フィールドプラス no.2
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の世界イスタンブルの古書店で記念撮影。後ろに並ぶ革背表紙の本はオスマン朝の上院議長の旧蔵書。オークションにて。女性が手にしているのは1680年刊アラビア・ペルシア・トルコ語=ラテン語辞典。同じ本が去年のサザビーズでは600万円を超す高値で落札された。17世紀に建てられたイスタンブル旧市街のスルタン・アフメト・モスク(通称ブルーモスク)。首相府オスマン文書館もこの近くにある。26Field+ 2009 07 no.2ジオの中国語講座を聴いたりしていましたので、自分としては自然な流れだったのです。ただおかげで英語はあまり勉強しませんでしたから、今でもすごく苦手です。【太田】 トルコ語は、日本ではあまり馴染みのない言葉だと思うのですが、高校生で勉強してみて難しくありませんでしたか。【髙松】 いえ、英語よりよっぽど簡単でした(笑)。語順とか発想が日本語と近いので、古文の勉強をしているような感覚でした。現在ではウラル・アルタイ語族の存在や、トルコ語や日本語が共通の祖先から分かれたという学説は否定されていますが、日本語を知っている人にはトルコ語は一番勉強しやすい言語のひとつでしょうね。今のトルコ語はローマ字表記ですし。【太田】 大学でも、トルコ語を勉強しようと。【髙松】 ええ、当時はトルコ語学科のある大学はなかったのですが、トルコ語が開講されているところを選びました。ただ入学後は、トルコ語をよく読めるようになるためにほかの語学も必要だとわかったので、毎年必ず1つか2つは新しい語学をやるようにしました。今思うと学生時代にたくさん語学をかじったことが後ですごく役立っています。【太田】 しかしなぜ言語学ではなく、歴史を研究しようと思ったのですか。【髙松】 大学3年で専門を決める時、トルコ語を使って何か研究できそうだったのが東洋史学科だけでしたので。それにトルコ語そのものよりも、トルコ語で書かれた文献を正確に読むことの方により興味がありました。今回は、AA研所員である髙松さんに、専門とされているオスマン朝の文書や、古文書学、アーカイブズ学について話をうかがいました。オスマン朝は、1300年頃現在のトルコの地で建国され、15世紀にイスタンブルを都としてからはヨーロッパ、アジア、アフリカにまたがる大帝国となり、様々な民族を抱えつつ1922年まで続いた国家です。オスマン朝は膨大な数の文書や帳簿を残していますが、西欧以外でこれほど多く史料がオリジナルのかたちで伝わっている国はまれです。そうしたオスマン朝の文書を研究されている髙松さんに、「フィールド」である文書館での調査の一端や、古文書学などについて紹介していただきます。トルコ語・オスマン朝史と出会うまで【太田】 最初にオスマン朝史研究を志すようになった経緯についてお聞かせください。【髙松】 そもそものきっかけは、高校の世界史の時間に、かつてトルコ人や日本人をはじめウラル・アルタイ系諸民族が、欧米の帝国主義に対抗するためユーラシアを横断して大同団結しようという思想があったと聞いたことです。それで日本語にどうも似ているらしいということでトルコ語に興味をもって、自分で文法書を買って勉強し始めました。【太田】 高校生の時から、外国語を独学で学ぶというのはすごいですね。【髙松】 もともといろいろな外国語に関心があったんです。生まれたのが東京オリンピックの年で、小1の時には大阪の万博があったせいか、幼な心に「世界のいろいろな国々に様々な人がいるのは素晴らしい」と刷り込まれてしまったからかもしれません。ここで普通は中学に入って一生懸命英語を勉強するのでしょうが、残念ながらなんだかピンときませんでした。世界にはほかにもたくさん言葉があるぞと、その頃からひねくれてNHKラインタビューオスマン文もん書じよ髙松洋一 たかまつ よういち/AA研インタビュア--太田信宏(編集部)イスタンブルの古本屋とアーカイブズ

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