フィールドプラス no.2
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かつての首相府オスマン文書館の外観。現在では、オスマン朝時代の大宰相府の敷地内に移転している。首相府オスマン文書館の整理部門。机の上の帳簿を点検しているところ。帳簿を黙々と撮影する文書館員。全資料のデジタル化が完了するのは気が遠くなるような将来のことだろう。27Field+ 2009 07 no.2全くわからなくて、1日眺めてやっと単語が1つだけわかったという具合です。でも不思議なものでしばらく通って苦しんでいるうちに、ある日突然すらすら読めるようになりました。【太田】 オスマン朝の文書は具体的にどのような内容なのですか。【髙松】 現在残っている文書のほとんどは、政府で作成されたか、政府に提出された公文書ですので、行政に関する命令や報告のほか、政府にお金を下さいと頼んでいる嘆願書などが多いです。皇帝直筆の命令もたくさん残っていて、慣れてくると筆跡を見ただけで誰が書いたか、すぐわかるようになります。ほかには税金や俸給に関する帳簿、裁判記録などもあります。イスタンブルにある首相府オスマン文書館には1億5千万点を超える資料が収蔵されていて、書架を横につなげると200キロメートルにもなるそうです。【太田】 それでは留学中は、そうした文書の解読に集中していた?【髙松】 だとよかったのですが、毎日本屋で遊んでばかりいました(笑)。イスタンブルはオスマン朝の首都になってからは戦火にあっていませんから、古書もたくさん残っているのです。おまけに私が留学していた90年代前半は経済が混乱していて、トルコ・リラの価値が1日で半分以下になったり、インフレ率が年間100パーセントを超えたりという時代でしたから、蔵書を手放す人も多かったのです。油断していると値段が突然倍になりますが、一介の留学生でも結構本が買えましたし、オークションも盛んでよく行きました。こうして古書相場を研究した結果、しまいには本屋から本の値段を訊かれるオスマン朝の文書の世界へ【太田】 それではオスマン朝について研究しようと思ったきっかけは。【髙松】 トルコ系の国家は歴史上たくさんありますが、トルコ語で大量に史料を残しているのはオスマン朝だけだとわかったからです。あと多民族国家だったことにも興味をひかれました。中東やバルカン半島など、今日紛争の絶えない地域を、まがりなりにも長い間まとめていたオスマン朝とはどんな国家だったんだろうと。【太田】 史料としては、当初から文書を利用していたのですか。【髙松】 いいえ。修士論文を書くまでは印刷された年代記ばかり読んでいました。日本にいたら文書のオリジナルは見られませんから。世界のオスマン朝史研究の水準では文書の利用が当たり前なのに、情報量の限られた年代記しか使えないのがつらかったです。【太田】 では文書の研究は、留学した時に本格的に始めたのですね? 【髙松】 そうです。博士課程に入って半年ほどでイスタンブルに留学して、初めてオリジナルの文書に触れることができました。【太田】 手書きの文書は、誰もが簡単に読めるものではありませんよね。【髙松】 ええ。私の場合も、留学前からアラビア文字で書かれた古いトルコ語を読めるようになってはいましたが、独特の書体の手書き文字を判読できるようになるのには苦労しました。初めて文書館で文書の実物を見た時など、

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