ムスタファ3世(在位1757〜1774年)の勅許状。本文の上部に黒々と描かれているのはムスタファ3世の花押(トゥーラ)で、「常勝者アフメトの息子シャー・ムスタファ」と読むことができる。本文は金色や赤のインクを使って豪華に作られている。留学中のノートから、王冠と盾をかたどった文書の透かし。3つ並んだ三日月はオスマン朝のシンボル、IMPERIALはイタリア語。文書に日付はないが、1783年頃のものであることがこの透かしだけでわかる。この文書も今ではオリジナルを閲覧することができなくなってしまった。地方総督から届いた通信を中央政府で5段落に要約した梗概。黒インクで記されているのが本文の要約で、赤インクで斜めに記されているのは内容についての註釈。28Field+ 2009 07 no.2ほどになってしまい、転職を真剣に勧められました(苦笑)。もっとも3年間の留学を終えて帰国する時には部屋中本だらけで、どうやって日本に送るか途方に暮れましたけど。ただ、本屋に入り浸っていたおかげで、常連客とも親しくなり、お茶をすすりながら彼らの会話にずっと耳を傾けることができたのは良い経験でした。トルコの愛書家には大学の先生でもないのに驚くほど学識のある人がいますので、写本の年代の見分け方とか、ずいぶんいろいろなことを教えてもらいました。【太田】 楽しい留学生活を過ごしたのですね。【髙松】 もちろん生活や研究をするうえでのトラブルも少なくありませんでした。部屋を借りていた大家が悪い奴で、階下に水漏れが起こったのに知らん顔をして、もう少しで私が告訴されそうになりました。また研究許可や滞在許可証をとるのもたいへんで、いちいち嘆願書を書いたり、警察に年に30回も通ったり、私の申請書類がどうなっているのか、アンカラの文化省に何度も長距離電話したり。官僚主義はオスマン朝の昔からそうなのですが。そのうちに警察の人より書類の流れに詳しくなってしまって、これがあとで研究に役立ったかもしれません(笑)。古文書学とは【太田】 そうした苦労をしながら、留学中に古文書学を専門とするようになったのですね?【髙松】 いえ、留学中は修士論文で扱ったテーマに関する史料をひたすら集めていただけで、そんなつもりは全くなかったんです。古書市場の調査が忙しかったせいもありますが(苦笑)。古文書学を志したのは留学から帰国してからです。集めてきた文書のコピーを読んでいるうち、日付も見かけの様式も全く違っているのに、文章がそっくりな文書が複数存在することに気がついたのがきっかけです。そこで、なぜわざわざ同じテキストでいろいろな様式の文書が作られなければならなかったのか、内容はさておきそれぞれの文書がそれぞれの様式で作られたのはなぜなのか、ということに疑問をいだきました。そこがわからなければ文書を正しく理解できないぞと思ったわけです。そこでこうした疑問を解くためには古文書学を勉強しないといけないとわかったのですが、当時日本にはオスマン朝の古文書学の専門家がいなかったんです。ではいっそのこと自分が古文書学をやって皆の捨て石になろうと思い、日本史の古文書学入門なども参考にしながら、手探りで勉強を始めました。もともと文献そのものをいかに正確に読むかということにこだわりがありましたので、私に古文書学はちょうどあっていたのかもしれません。【太田】 そもそも古文書学とはどういった学問なのでしょうか。【髙松】 文書というのは自分勝手に書いてよいものではなく、どんな紙やインクを使うのか、どの書体で書くのか、どういう言葉遣いをするのか、「手紙の書き方」のようなあらかじめ決められた約束事があります。それによって文書は数多くの様式に分類されるのですが、そのような様式の使い分けは、それぞれの様式が独自の機能をもっていたからにほかなりません。こうした文書のいろいろな様式の分類や、機能の解明といったことが古文書学の研究の中心的な課題です。私の場合は、現存する個々の文書を検討して、それぞれの文書の様式のもつ働きや作成手順を再構成することをテーマにしています。オスマン朝の役所では先輩が師匠になって若い見習いに口伝で仕事を教えていたので、文書作成のマニュアルがほとんど残されていませんから、実例から積み上げて明らかにする必要があるのです。【太田】 オスマン朝の古文書学研究者はトルコ人以外には珍しくありませんか。【髙松】 そんなことはありません。オスマン朝の支配が東欧に及んでいたせいで、基本となる研究はハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどで出版されています。今でも一番研究が進んでいるのはブルガリアなので、ブルガリア語を勉強しておいて本当によかったと思います。ちなみに英語で書かれた研究は、どういうものか全くといっていいほどありません。【太田】 具体的にトルコの文書館に行ってどんな調査をするのですか。
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