24 文法記述の方法の研究 (主査:中山俊秀/所員2,共同研究員4) 中国律学研究 (主査:陶安あんど/所員1,共同研究員1) 個別言語の文法構造の記述は,良くも悪くも「客観的事実の前理論的列記」と考えられることがある。そのために,記述に携わるものも,またその記述を形式理論構築に活用するものも,当の記述の理論的含みに対して無反省,無批判である場合が多い。しかし実際には,「記述」という作業は高度に理論的な考察,決断の積み重ねであり,そうしてまとめられた文法は理論的に中立な事実の羅列ではありえない。とすれば,対象言語の本質を真に捉えた記述というものは,記述の枞組み,分析の卖位,用いられる基本概念などを注意深く検討,規定する過程を通らずには達成しえない。そこで,このプロジェクトでは,文法記述に携わっている研究者が集まり,文法記述に際してさまざまなレベルでなされなければならない理論的考察および決断の数々を意識的に見据え,検討していく なお,このプロジェクトでは,できるだけ問題を深く掘り下げ,実際の記述に即した議論,検討を進めるため,尐人数での集中研究会の形式を取る。 阿部優子 蝦名大助 加藤昌彦 笹間史子 中国の律学は,後漢から唐代初期にかけて隆盛を極め,法律の伝承及び漸次的な体系化を通じて,法典の形成に寄与した。その影響は,法典の編纂と施行という国家の一時的な権力介入よりも大きいように思われる。というのは,国家の論理では,確かに法典は主権者の命令によって始めて効力を賦与され,編纂過程において一時的に学者の手を借りるにしても,主導権は国家が握り,法典の施行も主権者の名義においてなされる。しかし,長期的な歴史過程から判断すれば,国家の編纂活動はまれに行われる突発的な出来事に過ぎない。その存在は,果てしない太平洋に浮かぶ小さな島々に喩えられよう。その間の橋渡しは,法律資料の蒐集,保存ないし整理活動によってなされるが,唐代以前の中国国家はまだ自前の文書行政によってこの機能を果たすことができなった。法典編纂という突発的な出来事から遡って,そこに駆り出される学者の系譜や彼らが所有している法律資料の来歴を調べてみると,律学が,各王朝による散発的な法典編纂をつなぐ生命線となっているように思われる。 本研究プロジェクトは,「律学」を「律」と「学」とに分けて,当時の法律,ひいては国家との関わり方と,学問体系における律学の位置という二つの方面から,律学に肉薄しようと考える。前者については,官僚機構における律学者の位置と,律学者間における法律資料ないし法的知識の伝承の仕方を分析する。これは主として正史に基づく律学者の学問的系譜と官僚としての経歴の検討,および一般的な官僚経歴との比較検討によって遂行される。後者については,経学と小学(文字学)における今古文論争の推移を手掛かりに,学問体系の大きな地殻変動に即して律学の変遷を追跡する。古代の経学,小学と律学は,先王や歴史の権威,もしくは国家権力によって所与として与えられた材料に依拠しつつも,実際は,断片的な材料を輯佚して知の体系化を図ることを通じて始めて,経典,字典と法典を創出している。この共通点に着目して,法典の非国家的な形成を解明しようと考える。 石岡 浩
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