私たちアジア・アフリカ言語文化研究所は、2005年4月から5年にわたって文部科学省の特別経費による「中東イスラーム研究教育プロジェクト」を推進してきました。このプロジェクトは、中東地域を中心とするイスラーム世界の政治・社会・文化について、高度な研究プログラム、教育プログラム、社会貢献プログラムを有機的に結びつけながら同時進行させるもので、これらの地域に住む人々がいかなる歴史と文化を持っているのか、広く一般に公開することも、私たちのプロジェクトの重要な使命のひとつです。

 2007年の「鮮麗なる阿富汗 一八四八」から三年を経て開催する今回の企画絵画展「豊饒なる埃及」は、5年間続いた私たちのプロジェクトに一区切りをつけるものでもあります。エジプトと言えば、ピラミッドなどの巨大建造物に代表される古代文明の遺産だけに目が行きがちですが、19世紀前半のエジプトは日本の明治維新より半世紀も早く近代化・西洋化に取り組む一方で、昔ながらの風俗や習慣を豊かに残していました。展示されるのは、この時代にエチオピアを含むナイル流域各地を訪れたフランスのエジプト学者エミル・プリス・ダヴェンヌが描いたスケッチをもとにしたクロモリトグラフ(多色石版図版)三〇点で、日本国内では唯一、本研究所が所蔵するものです。原版は長文の解説文とともに1848年に出版されており、世界的にも貴重な作品で、本邦では初公開となります。この絵画展では高精度の複製を展示していますが、細密で慎重なデジタル修復の結果、原版よりも160年前に刊行されたときに近い状態で美しく仕上がっています。

 1798年にエジプトを占領した、かのナポレオン・ボナパルトを引き合いに出すまでもなく、エジプトは長くヨーロッパ人の知的好奇心をかきたててきました。フランスの王立工芸院で建築を学んだあと、20歳になるかならないかでエジプトに渡った作者プリス・ダヴェンヌは、現地語のアラビア語にも堪能で市井の人々と直接言葉を交わすことができたうえに、ムスリムと同じ服装をしてイドリース・エフェンディと名乗るなど、すっかり現地に溶け込んでいました。また建築を学んだおかげで、遺跡のレリーフやヒエログリフを正確にスケッチすることもできました。彼がこのように見事なスケッチを残すことができたのも、エジプトの風俗・習慣への強い関心と建築で鍛えた写生技術があいまってのことだったのです。

 もちろん、当時のヨーロッパ人の東洋趣味がそれなりに彼の作品に反映されていることは否定できません。それでもなお、彼が描いたナイル流域に暮らす人々の肖像画は、古代文明の遺産に留まらないエジプトやエチオピアの豊饒な文化的伝統の存在を、私たちに教えてくれるのです。

 この展覧会は、私たちアジア・アフリカ言語文化研究所の研究成果を広く公開し、みなさまのご理解とご支援を賜るべく企画されたものです。率直なご感想、ご意見を頂戴できれば幸いです。

 アジア・アフリカ言語文化研究所 所長 栗原浩英
展示担当 髙松洋一 飯塚正人


スタッフ

[主催]
 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
[監修]
 髙松洋一(AA研) 
 飯塚正人(AA研)
[制作実行委員]
 小田昌教(AA研)
 前村恵
[修復・複製・額装]
 TRCC 東京修復保存センター
[WEBサイト制作]
 河本剛之
 鎌田幹子
[図録発行・発売]
 東京外国語大学出版会
[図録翻訳協力]
 大理奈穂子(お茶の水女子大学大学院)
 鳥山純子(お茶の水女子大学大学院)
 松永典子(駿河台大学外国語教育センター)
[図録編集]
 木村滋(春樹社)
[図録装丁]
 柴永文夫
 中村竜太郎
[印刷]
 株式会社インフォテック
[図録デザイン]
 DPT柴永事務所
[図録印刷・製本]
 凸版印刷株式会社
[協力]
 原田由希子