フィールドプラス no.2
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20Field+ 2009 07 no.2那覇食べることは、食べものをつくる人々の仕事や暮らしに繋がり、食べる人の人間関係を見せてくれる。食べることは、生きていくことと、文化的選択の結節点である。その調査は、ひとつの立ち位置を手に入れることで、360度拡がった地平のどこへ向かうことも可能にしてくれる。2 1990年の丸昌ミート。ショーケースの外は豚肉、中は牛肉。豚肉は鮮度を見せるためにショーケースには入れない。3(右) 2002年の丸昌ミート。観光客用にパックされた加工品が増えた。7 市場調査をまとめた『沖縄の市場〈マチグヮー〉文化誌』。沖縄の人に向けて書いた。市場と出会う 最初に沖縄を訪れたのは大学院の1年生で、沖縄に関しても、学問分野に関しても、予備知識はほとんどなかった。沖縄をフィールドに選んだのは、生まれ育った北海道から最も異質な世界に思えたからだ。生態人類学を専攻した大学院で、行った先でおもしろいものを見つけてこい、と送り出された。 沖縄初日に市場に足を踏み入れて、その迫力に度肝を抜かれた(写真1・写真4)。狭い通路を歩くと、両側から遠慮のない視線と、味見用の箸が飛んでくる。なかでも、精肉売り場は圧倒的だった。豚肉のかたまりを、ショーケースの上に剥き出しで積み上げた小さな店が数十軒も並んでいたのだ。値札はない。客の注文に合わせてそのかたまりが切り分けられ、割られて売られていく。狭い通路の丸太の台の上で、豚足がナタで切り分けられる音が響く。年配の客は、積み上げられた肉のかたまりをひとつひとつ手に持って厚さや脂の入り具合を吟味している。 そこには、「食べる」ことに対するエネルギーが充満していた。市場には、鮮魚売場、野菜売場、加工品売場があり、それぞれに1 国際通りから市場本通りに入り、数百メートルのところにある第一牧志公設市場の入り口。1階と外回りは生鮮食品、2階は食堂街。活気があるが、精肉売り場のそれは、テンションが違う。万札で払うことも多い。市場で豚肉を買うことは、どこか晴れがましいことであるようだ。 そして、その売り買いは、まったく理解できない世界だった。注文のしかたは「1斤」とか、「1000円分」とか、「5人分」とか、何でもありだ。肉を買った客にレバーをおまけにつけることがある。商品はまったく同じに見えるのに、なぜ、数十軒もの店が共存できるのか? なぜ値札がないのか? なぜ客は堂々と肉に触るのか? 「1人分」という単位はあり得るのか?  今になれば、その疑問は、客の豚肉に対するこだわりと、その背景にある豚肉食文化への興味、そして、それに対応する売り手の技術に対してであった、と表現することができる。しかし、そのときは、「食べものを買う」ことへの情熱にあてられたのだと思う。 わたしは食べることが好きだ。美食家ではないが、毎日、手持ちの選択肢の中で何を食べよう、と考えてばかりいる。豚肉の売買の熱気の中に、同じ情熱を感じたのかもしれない。研究のテーマを探すことは、自小松かおり こまつ かおり/静岡大学、AA研共同研究員3食べものから見える世界食べる

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