではないかと思います。

ここは長くなってしまうのですが、このような考え方、日本のメディアあるいは世論も含めてですが、一般的に見ていて、どうもリアリズム型の議論に非常に慣れているというか、好きというか、わかりやすいと思うというか、要するに強い者が強い力をふるって、全体的なレジームをつくっていくことはしょうがない。そのリアリズムの論理というのは、日本社会の間に非常に強いのではないかと思います。

これは決してそうではなかった。60年代、70年代は、どちらかというとリベラリズムのほうが非常に強く、リアリズムで処理できない規範はどうするのか、人権はどうするのか、環境はどうするのかという、リベラリズムに基づいた外交なり国際政治のありようを考えていくような芽が日本にはあった。少なくとも私が学生のころには、そういうほうが強かったような気がするのですが、どこかの時点で日本は、論調の中でのリベラリズムが消えてしまって、リアリズムでいくしかないという雰囲気になってきてしまっている。

これはイスラエルの問題と離れても、全体状況として、おそらくアメリカ一国集中の議論と同じだろうと思います。アメリカがとにかく一番強い。それ以上にしょうがないという議論です。その構造が、域内で言えばイスラエルがどうやったって強い、アラブもほかも抵抗できない、しょうがないという論調でいっている。

これは大変怖いことで、リアリズムで突き進めていくと、結局のところ強ければいいのかという話になるから、だからこそ武装するわけです。当然だと思います。イスラエルが強いから、強い奴の決定に任せるしかないということになると、強い奴以上に強くなるしかないという議論になります。そこの部分は国際政治の認識枠組みの根本からやはり変えていかないと、難しい話になるのではないかと思います。

語られないことのほうに行きます。語られることはハマースのことが中心だったのですが、語られないことで、この間からしつこく言っていたのは、占領という言葉が三百何十何件あった記事の中でわずか1割しかない。ガザと言えば占領地だろうと私はずっと思っているのですが、その占領状態だった、あるいは占領状態であるということに対して言及する記事が1割しかない。これは恐ろしい話だと思いました。

それから封鎖ですが、先ほどから繰り返し議論が出てきたように、経済的にも人の移動的にも封鎖されている状況にあるという前提条件が、1割しか触れられていない。あとで触れますが、川上さんがおっしゃったように、結局ガザの住民にとってハマースがラストリゾートであるという、あるいはそれが支持を受けているという状況については、まさに2%しかない。これはたぶんほとんど川上さんが書いた記事だと思いますが、それしかない。

語られないことの中で、たぶん一番上は川上さんが書いたものだろうと思いますが、記憶にないかもしれません。これは先ほどのリアリズムの議論ともつながるのですが、人道・人命維持が不均等状態にあるということ、要するに人命が軽いということについて言及したのは、私が見る限り、この2件しかありませんでした。たとえば均衡確保とか軽んじられているとか、あまりにひどいというのはちょこちょこありましたが、少なくとも10本の指に入る数でした。

これはあとの議論の場で川上さん、錦田さんにお伺いしたいのですが、多くのロジックの中で占領が終わったという議論がされているわけです。つまり占領地あるいは占領というタームが記事の1割にしか出てこなかったと言いましたが、ここの一番上の記事にあるように、2005年にたしかにガザからイスラエルは撤退しているわけです。それをもって占領は終わって、いま問題になっているのはイスラエルが再占領するということがメディアの中で論じられているわけです。

ということは、つまり占領が終わっている。ガザで占領は終わっていて、記事の見え方からすると、あたかも占領のあとは自治政府ができて、自治政府が国民の安寧、生活の安定を維持しなければいけないのだけれども、ハマースが実効支配して、ぐちゃぐちゃになって手に負えないから、やっつけられましたというような感じの、占領が終わってノーマルな状態にあるべきところで、それをノーマルの状態にしていないのはハマースだというロジックになっている。本当に占領が終わっているのかということに対する疑問というか、疑義が提示されていない。ここについてあとで臼杵さんにご説明いただきたいと思います。

これもよくある説明で、パソコンのせいだと思っているのですが、コピペのせいか、どの記事も民間人は4分の1に上ると思われる。年末からずっとそう書いてあって、ずっと同じ記述かという気はします。無差別攻撃というところを指摘した記事がやはり少ないわけです。どこも民間人は4分の1しかいないという議論に乗っている。たとえばAFPやBBCが直接、ガザの医者に聞いたりして別の数字が出ていますが、あたかも判で押したように国連筋の、民間人4分の1という数字が横行しているところもあります。

これは先ほど川上さんがほとんどお話しになったので、あえて言いませんが、多くの記事の中でハマースを説明するときに、これは解説記事の中から言葉とかキーワードというコーナーから取ってきましたけれども、ハマースについて書くときには、イスラームの原理主義組織で過激派とも書いてあったりするし、武力制圧して、ガザを実効支配しているという話です。たとえば選挙で勝ったという話が載っている数は非常に少ない。

これはレアなケースだったので下のほうに書いてありますが、なぜハマースがガザを実効支配していることが問題になっているか。ファタハとの間で、ファタハのほうが治安権限の委譲を拒否しているというところで、ハマースの実効支配にリアリティの問題が出てくるというところをちゃんと説明している記事は、1件だけありました。さらに言うと、これも1件だけですが、先ほど川上さんがお話しになったように、実際に医療や福祉、慈善活動等々で社会活動をしている、そういう生活を支えている存在はハマースだということも1件しかありませんでした。

トーンとしてよくあるのは、やはりハマースが住民を盾にして瀬戸際戦術を引いている。瀬戸際戦術という言葉を出した段階で、北朝鮮のイメージが完全にするわけです。北朝鮮のイメージが何かということについて、私は語れる立場にはありませんが、要するに自分の知っている悪役を持ってきて、イメージするというものが出てくる。

これも問題ないのですが、パレスチナ対イスラエル、あるいはイスラーム対ユダヤというのは対立感情が半端ではない。気持ちの上で憎しみが強まっているので、これはもう解決不能だと逃げている議論が多い。たしかに憎しみは深いけれども、解決しなければしょうがない。よくあるパターンは、「日本人には、こういうことはよくわからない。平和になるといいね」という突き放した視点が強いと思います。

私が司会で取り仕切らなければいけないのに時間を食っているのですが、メディアの問題ではなく、圧倒的な違いとしてここで指摘しておきたいのは反応です。市民活動あるいは一般の声の動きが圧倒的に違います。昨日もあったのですが、12月31日にNGOを中心にイスラエルの大使館前で抗議活動が行われて、300人近くの参加者がありました。まったく同じ時期にロンドンのイスラエル大使館前で行われたデモは3000人で、一桁違うわけです。さらに1月に入ってからだと、パリで2万人以上です。昨日はピースボートとか、パレスチナ子どものキャンペーンとか、いろいろなNGOが合同で大きなイベントをしましたが、それでも1000人、2000人くらいです。やはり一桁違うわけです。

もう一つ、ノルウェーでもデモがあったのですが、いまガザからはほとんどの外国人が外に出されています。出ざるをえない状況にありますが、その中であえて入っている支援団体があります。これがノルウェーのNORWACという援助団体です。先ほど出てきたBBCのインタビューに、「民間人が4分の1なんていうことではない、45%はいっている。ひどい殺戮だ」と答えたノルウェー人の医師は、空爆が始まってから入りました。

入ったということがすごいというのは、NORWACはほとんどの資金を政府からもらっています。つまり政府が公認で援助している団体が、空爆下において入っていく。出す側のノルウェーという国もすごいし、ハマースのほうも入れている。つまりこの組織はハマースとそれまで密接な関係を持ってきたということがあると思います。そういう底力というか、いま外国人として入っているのは、2人の医者を含めて4人だけと言われています。こういったことがなぜわれわれにできないのかということも考えていかないといけないだろうと思います。

2時にこの会は終わりだと言いながら、もう2時30分になっています。ここは撤収しなければいけないのですが、最後にパネルの方々に一言、二言ずつ発言していただいて、時間がぎりぎりですので、それで終わりにしたいと思います。

司会の私の個人的な質問もあります。先ほど言ったように、とにかく占領という問題が本当に終わっていないのかということ、それはリーガルな問題もそうだし、現状もそうだしということを、できれば錦田さん、臼杵さん、川上さんにお話しいただきたいと思います。それからハマースを攻撃して弱体化すれば扱いやすくなるという議論がありますが、同じように、いまヒズブッラーとかが本当にやりやすくなっているのか。あるいは、これはわれわれ学者、飯塚さん、黒木さん、私、臼杵さんが考えなければいけないことですが、もう一つのフラストレーションというのが、この問題は誰も知らない、研究が進んでいない分野の議論では全然ないわけです。

本当に腹が立つのは、去年はナクバから60年ということで、1948年のイスラエル建国に伴うパレスチナの大厄災から60年経って、そこでナクバを考える、60年前の建国を考えるという山のような知的イベントがあったことが、1個も反映されない。これもまた、われわれ学者が考えなければいけないシリアスな問題としてある。そういったことにも触れていただきたいと思います。

最後ですが、ここは重要ですけれども、何をすべきかです。われわれに何ができるか、何をすべきなのかということについて、皆さん、すみません、1分か2分ということになるかと思いますが、どちらから行きましょうか。どなたか、一番最初に口火を切ってください。

錦田 私は自分が調査をする中で気づいたこととして、占領を考えるとき、どうしても日本で忘れがちな点を2点、指摘させて頂きます。まず1点目ですが、現地で報道を見ていると、エルサレムという地名は必ず「占領地エルサレム」、“占領されたエルサレム”とアラビア語で言われます。つまりアラブのメディアでは、エルサレムというのはまだ係争の途中にあって、解放されていない占領下にあるという認識です。しかし国際メディアでは、エルサレムがイスラエルの事実上の管理下にあることが自明視され、許可証を持たないとパレスチナ人がそこに入れないという単純な事実も、注目を浴びにくい状態にあります。

2点目に、自治政府ができたことによって、あたかも占領が終わったかのような誤解が生じていると思います。私はいま自分の調査で、パレスチナ人がどんな国籍、パスポートを持っていて、どういう移動の自由を持っているかという法手続きを調査しているのですが、そこからわかることは、イスラエルが全ての決定権限を握っているということです。たしかに自治政府はいまパスポートを発給しています。通行許可なども出すのですが、すべてそれはイスラエル政府の調整事務所を介して支給されるものです。つまり大元はイスラエルが権限を握っているということで、これは占領下に置かれているという事実の証明以外の何ものでもありません。こうした実例を通しても、まだ占領が終わっていないということが分かるというのをご紹介したいと思います。

臼杵 占領という問題ですが、イスラエル側から見れば、占領という言葉を一度も使わないのは当然の話です。つまり管理地域という言葉を延々と使っています。イスラエルの戦略の基本は何かというと、いまの状況からすると、占領というよりもむしろある種のアパルトヘイト体制を維持するかたちで、事実上の占領体制をつくり出していく。そのときに一番利用価値のあるのがアッバースで、彼を利用しながらガザを牽制する。つまり伝統的な帝国主義支配の分割支配を制度化していくというのが、いまのイスラエルのやり方ではないかと思います。

明らかにいいアラブと悪いアラブ、いいパレスチナ人と悪いパレスチナ人をはっきり区別しながら、悪いアラブ人には徹底的に制裁を加える、いいアラブ人には徹底的に飴を与えるという、きわめて19世紀的な意味での古典的帝国主義に返りつつあるというのが実態ではないかと考えています。

問題は何か。それを支えているアメリカというのは、実はイスラエル建国から支えていたわけではなく、80年代以降、軍事費が膨大している。つまり既成事実化したところにアメリカは支援していくというパターンをとっているのは間違いないわけです。もちろん48年の建国のときにトルーマンが支持しましたが、あれはあくまで個人の問題であって、50年代はフランスがイスラエルを支えていたことを忘れている。だから歴史を通じて、必ずしもアメリカとイスラエルは一枚岩ではない。そこのところを改めて考えていく必要があるのではないかと思います。

もう一つの問題というのは、アメリカの中の問題、つまりキリスト教とシオニストの問題を考えないと、われわれがいまできることというのは、実はあるようでないのが現実だと思います。イスラエル問題とアメリカ問題がワンセットになっているようなところをどうしていくのか。先ほど酒井さんが言われたように、力のある者に追従していくことでいいのかということですが、われわれ自身が国際政治における権力の構造を、日本の位置づけを含めて、もう一度考え直してみる必要がある。まさに古くて新しい問題です。

先ほどの繰り返しになりますが、やはり昔に戻ってしまっている。このことははっきり考えていく必要があるのではないかというのが、私の考えていることです。

川上 酒井さんがリアリズムだけではいけないとおっしゃった意味は分かるのですが、私はジャーナリストですから、あくまでリアリズムに立つしかないと考えています。リアリズムとは力的にイスラエルが強いということだけではなく、力を使ってそこで何が行われているかということがあって、イスラエルの中にもイスラエル軍が力を使って占領でパレスチナ人を常に抑えつけていることが、イスラエルを危うくしていると考えるイスラエル人がいます。こんな占領をしていてはイスラエルのモラルはだめになってしまうと考えて、イスラエル軍からの兵役を拒否する動きもあります。

それもまたリアリズムであると思います。だから力関係だけでなく、その背後で何が起こっているかを、やはりリアリズムとしてきちんと見なければならない。ハマースについては武装部門、政治部門、社会部門があることも見なければいけない。それからハマースが選挙に参加したことをどう評価するか。武装部門はあるけれども、政治的な解決をしようとする勢力がハマースの中にあって、話し合いの中で自分たちも選挙に参加しようという動きがあった。そうして選挙に参加したら勝った。政権をつくってみたら、世界もアメリカも欧州も、選挙に参加したことは一切評価しない。それでずっと制裁下におかれる。

そうしたときに、ではハマースの中、ハマースの支持者としては、政治に参加しようとしたところで何も変わらないではないか、結局受け入れられないではないか、という声があがる。そういうときに軍事部門がファタハの治安警察を排除してしまう、制圧してしまう。ハマースの中で政治的な解決を求める政治部門と、軍事的な解決を求める軍事部門との力関係もあると思います。そういうことも見ていかなければいけない。

ハマースの選挙参加については、国連の中東和平調整官で2007年春に辞めたアルヴァロ・デ・ソトという人がいましたが、彼は最後に長いレポートを国連事務総長に対して出しています。それは英文ですが、インターネットで見ることができます。国連はハマースが選挙に参加して政治プロセスに参加するように求めながら、ハマースが選挙で勝って、自治政府を主導すると、米国やEUと一緒になってパレスチナ支援を停止するなど制裁をした時に、国連も制裁に一緒に参加したことを批判しています。

彼は、国連というのは、あくまで和平への芽を見つけて、育てていかねばなければいけないと主張するのです。ハマースが政治に参加しようとするならば、そういう勢力を育てなければいけない。だから、国連がハマースへの制裁に参加したことを批判しているわけです。そういうことは常にリアリティとして見ていかなければいけないと思う。

ガザが空爆され、人命が失われていく中で私が非常に危惧しているのは、ハマースの軍事部門が、ハマースを牛耳ってしまうのではないかということです。いまの流血を止めるために政治が動けば、政治の枠の中で物事が進んでいく。ところがこういうふうにイスラエルが軍事的に繰り出して、政治が一切機能しないとなったときに、ハマースの中でも軍事部門が、すべてを牛耳ってしまう。

同じようなことは90年代のアルジェリアでも起こりました。イスラーム勢力が選挙に参加して、勝ったら、軍がクーデターで選挙を無効にしてしまった。そうしたらイスラーム勢力のなかで過激な武闘勢力が台頭して、軍と血みどろの内線を始めます。90年代にアルジェリアは毎年1万人が死ぬような大変な悲劇に陥りました。

だからイスラエルが力を振り回すことで、パレスチナの中でも力の論理が横行してしまうことをものすごく恐れます。それはリアリティとして政治がどのように機能していくか、政治の動きの芽を見ていくということです。もちろん酒井さんがおっしゃったことには非常に納得していて、メディアの報道の仕方で、批判された多くの部分は、私自身が、そういうことがないようにしようと常に考えていることでもあります。しかし、現状ではメディアの責任はかなり重く、非常にものごとを単純化してしまう。問題は簡単ではないのに、掘り下げるとややこしい話になるので、カットしてしまう。だから占領や封鎖があることを削って、ハマースがロケットを撃ったところから話を始めてしまう。こういう単純化というのは許されないと思います。

さらに、リアリズムに基づかねばならないメディアとしては、ハマースにだって選挙に参加して変えていこうという勢力があり、停戦を探ろうという勢力があるところにちゃんと目を向けていくことが必要だと思います。

黒木 ちょっと別の角度から、つい最近もレバノンの領内からロケット砲が何発か撃ち込まれ、どうなることかと緊張が高まったわけですが、ヒズブッラーは自分たちはやっていない、イスラエル側も過剰な反応はしないで、いまのところ落ち着いてはいます。ヒズブッラーは、口ではパレスチナ、ガザとの連帯を叫び、これを強く支持する、何かできることをしよう、もし攻めてきたらいつでも打って立つと言葉のうえでは言っています。

おそらくいまの話と共通すると思いますが、今年レバノンは5月か6月あたりに国会議員の選挙をやります。話すと長いのですが、レバノンの国会議員の議席の数は宗派人口に応じた体制となっていて、日本でいう選挙とは仕組みが違いますが、選挙はやります。その選挙をやるにあたって、両方の人々も衆目しているのですが、ヒズブッラーと連動している勢力が勝つだろう。すなわち、アメリカからすると反米だという勢力です。

2006年の選挙のあと、国が二極に分裂しながら、しかしいままでレバノンということで真ん中で一つにまとまりたいと思っていた人たちが、寄せられた結果としてそっちの数が多くなっているということです。ですからいかに非民主的な前提があっても、とにかく選挙を行うことがレバノンにとっては出発点だと思います。そして国民の融和、和解を進める。ただ、実際に選挙が行われるかどうかはよくわかりません。選挙をすれば負けると思っていると、選挙を行わないようにしようという勢力が出てきます。これは私も危惧して見ているところです。以上です。

飯塚 もうほとんど話は尽きていると思いますし、特別に申し上げないといけないと思うコメントもありません。私はもともと「イスラーム原理主義」の研究者ですので、最後は、川上さんが先ほどおっしゃったようなことを言おうかと思っていたのですが、全部言っていただきました。

ただ、私が今日お話ししたことに絡めてあえて一言だけ申し上げれば、「テロとの戦い」というのは、一般にはイスラエルがハマース、アメリカにしてもハマースをテロ組織だと指定して、その組織と戦うというだけの話だと思われているきらいがあります。つまりどこぞにイスラーム原理主義者とかテロリストという、きわめて少数の悪の権化みたいな奴らがいて、そいつらを何とかすれば世界は平和になる、と信じられている。

けれども、今日私がお配りした世論調査の数字をご覧いただければわかりますように、ハマースそのものを殲滅できたとしても――先ほどお話に出たように殲滅することはできないと思いますが--、外野が黙っていない。レジスタンスはまた別のところに飛び火するだけのことであって、これをやっている限り、イスラエルが本当の安全を享受できる日はおそらく永久にこないでしょう。同じようにアメリカが完全に安全になる日もこないと思います。自衛のための「テロとの戦い」をやればやるほど、イスラーム教徒たちは国境を越えて、それこそ自分自身が攻撃されていると思うようになるわけですから。

私はこの4年間、実は世界中のイスラーム教徒を訪ねて、「いったい誰が自分たちをいじめていると思うか」と聞いて歩く調査をしてきました。地域と年によって当然話は変わってくるのですが、今年もこれから3月くらいに東南アジアや南アジアの調査に出る予定でいます。今回のイスラエルによるガザ侵攻を受けて、そこでも、おそらくパレスチナでいじめられているという話が出てくることでしょう。

先ほど酒井さんはどうしようもない憎悪の報復ではないのだとおっしゃいましたが、もはや状況をこれ以上悪化させてはならない、いま止めないといけないと私が思っているのは、もともとはどうしようもない憎しみの連鎖ではなかったものが、結果的にどんどん許せない憎しみに変わっていくということが、どうもこの10年間に増幅されてきた気がするからです。それを何とか止める手立てをしないといけない。

ではわれわれはどうすべきなのか。本当にわれわれにできることは限られていて、それこそ今日お配りしたような世論調査データみたいなものを広めて歩くしかないかと思っています。つまりテロということばでみんなわかった気になっているけれども、実はここにイスラーム教徒との間のコミュニケーションが成立していないことが最大の問題なのだと、いろいろなところに巡業してお話し続けるしかないかと思っている次第です。

フロア 1点だけ事実確認で、いま受けた質問に対する答えだけ。

酒井 フロアに回す時間がなくて、本当に申しわけありません。

フロア すいません、臼杵さんに答えていただくだけでいいのですが、国際法上の占領は続いていて、だからイスラエルがやっていることは条約違反だということを確認していただければ。

酒井 そうです。リーガルに占領は続いています。私が「終わった?」と疑問符をつけているのは、そういうことです。国際法上は占領状態が続いていて、イスラエルは占領者として、占領住民に対して移動や生活の安定を確保する義務を持っているわけです。そこを撤退して放置して、あとはハマースが勝手にやっていることだと言えるような状態ではないことは、発言しておく必要があると思いました。

すみません、本当に時間がないんです。ここまで延びると思っていなかったので、すみません。司会の不手際で、せっかく皆さん、議論したいことがいろいろあったかと思います。われわれの間でもそうですし、フロアの間でもそうだと思います。

ただ申し上げたいことは、これが最初だと思います。これがきっかけです。こういうかたちで皆さんにお願いしたいのは、今日ここで発言できなかったかもしれない。しかし皆さんが自分の職場、自分の生活主部、自分の住んでいる地域で、それぞれにここで学び、ここで感じた、ここで議論したことを展開していくことが、われわれにできることなのだろうと思います。これは別に学者の仕事だけでもないし、メディアの仕事だけでもない。NGOだけの仕事でもない。それぞれの場で、今日のワークショップの成果を発展的に生かしていっていただければと思っています。

今日は長時間にわたり、しかも会場で席がなく立ち見になる方が大変多い状況の中で、本当にどうもありがとうございました。ぜひともこのようなかたちで続けていきたいと思います。また、ご協力をよろしくお願いいたします。皆さん、どうもありがとうございました。