フィールドプラス no.2
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ホーチミン7Field+ 2009 07 no.2 東南アジアの中国系移民やその子孫が住むコミュニティにはたいてい、日本の寺社にあたる「廟」がある。廟は神仏が祭祀される宗教施設である一方、移住した中国系住民の自治組織の事務所の機能も担っており、その意味で「〜会館」といった名称で呼ばれることもある。これらの廟(会館)では、国や地域が異なっていても、たいてい同じような神仏が祭祀されている。商売の神として関羽は広く神格化されているし、道教の最高位の神である玉皇上帝や天后聖母(媽祖とも呼ばれる)、仏教では観音菩薩がポピュラーな信仰対象と言えるだろう。廟(会館)が現在のような姿になった19世紀前後には、儒教・仏教・道教が混じり合った中国的な宗教世界のひな形が既に成立していたためである。 このように、中国系移民やその子孫は常に正統たる「中国」「中華」を参照し、その世界を移住先に移植してきた。「中国」を異境で再生産しているのだから、そのオリジナルは当然中国に見いだせるはずである。宗教はその典型かもしれない。だが、中国ベトナム中部ホイアンにあった本頭公の霊位。本土では見られない神を東南アジアの中国系住民は祭祀していた。それが、私がベトナム南部の現地調査で出会った「本ほん頭とう公こう」という神である。 本頭公(ベトナム語では「オンボン」と言われる)は、ベトナムの南部、とくに中国系移民が多く居住するメコンデルタとその周辺の都市で、土地公(土地神)として廟で祭祀されるごく普通の神なのだが、どうも中国本土にはこの神はいないようである。また本頭公は福ふく徳とく正せい神じんという、道教の正統的な神の別称という話も多く耳にするが、これも中国本土にはない説明である。中国人研究者ですら、中国南部にある地じ頭とう公こうという土地神信仰に基づき、移住先の土地神、つまり「本地の地頭公」を祭祀したのが本頭公ではないかと想像するのがせいぜいのようだ。要するに、この神は中国系移民により移住先で創造された存在なのである。 本頭公の興味深い点は、この神がベトナム南部のみならず、東南アジアの大陸部を中心に、東南アジアの中国系社会で広範囲ホーチミン市の二府会館外観。ベトナム語でオンボン寺と呼ばれている。二府会館内の本頭公の祭壇。ベトナム南端に近いラクザーの本頭公廟。に亘り祭祀されている点である。また、この神は土地神という解釈以外にも、地域により異なる説明がなされる点も大きな特徴だろう。例えばベトナム南部の中心都市ホーチミン市の本頭公廟(二に府ふ会館という福建系の廟)では、13世紀末に元朝の使者としてメコン河を北上しカンボジアを訪れた周しゆう達たつ観かんを本頭公として祭祀している。その一方でメコンデルタやその西の都市を回ると、明朝が送り出し西アジアまで数度の大航海を行った鄭てい和わ(1371〜1433年)が本頭公だという話が多かった。またタイのバンコクのチャイナタウンにあった「老本頭公廟」では、水滸伝の登場人物である廬ろ俊しゆん義ぎが本頭公だという。 移住した中国系住民が自らの正統性を示すには、中国本土のオリジナルを再生産し、自己を理念的に「中国化」する必要があったのだろう。本頭公はその正統性をもたないという意味で周縁的な神かもしれない。おそらく異境の地に赴いた移住者が、その地を訪れた(あるはそうだと考えられる)中国系パイオニアに自らを重ね、その人々を神として祭祀したのが本頭公と言えるだろう。しかし面白いのは、本頭公への信仰や祭祀が、より正統的と考えられる神位への祭祀に完全に飲み込まれなかった点である。ベトナム南部やタイには多くの本頭公廟があり、祭祀が続けられている。また本頭公廟というキーワードでインターネット検索をしてみると、意外なことにアメリカのものが幾つかヒットする。テキサス州ヒューストンの「徳州潮州会館」は本頭公を祭祀しているが、中国本土の文化との同一性ではなく、この廟で祭祀される本頭公がフィリピンに由来している点がHPで説明されている。これは、東南アジアから北米大陸に再移住した人々のアイデンティティのありかが、中国本土から移住先へと移行しつつある証左かもしれない。その意味で当地の中国系住民は、標準中国語を話す本土の中国人とも、中国本土に強いアイデンティティをもつ中国系移民(華人)とも異なる存在と考えられるのである。本頭公は、周縁的で正統性をもたないがゆえに、類型的に見える中国系住民のこのような微妙な差異を、見事に顕在化してくれる神なのである。ベトナム南部中国系パイオニアの多様なる神東南アジアの本頭公信仰中西裕二なかにし ゆうじ / 立教大学、元AA研共同研究員

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