AA研要覧 2005
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第二次世界大戦後、バンドン会議などを通じて、日本の将来にとって、アジア・アフリカ諸国との相互理解、相互協力を進めていくことの重要性が認識されるようになりました。そこで、1961(昭和36)年、日本学術会議はこれら諸国についての研究を進めるための共同利用研究所を設立するよう政府に勧告し、1964(昭和39)年に、アジア・アフリカ言語文化研究所が、わが国では初めての人文科学・社会科学系の共同利用研究所として東京外国語大学に附置されました。共同利用研究所としての本研究所は、全国のあるいは海外の研究機関に属する専門の研究者とともに共同研究を行い、これらの学者に設備や資料を提供することなどを通して、日本あるいは世界における人文・社会科学の研究の進展に寄与することを使命としてきました。発足当初、本研究所ではアジア・アフリカの個別の地域についての深い理解を目指し、言語学・歴史学・民族学などの視点から密度の濃い研究がなされました。しかし、設立30年後には、既存の学問体系に依拠した個別的な研究分野を乗り越えた新しい学問・理論構築への要請が高まり、また情報処理技術の発達の中で、文字のみならず音声や画像を処理し、さらにこれらをひとつの情報ネットワークに統合化する研究が急速に進展してきたことを受けて、このような内外の情勢に対応し、学問研究においてより先導的な役割を果たすことが求められるようになりました。このため、1991年に研究所では、研究体制の抜本的見直しをおこない、従来の小部門制(及び1客員部門)から4大部門制(及び1客員部門)をとることとなりました。4大部門制では、言語を媒介として成立している文化を総合的に研究する体制を整え、また広域的なフィールドワークや共同研究を通して、幅広い研究者の英知を結集した研究、情報の統合的処理の理論と方法の開発を目指しました。情報ネットワーク化の目覚しい技術革新に関しては、これを活用したアジア・アフリカの言語文化資料の情報資源化をめざし、1997(平成9)年度より附属情報資源利用研究センターを設置し、共同利用研究所に更なる発展をもたらしています。1995(平成7)年度には、本研究所は文部省から「卓越した研究拠点(COE)」に指定され、「中核的研究機関支援プログラム」のもとで、設備の充実、国際シンポジウムの開催、研究資料のデータベース化とその発信などにつとめてきました。加えて、2001(平成13)年度には、5年にわたる中核的研究拠点形成プログラム(2002(平成14)年度からは、文部科学省科学研究費補助金特別推進研究に移行)「アジア書字コーパス拠点」が新たに発足し、従来にもましてアジア・アフリカ地域の言語文化研究において先導的役割を果たすことになりました。2002(平成14)年度からは、文部科学省科学研究費補助金・特定領域研究「資源の配分と共有に関する人類学的統合領域の構築-象徴系と生態系の関連をとおして-」が発足しました。このプロジェクトでは、国内外の諸機関に属する多くの人文社会科学の研究者が参加することにより、人類社会における広義の資源の生成循環を考察し、近代社会の資源をめぐる諸問題に対する新たなパースペクティブを提供することを目指しています。この他、1992年には、東京外国語大学に大学院地域文化研究科博士後期課程が設置されましたが、本研究所でも多くの教官がこれに加わり、本研究所の精神を受け継ぐ次世代の優秀な研究者の育成にも取り組んでいます。2002(平成14)年度には、21世紀COEプログラムとして地域文化研究科では、「言語運用を基盤とする言語情報学拠点」および「史資料ハブ地域文化研究拠点」の2つのプログラムが採択され、本研究所の大学院担当教員も、これらの拠点の形成に寄与しています。さて、2004年4月の国立大学法人化に際し、本研究所に対してこれまで以上に、日本のそして国際的な人文社会科学研究をリードする研究拠点としての役割を強化していく期待が寄せられていることに鑑み、本研究所では、これまでの設置目的をさらに発展させて、以下の基本目標を掲げることとしました。(1)臨地研究(フィールドサイエンス)を核とした国際的研究拠点として国際的水準の研究を先導するにふさわしい研究領域を設定し、国内外の共同研究プロジェクトを推進する。(2)アジア・アフリカ諸地域の言語・文化等に関する研究資料・情報を研究資源として利用可能な形に編纂し、それを国際的に共有するための研究資源拠点としての活動を進める。(3)国内外の後継研究者の養成に努めるため、研究所の創設以来の歴史を持つ言語研修・研究技術研修・出版・広報活動の、いっそうの充実を図る。2アジア・アフリカ言語文化研究所沿革

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