フィールドプラス no.2
23/34

21Field+ 2009 07 no.2分の感性を振動させるものと出会うことで、わたしにとってはそのキーワードのひとつが「食べる」ということだったのだろう。しかし、商売の世界の調査は怖い。しばらく迷った挙げ句、飛び込んでみることにした。沖縄の豚肉食文化 「丸昌ミート」に押しかけ助手で置いてもらえることになり、店を手伝いながら豚肉の売買の謎に挑戦することになった。なぜ、客が肉を触って選ぶかといえば、肉はひとつひとつ違うからだ。言われてみればその通りなのだが、わたしたちは普段、肉屋で同じ部位の肉は同じ品質だと疑わずに買っている。沖縄では豚肉食文化が17世紀から普及して、自家飼育・自家屠殺が1960年代まで続いていた。自分で育て、自分でつぶした豚肉を評価しながら利用する、という文化が最近まであったということだ(写真5)。市場から見える沖縄の豚肉食文化を説明するには、事例だけでは説得力がない。フィールドノートに、男性/女性が何人で来て、どの部位を、どんな単位で注文し、結局渡された量はどれだけで、どんな会話があったのか、ということをメモして、統計をとった(写真6)。メモすることで、商いの要素が見えてきた。 昼には、丸昌ミートのイノエおばさんが毎日500円玉をくれた。市場の2階は食堂街だ。毎日気の向いた店で沖縄そばや定食を食べたが、いちばんよく通ったのは、今は店じまいしてしまった「親子食堂」である。ここは、曜日で決まっている日替わり定食しかないのだが、それがおいしくて毎日地元の客で賑わい、午後1時を過ぎると売り切れるほどだった。座りさえすれば、自動的に地元の人気の食を味わえる。一番人気は豚足をとろとろに煮込んだ「てびち定食」で、この日は客の平均年齢が高くなる。てびちは関節痛にいいと言われ、高齢者が好んで食べる、いわば薬膳だ。「中味定食」も人気だった。豚の胃・小腸・大腸を徹底して洗って鰹だしでしたてた汁で、行事に欠かせないが、あまりに手がかかるので家では日常的には食べない。わたしの好物は、茹でた豚肉の短冊と沖縄独特のかすてらかまぼこ、椎茸などを甘い味噌汁仕立てにした「イナムドゥチ定食」だった。祝い膳に使われる行事食だ。精肉売り場で売られている豚肉がどうやって食べられ、どんな意味があるか、いつの間にか学んでいた。 40日間の押しかけ助手の結果、市場の豚肉売買が沖縄の豚肉食文化と深い関係があること、売り手と客の関係が密接なこと、「食べる」ことを研究するということ 博士課程にはいると、アフリカで調査するようになり、沖縄からは遠ざかった。アフリカでは、当初、家族と社会をテーマにしようと考えていたのだが、紆余曲折の末、また食と生業の研究にたどりついた。 10年後、研究チームに誘われて久々に沖縄に行ったとき、市場の変化に驚いた(写真2・写真3)。売り手は変わっていないのだが、地元の客が減って観光客が増え、商品も観光客向けに変わっていた。精肉売り場でも、パックされたみやげ用の加工品が増えていた。そして、10年前には見られなかったブランド豚が現れた(写真8)。ほかの売り場でも、10年前には見なかった海ぶどうがあらゆる売り場で売られていたり、ゴーヤーの漬物という新製品がヒットしていた。市場に何が起こったのか? 商品が変わったということは、その商品を生産している漁師、農家、畜産家にも大きな変化があるのではないか? と興味が拡がり、「海ぶどう」「ブランド豚」「島バナナ」の3点をターゲットに沖縄各地で生産者と流通業者を尋ね歩いた。自然から食べものを獲ということはわかったが、売り手の技法が、ひとつひとつ異なる豚肉と、異なる好みをもった客のコーディネートにある、と表現できるまでにはさらに5年以上かかった。4 精肉店ばかり20数店舗が並んだ精肉売り場。それぞれの店に馴染み客がいる。6 商売の特徴を伝えるために、チェック項目を作ってフィールドノートに書く。得する第一次産業の現場では、何を「生産」するかによって、暮らしや、ときには価値観すら変わらざるをえない。食べものとその生産現場を通して、沖縄の今がかいま見えた(写真7)。 この調査で、「市場」も「食べる」ことも結節点なのだと気づいた。市場は、生産と消費の結節点で、どんな商品が望まれ、生産現場がそれにどう応えているかが見える。食べることは、食べものをつくる人々の仕事と暮らしに繋がり、食べる人の人間関係を見せてくれる。そもそも、食べること自体が、生きていくことと、文化的選択の結節点だ。だから、「食べる」ことを調査することは、ひとつの立ち位置を手に入れることだと思う。ただし、立ち位置は、どこへ向かえばよいのかは教えてくれない。360度拡がった地平のどこへ向かうかは自分で選ぶしかない。「食べる」ことの研究は、入るのが簡単で出るのが難しい、と感じるのはそのせいだろう。 しかし、「食」は結節点だから、いろいろな人を繋ぐこともできる。アフリカの研究からは、世界中の湿潤熱帯で生産されている「バナナ」を通して、農耕文化と食文化を比較する共同研究が生まれた。この特集の執筆者の佐藤靖明さんもその仲間である。沖縄でも、食を通して新たな関係が結べないか、さまざまな構想を温めている。5 沖縄では儀礼食に豚肉は欠かせないので、正月とお盆前は地元の客でごったがえす。8 ブランド化された沖縄在来の「幻の豚」アグー。

元のページ  ../index.html#23

このブックを見る