5Field+ 2009 07 no.2清福寺本堂の女神祭壇と関聖祭壇。ここでは、ベトナム戦争前からの神像が保存されている。驚いた。というのは、その息子の息子にあたる今の住持は、華人としては3代目ということになるが、これまでの付き合いで華人系であることを示すものは、漢字を知っているという以外何一つ無かったからである。今のベトナムで漢字が判る者は希少であるが、仏教関係者の間ではそう珍しいことではないので華人であるとは思ってもみなかった。かれの水死した妻の供養儀礼も、タイクンという呪術師を招きキン族固有のやり方で行っていたし、12月の墓祀りや竈神送りも他の村人と特に変わったところはなく、キン族の伝統文化を濃厚に残している清福の一員として違和感はなかった。このことがわかって直接確かめた際に、家族祭壇を見せてもらうと、「周家歴代の祖」と漢字で書いた一枚板の位牌があり、キン族金堆村慧雨寺の天后宮と関聖祠。天后とその侍神の像の顔は、新しく塗り替えられている。とは異なるものであったが、一方、住まいの庭にはアムと称される夭折者などを祀る小祠が有る。これは、キン族の風習で、華人系では普通祀らないものである。 こうして、それほど昔とは言えない華人の末裔が、キン族の村にも従来の華人のイメージとはかけはなれた形で、村のキン族の一員として居住していることがわかった。 さらに、この事例は、この地方の仏教系信仰のあり方についても、重要な示唆を投げかけている。仏教寺院が必ずしも仏教系だけでなく、別系統の神を祀ることがあるのは、別にベトナムに限ったことではなく、日本でも神仏混交のかたちで伝えられてきたが、清福の寺の住持の祖父によって持ち込まれた、天后、関帝というペアで祀* *るやり方が、もしかしたら、この地方の寺の神仏の配置に影響を及ぼしている可能性のある点である。 清福の寺の本堂の両脇に、女神と関帝が祀られており、女神の方は、現在ではチャム系(東南アジア大陸部に居住するオーストロネシア語族に属する民族。ベトナム中・南部のチャンパ王国の末裔とされる。)の女神テンヤナーであると説明されているが、この像を観る限り、その従者は、天后の従者「千里眼・順風耳」の特徴を色濃く残していて、テンヤナー神の従者らしからぬ風貌を備えている。つまり、地元の女神に中国起源の天后のイメージを重ねて伝えているのである。 未だ、この点については、十分な裏付け調査を行っていないが、もしこの推測が当たっているとすれば、静かに溶けていった華人がかれらの主観的意識とは関わりなく現地社会に及ぼしている影響力についての興味深い事例ともなるであろう。* * * このようなタイプの、華人を名乗らず土着社会に溶けていった末裔と、ステレオタイプの華人性を意識し続けるものの代数を重ね次第にその特徴を希薄にしている末裔との比較もまた興味あるテーマであろう。いずれのタイプが、より強力に現地社会にインパクトを与えているかも、上例からすると必ずしも自明とは言えないのである。キン族風の仏教式忌祭を主宰する住持(左)。清福村洪福寺を出る住持(右)。
元のページ ../index.html#7