フィールドプラス no.2
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19Field+ 2009 07 no.2食文化中心にライフヒストリーをきく したがってオキナワ料理がハワイで広く認知されるようになったのは極めて最近のことだ。では、普段の生活ではハワイのオキナワンは何を食べてきたのか。いつ頃どのようにしてかれらの日常/非日常の食事が変わったのか。このような疑問に突き動かされて、フィールドワークでは主にオキナワンのライフヒスト的アイデンティティを積極的にオキナワン・コミュニティの外に向かって主張することはなかったといわれる。しかし1970年代から1980年代にかけて、ハワイのオキナワン二世と三世が中心となり「オキナワン」というエスニック・アイデンティティを主張しようと活発な運動を展開する。その拠り所として芸能などの文化が見直されるようになった。なかでも二世の女性たちは料理に注目した。彼女たちがハワイの一世や二世が各家庭で作っていた料理のレシピを集めたり、新しくハワイのオキナワンの料理としてレシピを開発したりするなどして編集したOkinawan Cookery and Cultureというクックブックが出版されたのは1975年のことだ。以降、テレビやフェスティバルなどの場でもオキナワン以外のオーディエンスに向けてオキナワ料理がオキナワンによって発信されるようになった。ハワイのサーターアンダーギーは沖縄のものよりやわらかい。リーを食文化中心にきくようにしている。この手法はアメリカの人類学者で食文化を研究するキャロル・クニハン(Carole Counihan)が用いている食べ物中心のライフヒストリー(food-centered life history)に近いだろう。食は個人、家族、コミュニティの日常そして非日常の生活に欠かせないものだから、食文化を中心に生活史をきくことで、その人の考え方や家族内そしてコミュニティ内の人間関係など、幅広く多様な情報が得られる。撮る、食べる、作る 食べ物は食べてしまうと目の前からは消えてなくなってしまう。そこが食文化のフィールドワークの難しくも面白くそして美味しいところだろう。ハワイのオキナワンの食文化に研究の焦点を置くようになってから、思いつくことは何でも試してフィールドワークの方法を模索している。 まずは食べ物の写真や映像を撮る。フィールドワークでいただく食べ物は必ず写真を撮り、可能であれば作っている現場の映像を撮ってきた。だがこれが意外と難しい。フィールドから帰りいざ資料として写真や映像を使おうと思っても、いまひとつ実際に食べた味が伝わるとは思えないものばかりでがっかりすることが多い。日常的にも自分で作った料理やハワイのゴーヤチャンプルーはチャイニーズのゴーヤを代用することが多い。人が集まるときにはポットラックが欠かせない。ハワイ島の沖縄系組織のミーティングにて。食べたものを撮影して腕を磨いているところだ。撮影技術を高めつつ、食べ物のフィールドワークでの写真や映像の意味も考えてゆきたい。 そして食べてみる。幸いにも私は食べることが好きだし、嫌いなものはほとんどない。フィールドワークで食べることも仕事の一つであることの幸せに感謝しつつ、味、におい、食べたときの周りの雰囲気を記録する。そして同じものを何度も食べる。というのはあるものを初めて食べたときと次回以降ではずいぶん印象がちがうからだ。 それから自分でも作ってみる。これはとても大切なことだ。たとえばフイ・オ・ラウリマが発刊したクックブックに掲載されているレシピと沖縄で出版されたもののレシピを比較することで、ハワイのオキナワ料理がどのように変化しているのかが分かった。 また実際に料理を作ることで作り手のことをより深く理解することができるのではないか。料理にはそれなりの時間も手間もかかるものもあるし、意外と簡単に作ることができるものもある。たとえばラフテー(豚の角煮)は、相当な時間をかけてゆっくりじっくり煮込む。作ろうと思い立って即座に作り食べられるわけでオキナワン・フェスティバルのボン・ダンス。みんな楽しみにしている。はないから、事前に計画を立てなければならない。料理のプロセスを経験することで、それぞれの料理に対する作り手の想いやそのときの状況そして食べる人との関係など様々なことを想像することができる。だから特にライフヒストリーをきくなかで出てきた料理などは実際に調理するように心がけている。私のフィールドワークのこれから これまでのフィールドワークでおぼろげながら分かってきたことは、20世紀前半、多くのオキナワンが日常的には鶏肉や魚そして野菜を中心とした食事をとっていたようだということだ。豚肉を食する機会は稀であった。なぜ食文化が変容するのかを考えるために、消費する人がどのようにして食べ物を選択し食べるのかを理解したい。だが、インタビューにおいて語られる食べ物がどういうもので、どのような気持ちで食べたのか、ということを私はまだはっきりと想像することができない。ある二世の男性は第二次世界大戦中、日系人で構成される連隊である442部隊の一員としてヨーロッパ戦線に参加したときにスパム(豚肉の缶詰)を初めて食べたという。「美味しかったですか?」という私の問いかけに、無言でにっこりと笑って頷いた。彼の笑顔の意味をどのように考えればいいのだろう。極限の状態で食べた物の味、それが食文化の変容に与える影響は大きいだろうと頭では分かるのだけれども、捉えきれないもどかしさが残る。食の記憶をたどる旅はまだまだ続きそうだ。

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